先日登壇させていただいたオンラインイベントで、参加者の先生方と一緒に「一人1台の情報端末が入るが、先生中心で使うのではなく、学習者中心のかたちで使うのが大事」という話を確認し合う場面があったのですが、ちょうど読んでいた佐伯夕利子さんの『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』の内容とつながる部分があったので、ご紹介したいと思います。
佐伯さんは、スペイン在住の現Jリーグ常任常勤理事の方です。本の副題にある、「ビジャレアルに学ぶ」と書かれているビジャレアルは、スペインのプロフットボールクラブです*1。そのビジャレアルで、育成年代の選手たちにどう接していくのか、ということが書かれている本です。
villarrealcf.es
日本では部活でのハラスメントなども報道されています。自分自身の経験としても、体育会系のチームでコーチに怒られてスポーツをしていた人も多いと思います。そうした日本型の育成とスペインの育成は違うのではないか、と思っていましたが、そんなことはないそうです。
スペインも以前は、命令されて従うような文化があったようです。独裁政権で苦しんだ歴史を経て、民主化が進み、かなりのスピードで市民のなかに自由の解釈、多様化が進みました。自由が都合よく解釈される部分や、秩序、倫理の不安定さはあるものの、子どもたちが発言を許される空間や、発言することを恐れない文化は定着しているようです。
対する日本は、頑張るし真面目だけれど、子どもたちに自分で思考する習慣がありません。意見しても受け止めてもらえなかったり、リスペクトしてもらえない。大人がもっている答えがすべてという文化です。私も日本の高校に通ったのでよくわかります。振り返ると、考えることをやめてしまっていたなと思います。
自分で考え、主張できる文化へと変わらない限り、サッカーの練習に来た子どもに「自分で考えろ」と命じてもハードルが高いでしょう。学校の教室が変わらなければ、根本的なことは変わらない。スポーツも社会も、その基盤は教育なのです。
クリエイティブで主体的に考え、エラーを繰り返しながらトライをし続けるような思考回路を持ったアスリートは生まれにくいでしょう。(p.79-80)
「クリエイティブで主体的に考え、エラーを繰り返しながらトライをし続けるような思考回路を持った」大人を育てたいと思っていますので、とても参考になることがたくさんありました。「フットボールクラブ」ということでなく、「学校」や「学級」に読み替えられるところもたくさんあります。
「教える」は、指導者や上司が主語です。一方の「学ぶ」は選手や部下が主語になります。指導者はあくまで選手の「環境」の一部と言えます。
したがって、彼らは教えません。手取り足取り教える代わりに、選手が心地よく学べる環境を用意し、学習効果を高める工夫をする。「教え方がうまい」といった指導スキルではなく、選手が学べる環境をつくることが育成術の生命線なのです。考える癖をつけることに重きを置き、考える余白をつくってあげる。
一方的なコーチングをせず、問いをつくることにこころを砕く。
選手たちが「学びたい」と自然に意欲がわくような環境を整備する。これら「教えないスキル」の核になるものを獲得するプロセスで、私は気づきました。「伸ばしたい相手を主語にすれば、誰しもがその相手のために心地よい学びをつくろうとする。誰しもが工夫し始めるのだ」と。(p.159-160)
「教える」の主語は先生です。「ICTを使ってこうやって教えましょう」という、主語が先生の研修ばかりになってはいけないな、と思いました。「学ぶ」の主語は児童生徒たちです。「ICTを使ってこうやって学ぶのです」という、主語が学習者である子どもたちになるような言葉を出していかなければ、と思っています。
一人1台の情報端末を使って、「クリエイティブで主体的に考え、エラーを繰り返しながらトライをし続けるような思考回路を持った」学習者を育てたいです。そのために何ができるかを考えたいと改めて思いました。
「7つの人材育成術」は、目次にそのまま当てはまっています。僕はとくに、「words」と「centred」のところが興味深く読めました。
- 自分の言動に意識をもつ reflection
- 「問い」を投げる question
- パフォーマンスを生む言葉を選ぶ words
- 伸ばしたい相手を知る knowing
- 丸テーブルに変える equality
- 「教えないスキル」を磨く centred
- 認知力を育てる cognitive
フットボールの育成だけの話ではなく、学校での子どもたちとの日々にも役立つことがたくさんあるように思いました。
(為田)