西山圭太さん・冨山和彦さん(解説)の『DXの思考法』を読みました。企業経営がメインテーマの本ですが、教育・学校の場面でも同じように考えられる要素はたくさんあり、大変勉強になりました。関心があった部分のメモを共有します。
タイトルにあるDXは「デジタル・トランスフォーメーション」のことなので、企業をどう変えていくべきなのか、ということが多く書かれているのですが、その背景にある「デジタルとはそもそもどういうことをできるようにするのか」ということが書かれています。
企業のITシステムのあり方や技術の話だけに着目して、経営そのものの改革に踏み込まないのは真のDXとはいえない」という主張は正しい。だが同時に、人工知能を含むデジタル技術の発展やシステムの変化のエッセンスを理解せずに、経営論や日本の組織風土論だけを語っていても意味がない。この双方向性、そしてその二つをどう統合するのかというところに、デジタル・トランスフォーメーションの本質がある。
また、デジタル化が全面化する時代に変容しつつあるのは、個々の企業の経営のあり方だけではない。企業が活動する産業そのもの、消費者を含めて取引を行う市場そのものが、新しいかたちにトランスフォームしつつある。そしてこうした産業や市場の変化も、ソフトウェアあるいは人工知能のあり方と不即不離の関係にある。上述した既存のガバナンスへのチャレンジは、そのことを示している。そして今後の経営者には、その全貌を大まかに把握し、自らの企業の経営判断に活かすことが欠かせない。その意味において、本書では、産業丸ごとの転換、「インダストリアル・トランスフォーメーション(IX)」を掲げることとする。(p.18-19)
経営のところはそのまま「学校経営」「学級経営」に置き換えて、消費者を「児童・生徒・学生」「保護者」と置き換えてみると、「学校丸ごとの転換」が必要なのだな、と思いながら読みました。
また、ビジネスに求められる能力がどう変わってきているか、ということについて、野球とサッカーの喩えで書かれていました。
「戦略は死んだ」とは、いくらきれいな戦略を書いても、それを実行できる組織能力がなければ、まさに画餅に終わるということである。デジタル技術の急速な発展によって、いまのグローバル競争のスピードは極めて速くなった。その結果、戦略をつくって実行しようとしたころには、環境と合わなくなる、ということになる。したがって、企業が生き残るためには、その時時の戦略を作り込み、PDCAを回し、あるいは今流行りつつある事柄を追いかけて勉強するというやり方ではダメなのである。そうした表面的なことの奥底にあるロジックを個人と組織の身体に刻み込むことが必要になる。それが『コーポレート・トランスフォーメーション』で組織能力と呼ばれたものであろう。そして喩えとして、今後のビジネスは攻守の順番が整然としている「野球」ではなく、一つのピッチの上を両チームが入り乱れて走り回る「サッカー」の時代になってきており、それを身につけない限り、戦略を書いても意味がない、と論じられている。
「経営からソフトウェアの方向に歩く」とは、簡単に言えばソフトウェアを使って戦う新しい競技であるサッカーのロジックを明らかにし、それを身につける、ということである。(p.20)
ビジネスだけの話ではなく、そもそも社会が複雑化して、デジタルも入ってきて、多様になってきているので、そのなかで適切な意思決定をしながら自己実現ができるようにするには、ここで書かれている、サッカー型のロジックを身につけることが大事なのだろうな、と思います(野球でもけっこう複雑だったと思うのに、さらに複雑に…)。これは、新しい学習指導要領が目指していることと近いものがあるのではないかと思います。
この本では、「レイヤー」という概念が多く紹介されるのですが、レイヤーの例として、「世界一予約を取るのが難しい店」と呼ばれていた、エルブジというレストラン*1の話が紹介されていました(p.54-59)。
エルブジがもつ2つのレイヤー
- バルセロナのワークショップのレイヤー
- いきなり具体的な料理そのものやメニューを考えない。
- 様々な食材と調理のテクニックを蒐集しテストすることから始まる。
- 様々な調理方法、テクニックを試す。様々な食材に応用する。
- 食材×テクニックという表のようなものができる。それらと組み合わせるソースも掛け合わせる。
- メンタルパレット(「食材×テクニック×ソース=そこから出来る料理」の大きな表)ができる
- 店でゲストをもてなすレイヤー
- その日の天候や仕入れの状況により、メニューが決定される。
- その日のメニュー全体を通じて表現される経験の全体、世界観のようなものが重視される
「食材研究・料理開発」と「お店でのもてなし」の2つのレイヤーについて書かれていたのですが、これも学校の先生がしていることに近いな、と思いました。「教材研究」と「教室の授業」の2つのレイヤーだと思いながら、この考え方を学校に活かせないだろうか、と思いました。
彼らが全体のレイヤーをバルセロナ側とレストラン側との二つに大きく分けていたことには、明確に意識していた理由があった。それは、具体的な料理、メニューのレベルになると流行り廃りがあるが、素材とテクニックのレイヤーは不変のはずだ、だからこちらの基盤をしっかり作る事の方が重要だという考え方である。バルセロナ側のレイヤーはいわばOSで不変であり、レストラン側で日々繰り出されるものはアプリケーションだと考えられていた。(p.59)
「食材研究・料理開発」と「お店でのもてなし」の2つのレイヤーがOSとアプリとして書かれています。学校で言えば、「教材研究」と「教室の授業」も先生の仕事にとってのOSとアプリなのかもしれないと思います。
ここで書かれていた、「食材×テクニック×ソース=そこから出来る料理」を示すメンタルパレットは、たくさんの教材を研究していて「こういうときにはこういう題材を見せる」とか「こういう子たちにはこういう活動をさせるといいかもしれない」などのひきだしになります。教室の授業のさまざまな場面で、いつでもひきだしから適切に教材や言葉やノウハウを出せるようにしている先生をたくさん知っています。
デジタルによってこのメンタルパレットはより大きく、アクセスしやすく、使いやすくなっていきます。そして、即時的に可変させることができるようになります。どんどん追加していくことができるようになります。
2つのレイヤーを意識しながら、一度自分自身がもっているメンタルパレットを整理してみたいなと思いました。経営の本としてではなく、教育のDXに引きつけて、いろいろと考える機会をもらえる本でした。
(為田)
*1:2011年に閉店。スペイン・カタロニア地方にあった