教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

学校でリテラシーとして伝えたい、「遅いインターネット」の良さ

 僕は、基本的にはインターネットを使っての仕事とかコミュニケーションから、いい思いをさせてもらっていることのほうが多いと思います。その理由は、こうして書いているブログやSNSなどの発信から、広い世界と繋がれる実感をもつことができているという経験による部分が大きいと思っています。
 ただ、それが誰にとっても同じなのかというとそんなことはなく、Twitterを見ても、「そんな言い方をしなくてもいいのではないか?」ということに出会ったり、もちろんフェイクニュースやデマなどがあったり、いろいろと大変なやりとり(炎上)があったり…。インターネットには、悪い面ももちろんたくさんあります。
 これだけネットが発達している社会で、使うのが日常になっている状態なので、子どもたちにどんなふうな姿勢でインターネットに接するようにしていけばいいのか考えていかなくてはいけません。ネットリテラシーを学んでもらうだけで十分なのか、考えてしまいます。

 そんなときに、評論家の宇野常寛さんが「PLANETS vol.10」のなかで提唱している「遅いインターネット計画」を知りました。読みながらTwitterにて書き出していた部分をまとめておきたいと思います。
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 まずは、宇野さんが書いた巻頭言からです。

 インターネットの武器(=利点)として「速さ」の方ばかり見ているが、実は「遅さ」もインターネットの武器だと思います。ゆっくり、じっくり読むこともできる。今までだったら出版されず目に触れなかったようあん考えや情報にも出会うことができる(ロングテイル)。そして、たくさんある情報をどれを読むか、「自由に」決められるということだと思います。
 情報に触れるだけでなく、どの情報を選ぶのか、自分の持っている知識とどう組み合わせるのか、藤原和博先生がおっしゃる、情報編集力が必要になってくるのがこのあたりではないかと思っています。

 続いて、巻頭座談会からのメモです。

 脊髄反射をせずに、じっくり情報に接して、自分で考えて判断をする姿勢はどこで身につけさせるべきか。ネットで「自分の意見にあった意見を選んで見る/読む」ことができるようになっているいま、脊髄反射をしないというだけでなく、自分が得ている情報が偏っていないかを自分でチェックするような力も必要になるはずです。こうした情報の読み方を、リテラシーとして学校で教えられるか、と自分の職業に引きつけて考えてしまいます。

 いいところだったのに、タイポがあって本当に残念(←すみません)。「個人のリンチが常態化している」です。

 学校でどんなことを身につけてもらって社会に出てもらいたいだろうか、と考えたときに、「複雑なものを複雑なまま受け止める」ということはぜひ教えたいと思います。個人的には、新しい学習指導要領で掲げられている「主体的・対話的で深い学び」でこうしたことが教えやすくなるのではないか、と思っています。そうした授業を作るお手伝いをしていきたい(あるいは、自分で教えていきたい)と思っています。

 インターネットの価値は「自由と平等」。でも、それは「何でも言ってOK」というものではないし、この「自由と平等」を享受して社会が良くなるためには、ある程度の行動規範が必要だと思いますし、そのための成功体験のようなものも必要だと思います。逆に、軽い失敗体験を教室でしてもらうということも重要だと思うので、学校で「遅いインターネット」の考え方をベースにした、何かカリキュラムを入れたいな、と思います。まずは自分のホームである教室/学校からやっていこうと思います。

 最後に、巻末座談会からのメモです。

 この遅いインターネット計画が、2019年4月19日にハフポストの竹下隆一郎さんが書かれている、「「本なんて売れないよ」と何度も言われた。それでもネットメディアが書籍を作る理由。」に繋がっています。

www.huffingtonpost.jp

 少しずつでも、こうして計画が前に進んでいっていて、いろいろな人たちがそれぞれの場所で、やれることをやっていく。自分も、自分の領域でできることをやっていきたいと思います。

 「遅いインターネット計画」以外にも、本当に読み応えのある文章がたくさんあるので、また読み返そうと思っています。

(為田)