読み終わってからもうすぐ1年になろうかという千葉雅也さんの『勉強の哲学 来たるべきバカのために』。オンライン授業がたくさんの学校で行われ、「そもそも学校とは?」「そもそも授業とは?」「そもそも勉強とは?」ということを考えいて、自分がTwitter上に残しておいたメモを読み返してみましたが、これからの学校の姿、学びの姿勢ということを考えるのに、良いきっかけになるのではと思い、まとめてみました。
勉強とは、これまでの自分の破壊である
『勉強の哲学』では、最初に膨大な情報にさらされて、それらに脊髄反射的に思考せずに反応してしまう今日において、「勉強する」とはどういうことなのか、ということが書かれています。
今日、私たちは、「どこにいてもネットの「情報刺激」にさらされ、気が散っている。(略)SNSに次々流れてくる話題に私たちは、なんとなく「いいね」なのか、どうでもいいのか、不快なのかと、まず感情的に反応してしまう。(略)思考以前に、ノれるかどうかなのです」(p.10) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「いま、立ち止まって考えることが、難しい。溢れる情報刺激のなかで、何かに焦点を絞ってじっくり考えることが、難しい。本書では、そうした情報過剰の状況を勉強のユートピアとして積極的に活用し、自分なりに思考を深めるにはどうしたらいいかを考えたい」(p.10-11) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「キーワードになるのが「有限化」です。ある限られた=有限な範囲で、立ち止まって考える。無限に広がる情報の海で、次々に押し寄せる波に、ノリに、ただ流されていくのではなく。「ひとまずこれを勉強した」と言える経験を成り立たせる。勉強を有限化する」(p.11) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「人は、「深くは」勉強しなくても行きていけます。深くは勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方です。状況にうまく「乗れる」、つまり、ノリのいい生き方です。それは周りに対して共感的な生き方であるとも言える。」(p.12) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「逆に、「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まることであり、それは言ってみれば、「ノリが悪くなる」ことなのです。深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである」(p.12) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「勉強を深めることで、これまでのノリでできた「バカなこと」が、いったんできなくなります。「昔はバカやったよなー」というふうに、昔のノリが失われる。(略)しかし、その先には「来たるべきバカ」に変身する可能性が開けているのです」(p.13) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
千葉さんは、勉強することによって、3つの段階を経ていく、と書いていました。第一段階=単純にバカなノリ。みんなでワイワイやれる。 → 第二段階=いったん、昔の自分がいなくなるという試練を通過する。 → 第三段階=その先で、来たるべきバカに変身する。
「まずは、これまでと同じままの自分に新しい知識やスキルが付け加わる、という勉強のイメージを捨ててください。むしろ勉強とは、これまでの自分の破壊である。そうネガティブに捉えたほうが、むしろ生産的だと思うのです」(p.18) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「私たちは、同調圧力によって、できることの範囲を狭められていた。不自由だった。その限界を破って、人生の新しい「可能性」を開くために、深く勉強するのです」(p.19) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
深く勉強するのは、「限界を破って、人生の新しい「可能性」を開くため」だというのは、とても好きなメッセージです。
大切なのは言語
自分が所属しているコミュニティのノリに合わせていかなければいけない我々が、そこからどう距離をとることができるのか、という話が続きます。
「自分は、環境のノリに、無意識的なレベルで乗っ取られている。ならば、どうやって自由になることができるのでしょう?」(p.29)→「環境に属していながら同時に、そこに「距離をとる」ことができるような方法を考える必要がある」(p.30) それを可能にしてくれるのは「言語」だ。 #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「言語それ自体は、現実から分離している。言語それ自体は、現実的に何をするかに関係ない、「他の」世界に属している。(略)言語によって構築された現実は、異なる環境ごとに別々に存在する。言語を通していない「真の現実」など、誰も生きていない」(p.36-37) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「慣れ親しんだ「こうするもんだ」から、別の「こうするもんだ」へと移ろうとする狭間における言語的な違和感を見つめる。そしてその違和感を、「言語をそれ自体として操作する意識」へと発展させる必要がある」(p.52) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
あらゆる勉強に共通の、言語への意識を高める「一般勉強法」とは、「言語を言語として操作する意識の育成である。それは、言語操作によって、特定の環境のノリと癒着していない、別の可能性を考えられるようになることである」(p.53) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「深く勉強するとは、言語偏重の人になることである。言語偏重の人、それは、その場にいながらもどこかに浮いているような、ノリの悪い語りをする人である。あえてノリが悪い語りの方へ。あるいは、場違いな言葉遊びの方へ。」(p.57) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
深く勉強して、言語偏重の人になる=ノリの悪い語りをする人になる。大きな意思決定の場は知らないが、身近な会議などでは、実は「ノリの悪い語りをする人」は非常に大事で、「ノリの悪い語りをする人」を排除するのではなく、受け入れるコミュニティこそ、いろいろな成果を出せるような気もします。
「この勉強論では、可能性をたくさん、無数に考えられるようにするというのが、まず課題なのでした。環境に制約されて、可能性を狭くしか考えられない状態から抜け出すために、言語をもっと自由に使う=言語偏重になる。(続く)…」(p.168) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「環境のノリによって即断せず、立ち止まって環境をメタに眺め、言語をアイロニー的・ユーモア的に使って、別の可能性をたくさん考える。これは、「賢く」なるということです」(p.168) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「ここでの意味で、賢くなるというのは、場にコミットしないで行為をせずに考えているだけだということ。それは、ネガティブに言えば「小賢しく口ばっかり」なのです。とはいえ、勉強とは、まず、小賢しく口ばっかりになることです。僕は確信をもってそう言いたい」(p.168) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
「勉強によってノリが悪くなる、キモくなる、小賢しくなる。勉強する以上、それは避けられない。それが嫌であれば、勉強を深めることはできない」(p.169) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 30, 2019
すごい、こんな勉強論、読んだことないです(笑) 勉強によってノリが悪くなる、キモくなる、小賢しくなる。勉強したらそれは避けられないのです。
「本書では、生活のなかで「独学」することを、勉強の基本姿勢として想定しています。(略)学校に通っていたり、個人的に教師についていても、一人で勉強する方法を知らなければ、勉強は深まりません。」(p.182) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「授業では、学ぶべきことをすべて教えてくれるわけではありません。勉強というのは、自分で文献を読んで考察するのが本体であり、教師の話は補助的なものです。」(p.182) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「授業を聞くときのポイントは、多くを吸収しようとすることよりも、教師が「いかに工夫して少なく教えているか」に敏感になることです。情報の有限化がポイントなのです。教師は、まずは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である。」(p.182) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「その有限化された情報を軸として、自分でさらに本を読み、調べながら勉強を深めていく。教師とは、有限化、あるいは切断の装置です。独学するときには、入門書がこうした教師の役割を果たすことになる。」(p.182) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
では、何に学ぶか?=情報の信頼性は?「信頼性の条件とは、(略)多くの情報を十分に集めて比較するなかで仮固定の結論を出し、さらに比較を継続していること、です。これは言い換えれば、「たえず勉強を続けている」ということにほかなりません」(p.184-185) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
千葉さんは、生活の中での独学を基本として…と書いていますが、僕はこの箇所を読んでいて、「学校という場が、心理的安全な場でなければいけないな」とここを読んでいて強く思いました。新しい言葉をどんどん得ていって、勉強するにつれて小賢しくなるぶん、それを受け入れてくれる仲間が学友としている方がいいと思うからです。
勉強のタイムラインを作る
勉強すること=新しい可能性を開くことであり、そのために勉強のタイムラインを作る、ということが書かれていました。
「勉強とは、これまでの生活に縛られないで自由に考える時間と空間を、これまでの生活のなかにつくることです。勉強を始めることで、生活が二重になる。別の「タイムライン」ができる。これまでの生活から「浮いて」存在するような、勉強のタイムラインです」(p.200) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「勉強のタイムラインを区別して意識するには、それを、はっきり具体的に存在させるべきです―勉強のタイムラインの具体的な存在、などと言うと大げさですが、それは、単純に言って、「勉強用のノート」にほかならない。ノートをつくり、維持するのです。」(p.200) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「勉強用のノートにおいて、未来の可能性と過去のこだわりが、相互作用するのです。 紙のノートと資料を入れるファイルでもかまいませんが、現代的には、多種類のデータを保存しておけるノートアプリを使うのがお勧めです」(p.201)→EvernoteとOneNoteがオススメ。今ならNotionも。 #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
ここで自分でメモをしていますが、勉強用のフォルダをEvernoteで最初に作り、OneNoteへ移し、いまはNotionを使っています。テキストも、写真も入れられるのは本当に便利ですし、なによりテキスト検索がかけられることが、紙のノートとの最大の違いです。
「ノートブックのなかに、束にしていろいろな「ノート」を入れておく。ノートブックは複数つくれるので、社会学用のノートブック、音楽用のノートブック、というように別々につくっておいて、異なる勉強のプロジェクトを同時並行で走らせることができる。」(p.201) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「ひとつのノートアプリのなかに、普段の仕事や学校の科目用のノートブックと、個人的な勉強のためのノートブックをつくっておけば、何をするにもそのアプリを見るようになります。」(p.201-202) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「勉強の経過をノート(アプリ)に書くことは、勉強の継続にとって、重要です。何を読んだのか、どこまで考えたのか、何がまだわからないのかなどを書き、いつでも簡単に開けるようにしておく。サボることがあっても、経過の記録があれば、いつでも戻れる」(p.202) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
ずっとノートが蓄積してくると、10年以上前の自分が書いたメモを目にすることもあります。何度も読み返す本(数冊、そういう本があります)のメモを読み返すと、「あの頃はこんなところをメモとっていたのか」「あの頃はこういうコメント書いているのか…わかってないなあ」と思うことも多いです。もちろん、逆に「この頃からもうこういう考え方か、変わってないな」と自分を再確認することもできます。
まとめ
「ある仮固定から、新たな仮固定へと進んでいく」ということが、勉強を継続するということ。やめるということはなく、どんどん継続して、どんどん変わっていく。そういう姿勢を身につけてもらうことの大切さは、これからの学校には非常に大きな意味を持つことだと感じます。
情報過剰の現代、有限化は切実な課題→「日々、「一応はここまでやった」を積み重ねる。ある仮固定から、新たな仮固定へと進んでいく。それが、勉強を継続するということ。だから(略)勉強は、どの段階でやめてしまっても、それなりに勉強したと言える。中断による仮固定」(p.213) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
「中断によって、一応の勉強を成り立たせる。どんな段階にあっても、「それなりに勉強した」のです。完璧はないのです。しかし、中断の後に、また再開してほしい。中断と再開を繰り返してほしい。そして、勉強を続けている者同士の相互信頼に参加してほしい」(p.214) #勉強の哲学
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) August 31, 2019
改めて、メモをまとめて読み直して、本をもう一度じっくり読み返そう、と思いました。新しい学校の姿、学びの姿を考えるときに、立ち戻りたい考え方がたくさん書かれている本でした。
(為田)