奈須正裕 先生と伏木久始 先生の編著『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』をじっくり読んで、ひとり読書会として読書メモをまとめて公開しています。ちょっと前回から間が空いてしまいましたが、今回は白水始 先生が書かれた「第10章 協調学習とは何か」です。
章の最初で、白水先生は「協調学習とは、人が他者との対話を通じて自らの理解を深める学びのことである」(p.197)と書きます。この章では、「協調学習」と、その実現手法としての「知識構成型ジグソー法」が解説されます。この2つ、ちょっと混ざって理解していたのですが、そのあたりの区別もしっかり書かれていて勉強になりました。
「協調学習」のねらいと概要
「協調学習」と、その実現手法としての「知識構成型ジグソー法」をはじめて結びつけて提案したCoREFの解説が紹介されていました(CoREF「協調が生む学びの多様性(平成22年度活動報告書)」2011年)。
(協調学習で)目指しているのは、子どもたち1人ひとりが自分たちなりのわかり方をつかみ、まだわかっていないのはどこかに自分で気づき、その不足分を埋めて理解を深めながら次に知りたいことを自然に見つけて行く学びである。(p.198)
ここで、「「協調学習」がその「協調」という響きからは意外なほど、「個人」のメタ認知を重視している」(p.198)と書かれています。協調学習という言葉から、みんなで話し合って…というふうに手法の方にすぐに行くのではなく、その基盤として個人のメタ認知を重視する、というところ、とても大切だと思います。
協調学習が目指している、「子どもたち1人ひとりが自分たちなりのわかり方をつかみ、まだわかっていないのはどこかに自分で気づき、その不足分を埋めて理解を深めながら次に知りたいことを自然に見つけて行く学び」という表現は、とても魅力的です。そして、こうした学びのプロセスは、人がうまく学んでいる場面ではよく見られる、ということが続けて書かれています。
贅沢な目標のように聞こえるが、人がうまく学んでいる場面を詳しく観察すると、このようなプロセスが順を追って起きていることが多い。言い換えると、人には、子どものころから、このようにして学んでいく認知的な能力が潜在的に備わっている。この能力は、例えば、人が何かに気づき、その気づきを意識的に他の人に説明しようとするような時、自然に発現される。何か大事なことに気付いたという自覚があって少し考えの違う人と議論しようとする時などは、特にそうなる。この能力が発現すると、1人ひとりに、自分なりの、自分しか持っていない、だからこそ次の学びにつながる「わかり方」が育つ。このようにして起きる学習のことを「協調学習」と呼ぶ。その意味で、「協調学習」は学習が起きる原理、構成概念の1つであって、教育改革運動や特定の教育メソッドの名前ではない。(p.198-199)
「協調学習」は人の自然な学び方に立脚しているものであり、だから特定の運動やメソッドを指すわけではない、というのは確認しておきたいです。このあたり、僕自身はちょっと明確にもてていなかったです。
協調学習の原理としての2つの相互作用理論
続いて、協調学習が原理として立脚する「人の自然な学び方」について書かれていたので、まとめてみました。
協調学習が原理として立脚する「人の自然な学び方」は、2つの相互作用の組み合わせとして考えるとわかりやすい。(p.199-200)
- 各個人にとっての「内外相互作用」
- 個人間に起きる「建設的相互作用」
「内外相互作用」と「建設的相互作用」が組み合わさった協調問題解決場面では、2つのタイプに分かれるそうです。
こうした協調問題解決場面を観察すると、皆で心を一つにして問題を解こうとするのではなく、まずは問題に取り組み、解を提案・説明しようとする「手の早いタイプ」とそれを見守る「聞き手タイプ」に分かれることが多い。前者を課題遂行者、後者をモニターと呼ぶ。(p.200)
教室で子どもたちの話し合いを見ていても、こういう感じにタイプが分かれているのは何となく感じることがありそうだな、と思いました。どちらが良いというのではなく、タイプが分かれる、ということですね。
建設的相互作用を引き起こす「知識構成型ジグソー法」
ここで、協調学習を実現する手法の1つである「知識構成型ジグソー法」について紹介されます。さっき出てきた、課題遂行者とモニターがやりとりするような対話を生むための型が、「知識構成型ジグソー法」なのです。
教室でも課題遂行者が「こうじゃない?」「だから、こうなるよね」などと提案したら、モニターが「だったら~ってこと?」「でも、ここがさ」と応える対話が起きてほしい。そのための型が「知識構成型ジグソー法」である。(p.201)
こういうやりとりが生まれる教室/授業はいいな、と思いますね。知識構成型ジグソー法のステップも紹介されていたのでまとめました。
知識構成型ジグソー法は全部で5ステップからなる(p.201)
- プレ記述
児童生徒は教師から提示された課題(メイン課題)について個人で考え、考えを書き出す- エキスパート活動
グループに分かれて、課題に対してよりよい答えを出すためのヒントになる知識を3つ程度の資料などで分担して確認する- ジグソー活動
異なる知識を確認したメンバーが集って新しいグループをつくり、課題解決に取り組む- クロストーク活動
各グループの答えをクラス全体で聞き合い、比較吟味する- ポスト記述
問いに対する答えを再度個人で書いてみる
CoREFのサイトでも、「知識構成型ジグソー法」がまとめられています。ちょっと表現は違いますが、こちらも合わせて読んでみました。
ni-coref.or.jp
このあと、小学校理科と中学校社会での知識構成型ジグソー法の実践事例が紹介されていました。授業での実践が紹介されているとイメージが湧きやすいです。知識構成型ジグソー法は、自分で教えたことがないので、どこかでチャレンジしてみたいな、と思いました。
教育の未来のための協調学習
章の最後に、「教育の未来のための協調学習」と書かれたところがありました。ここで書かれていた、授業改善のアプローチの話が興味深かったので、これもメモしておきます。
授業改善は、「パッケージ化アプローチ」と「ビジョン提示アプローチ」の間を揺れ動いてきた。(p.210)
- パッケージ化アプローチ
- 教材と学習活動をセットにして、あたかも商品パッケージのように教育現場に差し出せば、児童生徒の「有能で能動的な姿」は一時的に引き出せる。
- しかし、教師が自分で授業づくりをしているわけではないので、授業力は向上せず、効果は長続きしない。
- ビジョン提示アプローチ
- 目指すべき教育の理念や授業観・学習観のビジョンを示し、授業そのものは教師の自主性に任せると、教師力向上のためのコミュニティ形成につながりやすい。
- しかし、ビジョンを実現する具体性が不足するため、実現に時間がかかり、コミュニティのメンバー間で対話がしにくい問題がある。
いろいろな形で学校での授業改善のお手伝いを仕事としてしていますが、「パッケージ型アプローチ」と「ビジョン提示アプローチ」という2つのアプローチのどちらかによっていることがたしかに多そうだと思いました。
そのうえで、「知識構成型ジグソー法」がこの中間をねらっている、と書かれていました。
「知識構成型ジグソー法」による協調学習の実現は、両者の中間をねらうアプローチである。5つのステップは提示するが、問いと部品(資料等)は教師がつくらねばならない。その一方で、実現したいビジョンとしての協調学習だけでなく、そのための型がある。それゆえ、型は単に「なぞればよいもの」として存在するのではなく、教師にとって児童生徒の建設的相互作用を引き起こす手段であり、そのなかでの一人ひとりの多様な内外相互作用を保障するためのものである。さらには実際ねらった学びが起きているのかを見とるための「観察の窓」である。(p.210)
そして、最後に授業を慶全するために大切なことも書かれていました。僕のように外部から学校をサポートしている人間には、とても響くメッセージだと思いながら読みました。肝に銘じます。
授業を改善したいのなら、関係者すべてが「こうしたらうまくいくはず」という仮説を立て、誠実に謙虚に検証していくしかない。そのサイクルを絶え間なく回し、「人の学びを確実に予測する原理」を実践のなかで探すしかない。これを日々行おうとしているのが「学習科学」という研究分野であり、協調学習もその1つの実践対象だということになる。(p.212)
まとめ(というか、気づき)
「協調学習」と「知識構成型ジグソー法」の関係性が整理できたのは自分にとってよかったと思います。「知識構成型ジグソー法」は、自分で教えてみたことがないので、教えてみたいとすごく思いました。自分でやってみないとわからないことがたくさんありそうだし、児童生徒がどんなふうな反応するのか見たいです。
とは言え、僕のいまの学校での授業の持ち方だと、なかなか「知識構成型ジグソー法」を取り入れる授業は難しいので、授業を参観させていただいて、レポートを書いて、というなかで自分の経験値を上げたいとも思いました。「知識構成型ジグソー法」をしていて「うちの授業、見に来てもいいよ」という先生、いらっしゃればぜひご連絡ください。
No.10に続きます。
blog.ict-in-education.jp
(為田)