教育の業界で仕事をしていて、ジョン・デューイの名前を聞くことは多いのですが、家に『学校と社会』が1冊あるだけで、それもあんまり読み返すこともしていないみたいな状態です…そんな僕ですが、図書館の新刊本のコーナーで上野正道さんの『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学』を見つけたので読みました。次に繋がりそうなところを読書メモとして共有したいと思います。
最初のところで書かれていた、デューイが生きたアメリカの事情とそこから生まれたプラグマティズムの話のところ、大事だと思いました。
もともと多くの移民からなるアメリカは、多様な人種、民族、言語、文化、宗教、社会背景をもった人びとが集まって開拓し、発展した歴史をもっている。母国にある古くからの人びとの習慣や考え方、社会的なルールや規範、生活を取り巻く自然環境をそのまま持ち込んだとしても、異なる状況のもとではうまくいくとは限らなかった。
とくに、西部開拓のフロンティアにおいては、何か真理や正しい観念であると信じられていたものであっても、それらをそのまま適用すれば問題が解決するというような確実な保証があるわけではなかった。新しい社会的な条件や自然環境のもとでは、それまでの観念や信念がどんなに素晴らしいものであったとしても、それをみずからの行為や探究をとおして絶えず確かめ直し、再検証するとともに、異なる思考や習慣、考え方、価値観をもつ人と対話し、議論し、つくり変えることが求められる。
そこでは、真理や観念は、行為に先立って確実な成功を保証するものではなく、それぞれ異質な人びとが互いに思考し、探究し、課題を解決する結果の観点から理解することが大切になる。そして、このような思考や探究、対話のプロセスをとおして、互いに関心を分かちあい、共有するコモンの経験をもつことが、多様な人たちがよりよく生き、よりよい社会や世界をつくることにつながっていく。(p.2-3)
「真理や観念は、行為に先立って確実な成功を保証するものではなく、それぞれ異質な人びとが互いに思考し、探究し、課題を解決する結果の観点から理解することが大切になる」、というところ、いまの学校を取り巻くいろいろを考えるときに、本当に大事だと思います。「どの考え方がいい」とか「どのアプリがいい」とか、何が真理かを決めるよりも、それぞれの観点から理解するような文化にすることが大事だと思います。こういう文化を作るお手伝いをしたいな、と僕は思っています。
次に、デューイが学校をどんなものであると考えていたのか、というところです。学校のカリキュラムを作るときに読み返したいと思います。
デューイは、学校が「社会的制度の一つ」であり、「コミュニティ生活の一つの様態」であると考えた。彼はまた、教育が将来の準備ではなく、「人生のプロセス」であり、現時点での子どもの「生気にあふれる人生」を表現するものでなければならない、と述べている。
学校のカリキュラムは、人びとが生きることとは無関係に、専門科目や読み書きの教科が配置されるべきではない。文学、歴史、家庭科、裁縫、図工、科学など、それぞれの教科を有機的に結びつけた「相互関係」を構築する必要がある。こうした教科の相互関係を形成するのは、子どもの「表現的活動」と「構築的活動」に支えられた「子ども自身の社会的活動」であるという。
こうしたデューイの教育思想の展開は、1894年にシカゴ大学に転じ、そこで新たな実践に挑戦したことが大きい。(p.34)
もうひとつ、デューイの教育の哲学について書かれている部分も紹介します。
デューイの思想を単純に「旧教育」か「新教育」かという枠組みだけで解釈すべきではないことである。彼は、よく見られるような、教科と子どもを対立させる見方を超えて、学びを本当の意味で生きたものにしようとした。
デューイのなかで、子どもの「生活」とされているのは、「ライフ(life)」や「リビング(living)」の訳であるが、言い換えるとそれは「生命」であり、「生き方」であり、「生」そのもののことである。「生活をする場」としての学校は、教師と子どもたちがともに生きる場であり、またつねに豊かな学びがあらわれ、生成する場であることを意味している。生きることと学ぶことを基本とする、デューイの民主主義と教育の哲学もここから生まれてくる。(p.39)
プロジェクト学習に関するところについても書かれていました。デューイ・スクールの「プロジェクトと目的」、より詳しく知りたいなと思いました。
デューイとキルパトリックの学習観には隔たりもあった。教育史研究者のダイアン・ラヴィッチによれば、キルパトリックの「プロジェクト・メソッド」では、「何を学ぶか」ではなく、「どう学ぶか」だけが問題とされ、教科や教材の価値を教えることを認めないのに対し、デューイ・スクールの「プロジェクトと目的」では、歴史や算数や理科の教科がどうしたら子どもたちにとってより豊かにおもしろく学ばれるかについて入念な計画を立てて進められた。
デューイにおいては、「何を学ぶか」という対象の問いが、「どのように学ぶか」という方法の問いと密接に結びつけられていた。問題解決的な学びやプロジェクトの学びは、デューイやキルパトリックによる力点の違いを含みつつ、新たな方向づけを与えられたのである。(p.87)
デューイの『明日の学校』は、名前は知っているけど読んだことがない著作なのですが、『明日の学校』について書かれている部分も大変おもしろかったです。「learning by doing」について書かれていました。
p.90
「『明日の学校』では、当時の進歩主義学校の実践が数多く紹介されている。同書のなかで提示された有名なスローガンの一つに、learning by doingがある。この「なすことによって学ぶ」あるいは「おこなうことによって学ぶ」という原理は、今日の「アクティブ・ラーニング」と同義であるとみなす解釈も多い。(p.90)
また、教師の役割の変化、学校の学びについても書かれていました。年代とか隠して読んだら、「最近の教育改革のこと?」と勘違いしそうなほどですね。
デューイとエヴェリンによれば、「なすことによって学ぶ」ことは「生きることを教えること」である。教師は、「案内人」の役割から、「観察者や援助者」の役割へと変わるという。教師は、個々の子どもの「考える力」と「推論する力」の発達を促す観点から、彼らを観察するようになり、また子どもの「判断力」と「行動するための力」を訓練する手段として、読み書きや計算を用いて教えるのである。子どもたちは、「活動的」になり、「質問者」で「実験者」になる。学校の学びは、「人びとを結びつける社会的活動のネットワーク」として理解され、それによって、「学ぶことと生き生きとした社会的活動とのつながり」が生まれるのである。(p.95)
1928年にニューヨークのコモドール・ホテルで開催された進歩主義教育協会第八年次大会で、デューイは「進歩主義教育と教育科学」という講演をおこなった。そのなかで、進歩主義的な学びと学校の前進には、「教育科学の発展」が不可欠であると話している。彼は、『明日の学校』で示した「なすことによって学ぶ(learning by doing)」という進歩主義学校のスローガンについて、「ただなすこと(doing)だけではいかにそれが活発なものであっても十分ではない」と問題点に切り込んだうえで、子どもたちの生きた経験や興味にもとづくプロジェクトの活動を取り入れつつ、教科や教材を科学的に系統立てて組織化することを提案した。(p.169-170)
デューイは日本をはじめいろいろな国へ行っていて、それぞれの国の教育に大きな影響を与えています。日本での影響についても書かれていました。奈良女子高等師範学校附属小学校の発行した雑誌の一節が紹介されていたのですが、これもとても素敵だと思いました。
奈良女子高等師範学校附属小学校の木下竹次は、「学習即生活」という理念を示し、それぞれの教科を別々に理解するのではなく、教科を総合的に統合する「合科学習」を展開しようとした。彼は、1923年の『学習原論』(木下 1972)で、つぎのように記述している。「学習においては、みずから機会を求めて活動することをすこぶる重要視する。初学年の児童でもこれを学習の境遇に導きこんでおくと、次から次へと機会を求めて、活動を継続するものがある。……教師中心の教育においてはこの重要な要件にみずから遠ざからせる傾向がある」。
この学校が発行した雑誌『伸びて行く』(1924年)で、木下は、「何にかぎらず先づ独自で学習してみる、疑うて、解いて、叉疑うて、手の着くところから学習を進める。或は実験実習に依り、或は図書図表により、或は指導者にみちびかれて、かくして相互学習に進み行く。更に再びもとの独自学習にもどる。ここに著るしい事故の発展がある」と書いている(木下 1924)。木下の学習観は、個々の子どもが自分たちで学びを進める「独自学習」と、集団で協同的に学ぶ「相互学習」を、独自学習→相互学習→独自学習というように、交互に進めることを特徴としている。このような木下の学習観は、デューイのそれと比較されることも多い。(p.130-131)
そして、読み終わって、いまさらですけど、ジョン・デューイ、すごいですね…。
こうして脈々と続いている思想の系譜を、リスペクトをもって、いまの学校にあうようにアップデートしていく、という仕事をしていきたいなと思います。そのためにはもっともっと勉強もしないといけないし、現場で子どもたちをたくさん教える機会ももたないといけない。両方、追いかけていこうと思います。
(為田)