教育ICTリサーチ ブログ

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書籍のご紹介:『7つの神話との決別 21世紀の教育に向けたイングランドからの提言』

「変化の速いこれからの時代を生きる子供たちには、正解のある知識を覚えることではなく、答えのない問題を他者と協働しながら解決していく力(スキル)が求められる 」

 上記のような主張に対して異論のある方はあまりいらっしゃらないのではないかと思います。でも、もしもそのために取り組んだ授業改善の方法が間違っているとしたら…?
 デイジー・クリストドゥールー『7つの神話との決別 21世紀の教育に向けたイングランドからの提言』では、イングランドで(そして日本を含む全世界で)近年トレンドとなっている、知識の伝達よりもアクティビティーやプロジェクト学習を重視する教育改革に対して警鐘をならしています。

 本書で「神話」として批判されているのは、以下のような7つの定説です。

  1. 実感の伴わない知識の詰め込みは本質的な概念理解を妨げる
  2. 教師主導の授業は学習者を受け身にしてしまうため、最低限の指導と自己発見を通じて生徒自身が学ぶようにしむけるべきである
  3. 21世紀に生きる子どもたちは前世紀とはまったく異なる教育を受ける必要がある
  4. インターネットで簡単に調べられる知識よりも、その調べ方や使い方を教えるべきである
  5. 知識を学ぶ代わりに、あらゆる問題に適用できる「学び方(スキル)」を学ぶ必要がある
  6. 科目ベースの教え方では世界を総合的に理解できないので、現実世界の問題の解決を通じて教科横断的に学ばせるべきである
  7. 「学ぶべき知識」の選定は、選定する人の価値観で生徒を洗脳する恐れがあり、政治的に偏向した行為である

 本書の大きな特徴の1つは、膨大な参考文献の数。著者は、一つ一つの神話に対して、古今様々な文献を例に出しながら、「その『神話』が信じられてきた背景」、「現場での実践例」を紹介した後、「その神話が誤りと言える理由」を述べていきます。個人的な経験に基づいた感情論的・情緒的な主張ではなく、多くの先行研究に基づいた主張には説得力があります。

 その根底に一貫して流れるのは「知識なしでスキルを身につけることはできないので、スキルよりも知識を重視するカリキュラムを立てるべき」という主張。

もし生徒に分析力や評価力をつけさせたいのなら、生徒はものを知っていなければならない。ダン・ウィリンガム(Dan Willingham)は次のように言う。

 最近30年のデータを見ると、科学的にはもう反論できない結論が導きだされている。つまり、よく考えるためには事実を知らなくてはならず、それは単に考えるためには対象が必要だからというだけではない。理由付けや問題解決のようなクリティカル・シンキングのプロセスは、教師が最も育成しようとするプロセスであるが、これも長期記憶に保存された事実に関する知識と密接に絡み合っている(周囲の環境の中から発見できるものではない) (p.34)

 本書では、イングランドで「好事例」として賞賛されている実践の例がいくつも紹介されていますが、それらはいずれも教師からの知識の伝達を最小限にとどめ、プロジェクトやアクティビティーを通して学習者自身が知識や概念を獲得していくことを推奨しています。
 しかしながら、背景となる知識を十分持たないまま複雑な現実の問題に取り組ませることは学習者に無用な認知的負荷をかけるだけでなく、学習効率を下げると著者は主張します。

3年生の授業において、「ディスカッションがなされたから」と言って、子供たちが理解すべき健康と安全にかかわる重要なルールを作る出せるとするのはあまりにも楽天的であり、また極めて危険なことでもある。ニュートンが言ったように、私たちは巨人の肩に乗ることにより学ぶのである。もし人類が試行錯誤を経ることで、危険で避けるべき行為が分かってきたのであれば、その学習を初学者だけのディスカッションに任せるよりは、教師に明確に言ってもらう方がより安全であり、効率的である。(p.57)

専門家が使う効果的な戦略には、問題を解決する時に自らに語りかけるというものがあるが、それは彼らがすでに十分な背景知識や思考プロセスを持っているからこそ有効なのである。問題解決をする時、自らに語りかけなさいと生徒たちに勧めても、彼らを専門家にすることはできない。(p.133)

 つまり、背景となる知識量が絶対的に不足している学習者がいくら自らの持つ限られた知識の範囲内で試行錯誤をしたとしても、既に持っている知識以上のものを発見することはとても難しく、また仮にできたとしても極めて不完全な理解に終わってしまうというのです。リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したといわれるニュートンのように、天才と呼ばれる人は、時に無から有を作り出すかのような革新的な発想をすることがあります。しかし、そういった発想も長期記憶の中に蓄えられた知識と知識がつながることで生まれるもので、背景となる知識を持たない学習者に何度リンゴが落ちるところを見せたところで、万有引力の法則を発見することはできません。このように、「専門家のやり方を表面的にまねただけでは専門家になれないばかりか、その思考プロセスをまねることもできないので、まずは専門家になるための知識をしっかりと蓄えましょう 」というのが著者の主張なのです。

 念のために断っておくと、著者は必ずしも「21世紀型スキル」に代表される教育改革の目的自体に反対しているわけではありません。本書の中でも

私の目的は、真の概念理解や、重要な意味の純粋な評価や、高次のスキルの育成を批判することではない。これらはまさに教育の真の目的である。(p.29)

私は、教育とは、自信に満ち、想像力豊かで問題解決能力がありクリティカルに考えることができる生徒を輩出することを目指すべきであるということには賛同するし、生徒たちに21世紀に十分対処できるような準備をさせるべきであると言うことにも賛同する。
(中略)
生徒たちは能動的な学習者であるべきであり、授業は魅力のあるものでなくてはならないということにも同意する。(p.173)

 などとくり返しその点を強調しています。
 しかしながら、そのために事実(知識)学習を減らし、アクティビティーやプロジェクト学習の時間を増やすというアプローチが誤っているのではないかと主張しているのです。

問題はこれが「ロミオとジュリエット」について学ぶはずの英語の授業であるということだ。もし授業の目的が操り人形を作ることなら、よい授業であったと言えるだろう。(p.139)

 こういった意見は、新学習指導要領の実施を2020年に控えた日本にとっても他人事ではありません。新学習指導要領のキーワードである「主体的・対話的で深い学び」や「カリキュラムマネジメント」「プログラミング的思考」などはいずれも重要な視点ですが、万が一その本質と目的を見失い、活動にばかり気を取られてしまうと、著者が主張するような落とし穴にはまってしまうかもしれません。

 本書の中で印象に残った記述として、「21世紀型スキルと呼ばれるものの中で、21世紀特有のものは1つもない」というものがありました。実際、科学や工学の歴史がそうであるのと同様に、教育改革の歴史も必ずしも常に右肩上がりに進化してきたものではありません。時に回り道をしたり、後退をしたりして何度も同じところを行き来しながら、その時々で最良と思われる方向を模索してきた結果として今があるのです。

 「教育に答えはない」とよく言われます。しかし、だからこそ答えを探すことをやめるわけにはいきません。そのためには、何よりも教育に関わる我々自身が、柔軟に新しい知識を吸収し、考え続けていくしかないのです。
 教育に関わるすべての人に、是非読んでもらいたいと思わせられる一冊でした。

(清遠)