NHKのニュース映像タイムライン 戦争証言アーカイブスをときどき見ています。タイムラインにそっていろいろな映像が見られるのですが、青が「戦況」、赤が「国民生活」です。
こうして記録がすぐに見られることはとても大切なことだと思っています。当時どうやって報道されていたのか、いま振り返って日本ではどのように伝えられているのか、海外ではどのように伝えられているのか、そうしたことと組み合わせて歴史について考えることができるように、こうしたアーカイブがあることが大事だと思います。
www.nhk.or.jp
先日読んだ、福間良明さんの『戦後日本、記憶の力学 「継承という断絶」と無難さの政治学』のなかでは、さらにそこから戦争の「体験」と「記憶」について書かれていました。
住民の戦争体験ではないものが、「自らの記憶」へと置き換えられるようになったのは、やはり知覧に特徴的なことであった。沖縄での地上戦や広島の被爆であれば、現地住民が広く体験したことではあったが、特攻出撃したのは、記述のように、決して知覧住民ではなく、全国各地から集められた陸軍パイロットたちであった。知覧が「特攻」に傾斜していくことは、明らかに「他者の体験」を「自己の記憶」へと置き換えていくことにほかならなかった。(p.212)
一方で、戦争の記憶や戦争体験の継承については、東京大学大学院情報学環・学際情報学府の渡邊英徳 先生が取り組まれている「記憶の解凍」のプロジェクトのことも思い出させてくれます。
「記憶の解凍」プロジェクトでは、ニューラルネットワーク(人工知能技術)により白黒写真の自動色づけをしています。写真に色づけがされることで、記憶を呼び起こす方もいるそうです。テクノロジーで写真に色づけをしながらも、そこに人が介在して記憶を解凍していき、継承していくことをしています。
blog.ict-in-education.jp
こうした戦争の記録・記憶・体験の継承において、テクノロジーがどんな役割を果たせるのかということを考えるいい機会になるように思いました。
(為田)