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書籍ご紹介:『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』

 坂本旬先生・山脇岳志さん 編著の『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』を読みました。
 デジタルテクノロジーの発達によって、さまざまな情報に触れることができるようになっています。学校でも一人1台の情報端末を使うようになりましたし、中学生以上であれば自分でスマートフォンをもってさまざまな情報を検索することも、オンラインコミュニケーションをとることも多くなるので、メディアリテラシーは重要なスキルだと思っています。

 各章、とても豪華な執筆陣でさまざまな角度からメディアリテラシーについて考えることができる本でしたが、興味深かったところを章ごとに読書メモを共有したいと思います。

はじめに

 まずは、タイトルにもなっている、「メディアリテラシー」について、山脇岳志さん(スマートニュース メディア研究所 研究主幹)が「なぜ今メディアリテラシーが注目されつつあるのか。さまざまな側面があるが、5点、重要だと思われる理由を挙げたい。」(p.3-5)と挙げている内容をまとめます。

  1. ソーシャルメディアの発達
  2. 社会の不安定さとソーシャルメディアの発達で、多くのデマや虚偽情報が拡散されやすくなった
    • 通常は冷静な判断ができる人でも、大きな不安に包まれているなかでは、それが難しい。
    • 情報を吟味し、友人などの他者に伝達するかどうかを判断する能力は、ますます重要になってきている。
  3. AIやアルゴリズムによって、自分が見たい情報しか見えなくなる「フィルターバブル」に陥りやすくなった
    • AIやアルゴリズムによって、自分が関心のある情報を届けてくれるのは便利だが、たくさんの情報が抜け落ちてしまう。
  4. メディア不信や陰謀論の広がりも含め、民主主義そのものの揺らぎがある
    • 新型コロナ対策では、強権的な国のほうがうまくコロナを抑制できた面があった。
    • 民主主義国においても、報道の自由についての懐疑が広がってきている。
    • メディアリテラシーは、民主主義の防波堤のような存在になり得る。
  5. 教育界の動き
    • 児童・生徒にとっても教師にとっても、デジタルの世界はますます身近になり、デジタル社会におけるメディアリテラシーを身につけるニーズが高まってきている。

 「メディアリテラシーは、民主主義の防波堤のような存在になり得る」と書かれているのは賛成です。ただ、大切なものだが、それをどのように身につけていくのかが問題です。家庭やコミュニティで大人たちとやりとりをしながら学んでいける子もいるだろうと思いますが、それが叶わないケースもあるので、僕は学校でもメディアリテラシーに繋がるスキルを身につけられる機会があるべきだと思っています。

 この章では、この本のサブタイトルになっている「吟味思考(クリティカルシンキング)」についても書かれていました。この「吟味」という語をあてているのはとてもいいな、と思いました。僕は教室で子どもたちがプレゼンテーションの原稿を作っているときに、「ん?それって本当?って、立ち止まって考えられるようになろう」と言っていますが、ここは「吟味しようね」と言い変えることもできるなと感じました。

クリティカルシンキングの「クリティカル」は、日本語にするなら、「批判」というより「吟味」というニュアンスに近いのだろう。
こうしたことから、本書のタイトルは、クリティカルシンキングの訳を、「吟味思考」とした。(p.8-9)

 問題は複雑化し、情報もどの視点で見るかによって見え方が違うので、クリティカルシンキングをし、多様な視点を総合させる姿勢をもつことはとても大切だと思います。

これからも、日本の課題は増えることはあっても減ることはないだろう。この複雑で難しい状況に対応するには、政府にも民間にも、多様な立場を理解し、さまざまな角度から物事を考えられる人を育てる必要がある。教育現場において、クリティカルシンキングの養成は、ますます求められていくに違いない。(p.9)

第2章 若年層のSNS利用とコミュニケーション特性

 第2章では、天野彬さん(電通メディアイノベーションラボ主任研究員)が、世代ごとのメディア利用実態を紹介しています。電通メディアイノベーションラボが2018年11月に実施した「頼りにするメディアに関する調査」で、世代ごとに各メディアの接触頻度が紹介されています。
 「若者はネットメディア、年齢が上がると伝統的なメディア」という二項対立ではなく、「SNS・ブログ」「ネット・デジタル」「テレビ・ラジオ」の三層に分化しているそうです。10代が「SNS・ブログ」がトップシェア。20代~40代は「インターネット・デジタルメディア」、50代~60代は「テレビ・ラジオ」がトップシェアになっています。
 メディア接触は、年代が上がれば変わっていくというのではなく、持ち上がるということも書かれています。

メディア接触は年齢持ち上がり効果があるため、今の10代は10年後も――つまり、20代になっても、SNS接触筆頭メディアとするだろう。
若年層はインターネットメディアを好み、年齢が上がると伝統的なメディアを好むという二項対立がよく聞かれるが、実際には三層に分化しつつあるのだ。(p.55)

 世代ごとのメディア接触が異なるということは、学校でメディアについて教えるときには、世代を跨いで先生方は児童生徒に説明をしなければいけないということになります。

情報感度が高いニュース受容者の中でも、年齢が高めの人々はストレート記事や解説、評論などを読んでおり、<理解を深める>という志向性がある。その一方で、情報感度が高い若年層は<周りの反応を知る>という志向性を持つ。この対比は、ここまで述べてきたように、若年層世代においてSNSが主要な情報取得の場になっていることの影響によるものだと推測できる。(p.64)

 この志向性の違いも考えなければならない点だと思います。メディア接触頻度が違い、メディアへの志向性も違う、ということをベースに置いて先生方はメディアへの接し方を考えなければいけないと思いました。

第3章 メディアリテラシーの本質とは何か

 第3章では、坂本旬 先生(法政大学キャリアデザイン学部教授)が、「メディアリテラシーとは何か」を考える素材をたくさん紹介してくれています。
 アメリカのCenter for Media LiteracyCML)が出している、5つのコアコンセプトが紹介されていました(p.82)。4つめの「メディアは価値観と視点を含んでいる」ということは、授業のなかで伝えていきたいと思っていることです。

  1. メディアメッセージはすべて「構成された」ものである。
  2. メディアメッセージは創造的言語とそのルールを用いて構成されている。
  3. 多様な人々が同じメディアメッセージを多様に受け止める。
  4. メディアは価値観と視点を含んでいる。
  5. ほとんどのメディアメッセージは、利益を得るため、および/または権力を得るために作られる。

Thoman, Elizabeth. Jolls, Tessa. (2008). Literacy for the 21st Century: 2nd Edition. Center for Media Literacy.

 教員向けの研修オンライコース「Checkology」も紹介されていました。とても興味深いと思ったので、自分でもやってみようと思います。
 Checkologyについて紹介しているWIREDの記事があったので、こちらも読みました。
wired.jp

 また、スタンフォード大学歴史教育グループ(SHEG)が見出した「横読み」と呼ばれる情報検証手法(p.89-90)も興味深いです。

「横読み」は中身をチェックするのではなく、ブラウザのタブを開き、元のサイトの情報の社会的評価を調べるのである。そして次の三つの問いを考える。すなわち「情報の背後に誰がいるか」「エビデンスは何か」「他の情報源は何と言っているか」である。「横読み」の授業は、生徒がコンピューターを用いて調べた結果をグループやクラス全体で討論する形式で行われる。SHEGはこの学習コースを「市民オンライン論理思考」と呼び、メールアドレスを登録すれば、誰でも自由に教材をダウンロードすることができる。(p.90)

 「ブラウザのタブを開き」と具体的にやることが書かれているのがいいな、と思いました。タブを開いて、情報を読み比べる、という活動を授業のなかに入れることはできそうな気がします。これだと、「いろいろ調べようね」ということだけでなく、「横読みやるよー。タブを開いて、同じキーワードで調べて」と具体的に言えそうです。
 僕は、検索結果の一覧からページを開くときに、Ctrlキーを押しながらリンクを開いて別タブに3~5ページくらいは一気に出して順に読むことが多いです。こうした操作方法とすべきことを結びつけて教えてあげることも必要だと感じました。

 また、メディアリテラシー研究の第一人者として著名なルネ・ホッブスが、現代プロパガンダの事例を集めたサイト「Mind Over Media(メディアを乗り越えよう)」も紹介されていました。ルネ・ホッブスは、この本の「第8章 すべての子どもたちにメディアリテラシー教育を」でインタビューも掲載されています。

第5章 日本のメディアリテラシー教育の歴史的潮流

 第5章では、森本洋介 先生(弘前大学教育学部准教授)が、日本のメディアリテラシー教育の歴史的潮流について書かれています。

 メディアリテラシー教育(Media Literacy Education, MLE)をどのように教えることができるのかが書かれています。

メディアリテラシーにおけるメディアの捉え方(p.131-132)

  • 基本概念1:メディアはすべて構成されている
  • 基本概念2:メディアは「現実」を構成する
  • 基本概念3:オーディエンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす
  • 基本概念4:メディアは商業的意味をもつ
  • 基本概念5:メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている
  • 基本概念6:メディアは社会的、政治的意味をもつ
  • 基本概念7:メディアは独自の様式、芸術性、技法、きまり/約束事をもつ
  • 基本概念8:クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことにつながる

 「基本概念3:オーディエンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす」は大賛成です。だからこそ、「どう解釈するか」の素材としての知識を知るために学校教育が重要だし、経験・体験も重要だと思っています。

MLEでは知識として学ぶべき事項もあるが、それ以上に自分で問題意識を持ち、調べ、データや社会的な意識等を基に自分で考えること、つまりアクティブラーニングが必要である。そして学習者がMLを獲得するためには少なくとも数ヶ月にわたって、毎日のように授業でクリティカルな問いを教師が学習者に提起し、学習者も問題意識を持つような癖をつけていく必要がある。分析的な活動であれ、制作的な活動であれ、フィールドワークであれ、クリティカルに問うことなくしては、MLEは成り立たないのである。(p.133)

 どのような活動をするにしても、「クリティカルに問うことなくしては、メディアリテラシー教育(MLE)は成り立たない」と書かれているのが印象的でした。CM制作をさせたり、番組制作をさせたりしているだけではだめで、その背後に「クリティカルに問うこと」がなければいけないというのは、肝に銘じたいと思いました。

第7章 学校教育におけるメディアリテラシーの位置付け

 第7章では、中村純子 先生(東京学芸大学教育学部准教授)が、学校教育におけるメディアリテラシーの位置付けについて書かれていました。この章のサブタイトルが「令和期の国語科教科書教材の分析を中心に」となっていて、さまざまな教科書でどのようにメディアリテラシーについて書かれているのかがわかります。たくさんの素材が教科書で取り上げられていることに驚きました。
 この章の最後に、「メディアリテラシー指導の主軸となる国語科において、幾つかの課題も明らかとなった」(p.179)と書かれていました。国語を教えられている先生方、このコメントについてどのように思われるか、伺ってみたいです。

  1. 国語科では、小中高と上がるにつれ、メディア情報に対する警戒型の論調が強まっている
  2. メディア産業に関する学習が小学5年の社会科だけでとどまっている
  3. 国語科ではイデオロギーに関する内容が扱いにくい傾向にある

第9章 批判的思考とメディア・リテラシー

 第9章では、楠見孝 先生(京都大学大学院教育学研究科教授)が、クリティカルシンキング(批判的思考)とメディアリテラシーについてまとめられていました。

ここでは、批判的思考を、次のように定義する。
第一に、自分の思考過程を意識的に吟味する内省的(リフレクティブ)で熟慮的思考である。
第二に、証拠に基づく論理的で偏りのない思考である。
第三に、より良い思考を行うために、目標や文脈に応じて実行される目標指向的な思考である。(p.197)

 具体的に、「批判的思考に基づく行動」も書かれていました。学校においては、評価・見とりをするときに参考にできそうだと感じました。

批判的思考に基づく行動とは、
・相手の発言に耳を傾け、考えや論拠、感情を的確に理解する。
・立ち止まって考える。賛否両方の立場からじっくり考え、評価する。
・証拠に基づいて、前提や理由を系統立てて、相手に説明する。
・目的、状況、相手の感情、文化、価値観を考慮して実行する。

(略)
批判的思考の規準は、証拠や論理に基づいて正確に遂行する能力やスキルだけではない。目標や文脈に照らして、適切な場面かどうかを判断して批判的思考を行うことや、議論の場において、発言のバランスを配慮しつつ、相手の意見を取り入れ、お互いが納得できる解決を導くことが重要である。(p.197-198)

第10章 すべての情報は再構成されている

 第10章では、菅谷明子さん(在米ジャーナリスト ハーバード大学ニーマン・ジャーナリズム財団理事)がジャーナリストの立場から、メディアリテラシー教育について書かれています。

メディアリテラシーでは、立場や視点が変われば異なる見方が出てくると認識するのも重要なポイントですが、こうした見方が、結果的に物事をより深く理解することや、新しい発想、クリエーティブな考え方につながり、社会をより良い方向に導くと考えます。
一方で、日本の教育はクリティカルシンキングよりも、先生をはじめ「偉い人」が言うことが「正しい」として、それに対向的な見方をするよりも、そのまま受け止めて現状を肯定することが大事にされがちです。そのため、現実的には、日本の教育現場でメディア・リテラシーを本格的に教えるハードルはかなり高いと思います。(p.225)

 実際に学校で行ったワークショップの例も紹介されています。『ウサギとカメ』のワークショップで、「自分は全くニュートラルにやっているつもりでも、無意識の解釈が入り込んでくることを体感できる」(p.226)というのを読んで、やってみたいと思いました。

第11章 「Should(べき論)」ではなく「How(方法論)」を教えよう

 第11章は、下村健一 先生(令和メディア研究所主宰 白鷗大学特任教授)がたくさんの実践を紹介してくれています。

メディアリテラシーの授業は、教育の基盤であるべきなのに、いまだ場末に置かれたままだと感じます。その一因は、HowではなくShouldで終わっているコンテンツが多いからではないでしょうか(もちろん、優れた教材も存在するのですが)。もっともらしい「べき論」だけ唱えても、「そんなこと分かり切ってるよ」と軽んじられるだけですから。実際、メディアリテラシー教育に不熱心な先生に消極的な理由を尋ねて、そういう答えが返ってくることがよくあります。(p.235)

 一人1台の情報端末を持ち、動画制作などもできるようになりつつあるなかで、メディアリテラシー教育は今までよりも幅広くいろいろなことができるようになっているので、先生方と共に前に進んでいきたいと思いました。

第14章 アメリカのニュース・リテラシー・プロジェクト(NLP)を解剖する

 第14章は、宮地ゆう さん(朝日新聞記者)が、アメリカのニュース・リテラシー・プロジェクトについて紹介してくれています。

古くて新しい「フェイクニュース」だが、中でも2016年の大統領選以来、「フェイクニュース震源地」となったアメリカで、こうした時代の到来をずっと前から見据えてきたかのように活動してきた団体がある。ワシントンDCに拠点を置く「ニュース・リテラシー・プロジェクト(News Literacy Project、以下NLPhttps://newslit.org/(https://newslit.org/) )」だ。
毎日ネット上で大量に流れてくる情報の信憑性を見分けるため、学校や教育関係者だけでなく、一般の人にも情報の見分け方を包括的に学ぶ膨大な量のオンライン教材を無料で提供している。たった一人の記者が始めた地道な活動だったが、今ではオンライン教材の登録者は世界約100カ国に広がる。(p.267)

 News Literacy Project、サイトにアクセスしてみましたが、教室で使えるツールや先生方向けの資料など充実していました。じっくりと見てみて、自分で使えるところがあれば授業で使ってみたいと思いました。
newslit.org

第16章 虚実のあいまいさとメディアリテラシー 日米、新聞とニュースアプリの視点から

 第16章では、山脇岳志さん(スマートニュース メディア研究所 研究主幹)が、佐藤卓己 先生の著書を引用していましたが、これがとても印象深かったです。

京都大学佐藤卓己教授は著書『流言のメディア史』(岩波新書、2019年)を、こう締めくくっている。「マスメディアの責任をただ追及していればよかった安楽な『読み』の時代はすでに終わり、一人ひとりが情報発信の責任を引き受ける『読み書き』の時代となっている。こうした現代のメディア・リテラシーの本質とは、あいまいな情報に耐える力である。この情報は間違っているかもしれないというあいまいな状況で思考を停止せず、それに耐えて最善を尽くすことは人間にしかできないことだからである」(286頁)。(p.308)

 「読み」だけの時代はすでに終わっていて、「読み書き」の時代となっている、ということに加えて、一方で、誰もが簡単に書けすぎるために情報は膨大になり、脊髄反射的にコメントバックしたり、炎上案件が増えたり、ということにもなっています。この観点でも、メディアリテラシー教育ができることは多いのではないかと思っています。

第3部 教育現場での実践

 この本の第3部では、10のメディアリテラシー教育の教育実践が掲載されています。小学校から大学まで、さまざまな事例が紹介されています。こちらも参考にしながら、自分でも実践をしてみようと思います。

まとめ

 この本を読んで、多角的にメディアリテラシーについて考えることができました。自分で教室で実践できるところは実践して、その後にもう一度読み返すと、また違う感想を持ちそうだと思いました。全部を一度に読めなくても、興味あるところから読み始めるのでもOKだと思います。

(為田)