7月11日・12日に、異才発掘プロジェクトROCKETのスクーリングの様子を取材してきたので、内容と感想をレポートします。ROCKETは月1回のスクーリングを実施しており、そこでさまざまな分野の専門家によるトップランナー講義とディスカッション形式の授業やPBL形式の授業をしています。現在は、第1期生と第2期生で、小学校5年生~高校2年生までの子どもたちが参加しています。
7月は、11日にアラブ研究者の池内恵氏による「イスラーム世界からみた世界」というテーマの講義と、12日に宇宙飛行士の山崎直子氏による「宇宙、人、夢をつなぐ」というテーマの講義がありました。11日のトップランナー講義の前には、「今の世界情勢を議論する」というテーマで大討論会を実施しており、今回は、この大討論会の様子をレポートいたします。
11日の授業は、以下のような流れで進み、全体を通して「俯瞰して見る」ということがテーマとされていました。
講師の中邑賢龍教授が、2日間のスケジュールとテーマについて説明していきますが、その間も、子どもたちから出てきた発言を拾って、雑談や寄り道もしつつ進めていきます。自由で和やかな雰囲気がいいなと思いました。中邑教授と子どもたちとの間に強い信頼関係を感じました。
▲子どもたちが討論している様子(右端が中邑教授)
テロや世界情勢を、自分事として捉える
ここまで、スケジュールとテーマ説明はプロジェクタを使って立って説明をされていましたが、討論会開始と共に、中邑教授も子どもたちと一緒に円卓の中に入って、場を仕切っていました。派手な演出ではありませんが、こういう環境・場の変化を作ることで、話題が切り替わることがわかりやすくなり、メリハリができます。
討論会の始まりは、中邑教授の次のような投げかけから始まりました。(以下敬称略)
中邑 「みんなは学校というせまい世界で生きているけど、今の学校制度があるのも、日本の歴史や世界の制度も影響しているんです。みんなはポピュリズムって知っている?」
「排他的?」「多数決?」
中邑 「ポピュリズムは、民衆受けするようなことを言って、政治家になる人のことを言います。」
「トランプさんみたいな感じか」
中邑 「今回のテーマである「俯瞰して見る」つまり、鳥のように今起きていることを上の方から観るということが大事です。「俯瞰して見る」ということができないと、ポピュリズムのような人の言うことを信じて振り回されてしまうということもあります。ところで、みんなは、今の生活に満足している?」
「満足している」が約8割
「満足していない」が約2割中邑 「満足していない人の理由は何?」
「やりたいことが学校へ行くとできない」
「別の場所に行って、いろんなことを知ってみたい。
自分が今どんなことが起きているか事実を知らないことが多い気がする。
政治とか見てると、わからないことがある。」中邑 「じゃあ、テロが起きているところに旅行に行ってみようか。行ってみたい人。」
「行ってみたい」が約4割
中邑教授は、いきなり世界情勢やテロの話をするのではなく、子どもたちにとっていちばん身近である学校、その学校という制度自体が歴史や世界の制度が影響しているということを指摘し、子どもたちが関わる世界と世界情勢・制度・歴史が関連していることを、子どもたちと会話をするように質問も交えて話し始めていました。
最初に、子どもたちと同じ円卓の中に入って、同じ目線になって話すという環境デザインもうまく影響していると思いますが、中邑教授の最初の切り込み方や質問の仕方が、子どもたちにとって入りやすく、つなげやすくされているなと感じました。そして、ここから、テロの話題へと変わっていきました。
「成功すると上げ足をとろうとする人がいるから、不満が出てくるんだと思う」
「バングラディッシュのテロは、高学歴だったり、家庭が裕福な人が首謀者だったりした。自暴自棄でやったというより、もっと複雑な感じ。政治や上の世界が絡んでいそう」
「イスラム教徒は、神である私達がこんなに苦しまなくちゃならないのかと考えている。妬みが噴出しているのではないか。経済的に発展している国に不満を抱えているのではないか」
「すべての移民の人たちが悪い訳ではないのに、難民受け入れをしないようにしたりしている。原因として、人種差別や経済格差もありそう」
中邑 「みんなは、差別されたことある?」
「いじめをされたことがある」が約3割
中邑 「みんなの家は貧しい?」
「困らない程度に暮らせている」
子どもたちから、差別や経済格差などのさまざまな意見が出てきたところで、上記のように、中邑教授から子どもたちに質問が投げかけられ、他国で起きている出来事を、日本だったらどうか自分の場合はどうかと自分事として考えられるような質問をされているように感じました。
ルールをなくしたらいい!? ルールがある意味を考える
中盤になってくると、中邑教授からの質問は徐々に少なくなり、挙手する子どもたちを指名し、要所要所で子どもたちの発言を要約したり、「違う意見はない?」と偏った意見ばかりや多数派の意見ばかりにならないように、ファシリテーターとしての役割が変化していっているように感じました。
そうしてテロが起きた原因が何か議論している中で、1人の男の子が、その後の議論の軸となるコメントをしました。
Aくん 「小さい頃から思っていたことなんだけど、争いが起きないようにルールを作ったけど、そのルール自体をなくしたら、ある意味平等な世界になるんじゃないかなと思う。欲しい物を奪っていい世界。強い者につくというのも手段だし、隠れて暮らすのも手段。すべて自分の力でやらなくちゃいけない。テロが悪いことではなく、テロが起きることが当たり前にしたら、平和なのでは?」
Bくん 「テロが起きている国は、秩序があまりしっかりしていない。秩序がしっかりしている日本みたいな国だと、テロが起きにくくなっているのでは?テロとか当たり前にしたら危険」
Cくん 「法がなくなったら、平等になるかといったら違うと思う。昔に戻るだけ」
Aくん 「ぼくが言ったのは、もし人が集団にならなかったら…という発想。集団になると差別が生まれる。すべて自分の力でやらなくちゃいけないという世界なら、差別がなくなるのでは」
Dさん 「個人だとしても、結局集団として固まってしまうと思う。能力主義というか強い人しか残っていかないということになる」
Bくん 「テロで亡くなった人数より、交通事故で亡くなった人数の方が多い。でもテロの方が取り上げられる。それは悪意があるから。イスラムの人は生き残るために集まっている訳ではないと思う」
Aくん 「群れるのも勝手。戦うのも勝手。戦って負けるのも、その人の勝手」
Eくん 「自分が戦いたくなくても、相手から戦ってこられる場合もある」
Dさん 「日本は、社会保障などもなくて暴動が起きてきたりしていた。昔のように戻すのは問題だと思う」
Aくん 「そもそも社会保障とかは、弱い者を支える制度。弱いって言うけど、本当は弱いとは限らない。ここにいるみんなと同じように違う捉え方をしたら強い人間かもしれない」
Fくん 「個人的な意見だけど、ルールがなくなったら、好きなことができないから、ぼくは嫌だ。生きることが第一になってしまうから。安心できない世界だと、安心して好きなことができない」
Gくん 「ルールがなかったら、手足がないような人は、負けてしまう」
Hくん 「強さというのは、いろんな意味があると思う。」
Aくん 「そう。力の強さもあるけど、相手を説得するトーク力も力だし、媚びるのが得意というのもある意味強さ」
Cくん 「個人個人の違いを受け入れるだけの心は、今の人間にはないと思う」
Iくん 「今も、自己責任の世界だと思う。全部の道具やシステムをなくしたら、今の日本より幸せではないと思う」
中邑 「Aくん、もしAくんがリオのイスラム街に残されたらどうする?」
Aくん 「そういう世界で死ぬのは、僕の定めだと思って、先生を恨んで死ぬ。今の世界は、頭のいい人間のためだけに作られた世界であって、まとまるのが苦手な人間は除外されたり、戦地などで戦力として戦う能力がある人は今のルールじゃ才能を活かす場がない状態。人を平等にしなくちゃいけないというルールは、頭のいい人が勝手に作ったルール」
Cくん 「ルールによって、はみ出し者ができてしまうっていう考えか」
Bくん 「ルールを作るっていうことは、ルールを作る理由がある。はみ出し者が出るのはしょうがない」
Aくん 「戦うのが得意な人がイスラム国を作ったんだと思う。人の命が大事とかやさしくするのが大事というルールを押し付けられた」
中邑 「やさしさを理解できない人間がいるということか。そもそも命というものは、いちばん大事なものなの?命より大事なものがあると思う人?」
「命より大事なものがあると思う」が約半数。
出てきた意見は、
「心」「良心」「種」「宇宙」「自然」「信仰」「ルール」「感情」「自分」中邑 「たくさんの意見が出てきましたが、池内さんの講義では、僕たちがここで考えていることとはまったく違う考えで世界を見ている人の話が聞けると思います。何も知らないまま、目先の利益だけをみて生きることは怖いと思います。そこから俯瞰して見るということが必要です。」
討論会の最後として、多数決をとってどの意見が優れているかのようなことをすることもありますが、今回のような正解のないテーマについては、その場で無理矢理答えを出す必要はないと思います。中邑教授がやっていた手法としては、「命より大事なものはある?」という質問をして、「ある」という人に具体的に何か聞いていき、この場でもさまざまな意見・考え方が出てきたことにつなげ、さらにその後に続く池内恵氏の講義においてどんな観点で話を聴いてほしいのかをうまく結び付けていたように感じました。
講義を聴く前に、今の自分たちが考える世界情勢をディスカッションしながら、自分にはない考えを聴いたり、同じ意見でも考え方が違う人の意見を聴くことで、自分自身の考えを見つめ直すことができるなと思いました。また、そうやって議論して考えたあとに講義を聴くのと、ただ講義を聴くのでは、自分事として聴く姿勢も違うだろうなと思いました。
また、今回は、子どもの方から「ルールをなくしたらいい」という突飛な意見が出てきましたが、普段考えもしない価値観や視点で考えさせることで、普通に考えるのでは出てきにくい意見が出てくるものだと思います。子どもたちの考えを深めるために、敢えて突飛な質問をしてみるというのは、一つの手法だと思います。
次回は、この大討論会のあとに実施された、池内恵氏の講義「イスラーム世界からみた世界」の様子をレポートします。
(前田)