教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『ネットは社会を分断しない』

 田中辰雄・浜屋敏『ネットは社会を分断しない』を読みました。僕はネットを含めてICTが大好きで、もっと社会全体が使えるようになればいいと思っています。でも、ネットが誹謗中傷やコミュニケーションのすれ違いなど良くない使われ方もされていて、ときに「ネットが社会を分断しているのかもしれない」と思うこともあります。
 「ネットって、どう使うべきなのか…?」と悩むことも多いので、この本のタイトルに非常に興味を惹かれました。

 「まえがき」でも、そうした問題意識について、10万人規模のアンケート調査の結果を見ていきます、ということが書かれていました。

ネット上では極端な意見ばかりが目立ち、彼らは際限なく罵倒と中傷を繰り返す。多様な人々の相互理解を目指すような落ち着いた議論はほとんど見られず、「ネトウヨ」あるいは「パヨク」と呼ばれる極端な人々が、両端の陣営に分かれて敵を攻撃し合う。「ネットが作り出したのは、争いばかりの分断された世界ではないか」「ネットによって社会は分断されていくのではあるまいか」――最近のネットを論じる論調にはこのような悲観論が見てとれる。
本書はこの悲観論が事実かどうか、すなわちネットによって社会が分断されるかどうかを調べたものである。そのために10万人規模のアンケート調査を行った。そこで得られた結果は予想に反し、悲観論を否定するものであった。すなわち、ネットは社会を分断しない。むしろ相互理解を進めている可能性すらある。罵倒と中傷が飛び交うだけのネットが社会を分断しないとはどういうことか、疑問に思う方もおられよう。この結論に納得するかどうかは本書を読んで確かめてもらうほかない。(p.3-4)

 第2章では、「ネットが社会を分断した」という説について、さまざまな説が紹介されます。エコーチェンバー、フィルターバブルなどの概念や、デジタルマーケティングの特性などが紹介されていきます。
 その後で、「いや、でもそうではないとも言える」というのが調査から説明されていきます。

第2章ではネットが社会を分断するという説について説明した。そかし、実はこの説と大きく矛盾する事実がある。
それは分断が進んでいるのは、年齢別に見ると中高年だという事実である。ネットのせいで分断が進むならネットをよく使う若年層ほど分極化し、分断されているはずである。それなのに、事実は全くの逆であり、分極化しているのはネットを使う若年層ではなく、ネットを使わない中高年である。これはネット原因説に疑問を投げかける。(p.84)

第2章で、フェイスブックツイッター、ブログというネットメディアを利用する人ほど政治的に過激であり、分極化が進んでいると述べた。つまりネット利用と分極化には正の相関関係がある。しかし、だからといってネットを利用すると分極化するとすぐには言えない。
なぜなら因果が逆の可能性があるからである。元々政治的に強い主張を持つ過激な人は一定数、世の中に存在しており、彼らは世の中に言いたいことが多いのであるからネットメディアも積極的に使おうとするだろう。その結果、ネットメディアを使う人に政治的に過激な人が増えたのかもしれない。そうだとすると因果関係としては、まず分極化が先にあってそれからネットメディア利用が起こったのであり、ネットメディアを利用したせいで分極化したわけではあい。このように相関があっても因果は直ちには決まらず、因果の方向は別途調べる必要がある。(p.104)

 なるほど、因果関係が逆なのではないか、というのはおもしろいと思いました。
 それだけでなく、ネットを使うことで、自分の意見ばかりにこだわるのではなく、幅広い意見に接することができるようになり、むしろ考えを変えるような人たちも増えてきている、というふうに調査結果が紹介されていきます。
 この本を読んでみて、さまざまな興味深い調査結果を知ることができました。より詳しく、著者の田中辰雄 先生が説明しているサイトなどもありますので、参考になると思います。
synodos.jp

 「あとがき――ネットの議論を良くするために」のなかでも、改めてメッセージが簡潔にまとめられています。

最後に本書のメッセージをまとめておこう。
現在のネットを見ていると民主主義に資するような生産的な議論はほとんど不可能のように思える。ネットで見かける議論は罵倒と中傷だけであり、相互理解を進める生産的な議論などめったに見かけない。両極端の意見の果てしない攻撃の応酬を見ていると社会は分断されてしまったように見える。
しかしながら、仔細に事実を見ていくとそうではない。ネットの利用で人々が極端な意見に走り、社会が分断されているという事実はない。むしろ大半の人々はネットの利用でどちらかといえば穏健化している。これはネットを通じて多様な意見に接するようになったからと考えられる。ネットで接する相手の4割は自分と反対の意見の人であり、人々は自分と異なる意見にも耳を傾けている。その結果、ネットを使う若年層ほど穏健化しており、分極化していない。これは民主主義にとって良い変化である。自分の意見と異なる意見に触れ、それへの理解が進むことは安定した民主主義にとって大事なことだからである。
振り返ってみると、異なる人への理解はネット草創期の人が抱いた期待であった。その期待は消えたかに思えたが、若年層を中心に実は実現しつつある。ネットには極端な意見を拡大して見せる特徴があるので分断が進行しているように見えるが、それは見かけのことであり、実際には良い方向への変化が起きつつある。本書の最大のメッセージはこの良い方向への変化を指摘することであり、いわば本書はネットへの新たな楽観論と受け取っていただいて結構である。(p.233-234 )

 一方で、本当にそうだろうか。ネットが分断している」と原因付けるのも違うとは思うが、一方でそれほど楽観的でいられるわけではないのではないか、と思う自分もいます。
 この本は、2019年に出版されたものなので、その後なんらかのディスカッションがされていたりするのかなと思い、調べてみました。

www.huffingtonpost.jp

 「ネットは社会を分断する」「ネットは社会を分断しない」というところでの真偽には僕はあまり興味はありません。この本のなかで、「むしろネットが社会を穏健にしている」とも書かれていることには希望も感じます。僕は、学校という場を通じて、「ネットでさまざまな意見に触れて、自分の意見を変えたりもできる」使い方を学んでもらえるようにするには、どういう教え方がいいのか、どういう教材が必要か、というところに注力していきたいと思っています。
 その、自分の実現したいゴールのために、非常に参考になる本だと思いました。

(為田)