教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:『子どもたちに民主主義を教えよう』

 横浜創英中学・高等学校の工藤勇一先生と哲学者・教育学者の苫野一徳先生の共著『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』を読みました。「そもそも、学校とはどういう場であるべきなのか」ということを考えるヒントがたくさんある本でした。興味深かった点を読書メモとして共有します。

 「序章・学校は何のために存在するか ――いま本当に身につけてほしい力」で、工藤先生は「学校は民主主義の土台をつくる場」(p.3)と書いています。

本の学校を民主主義の土台にすることは、私のライフワークだと述べました。
私が本気で校長になろうと決心したのは37歳のときです。校長を志した理由も「自らが民主的な中学校をつくって、日本の学校を変えるきっかけとなりたい」という想いからでした。
行政で10年ほど遠回りしたのち、54歳で念願の校長職に就き、麹町中を預かった私は、主役である生徒たち、教員たち、そして保護者の方々との試行錯誤の末、「民主的な学校」としての姿をいくらか体現できたと自負しています。
私がこれまで民主主義という言葉をあえて使ってこなかったために、麹町中の取り組みが「学校改革」という曖昧な言葉で称されることが多かったことは、少し残念です。宿題・定期テスト廃止、校則廃止、固定担任廃止といった、キャッチーな部分にどうしても目がいきがちになってしまいました。
しかし麹町中の変革のすべては、生徒・教員・保護者の民主的な考え方の成長があってこそ実現できたことであり、本当に注目すべきは、数え切れないほどの対話のプロセスそのものなのです。(p.12-13)

 工藤先生は、学校の最上位目標は「誰一人置き去りにしない社会」と言っています。この最上位目標を達成するために、さまざまな学校改革を行っています。学校の授業、行事、教える場の作り方、学ぶ場の作り方などすべての面で、「何を変えていくべきか」「何を変えずに残していくべきか」を評価するために、「何が最上位目標なのか」を明確にし、常にそこに立ち返っていくことが重要だと感じました。
 「何が最上位目標なのか」をベースにして、文化祭の出し物決め、制服の変更、合唱コンクールや芸術鑑賞会のあり方を決めていくエピソードなどが紹介されています。こうしてみんなが対話の価値を理解していくのだと感じました。

 「何が最上位目標なのか」を考えることについては、苫野先生の『学問としての教育学』のなかで紹介されていた、「現象学=欲望論的アプローチ」を思い起こさせられました。

絶対客観的に「よい教育」などはない。しかしわたしたちは、だからっと言って相対主義に陥る必要もない。なぜならわたしたちには、「これはよい教育だ」という「確信・信憑」が確かに訪れうるからだ。
それはいったい、どのように? 言うまでもなく、「欲望 - 関心相関的」に、である。
とすればわたしたちは、この「欲望 - 関心相関的」に「よい教育」と確信されたその「確信・信憑」を互いに問い合い、それが共通了解可能であるかを吟味し合うほかに、「よい教育」を問う方法を持たない。「これがわたしの確信・信憑です。あなたはどうですか?」。――客観的な真理を問うのではなく、またそれをただ相対化するのでもなく、「欲望 - 関心相関的」に「共通了解」を見出し合うこと。これが「現象学=欲望論的アプローチ」の要諦なのである。(『学問としての教育学』 p.79-80)

blog.ict-in-education.jp

 学校の最上位目標について、デンマーク国民学校の目的規定が紹介されていました。はじめて見たのですが、とてもいいなと思い、こちらも紹介します。

デンマークでご活躍のジャーナリスト、ニールセン北村さんが教えてくれたのですが、次の文章はデンマーク王国国民学校の目的規定です。この第1項を読んだだけで、日本とはだいぶ感覚が違うことがわかりますね。(p.137-138)

  1. 国民学校は、保護者との協力のもとに、生徒が、知識、技能、労働の方法、自己の表現方法を獲得することを促し、個々の生徒の全面発達に寄与するものとする。
  2. 国民学校は、生徒に自身の可能性についての自信と、個人の行動を取るための独立した判断力を形成する経験を獲得させるために、生徒が自覚と想像力と学習意欲を発達させるような経験、勤勉、没頭の機会をつくりだすように努力するものとする。
  3. 国民学校は、生徒にデンマークの文化に習熟させ、他の文化や人と自然との関係を理解することに貢献するものとする。国民学校は、生徒に自由と民主主義に基礎づけられた社会での積極的な参加、共同の責任、権利と義務の準備をさせるものとする。そのために、国民学校での教育と日常生活は、知的な自由と平等、民主主義に基礎づけられていなければならない。

 工藤先生のターニングポイントは、教員になって2年目だったそうです。そのとき生徒会を担当しながら、子どもたちが自律していく実践を重ねていきます。そのうえで、「生徒会を通じて学校を変えることができた」と書かれています。

工藤 生徒会担当になれば、むしろ校長よりも学校を変えることができるかもしれない。というのも、子どもたちの意識が変わると、それにつられて教員や保護者の意識も変わるからです。「自律するってこういうことか。なんだか素敵だな」って。
だからこの本を通して全国の学校に提案したいアイデアがあるんです。
それは、生徒会の定期的なスクラップ&ビルド。何年かに1回、生徒会の組織体系からルールづくりまで、ゼロベースで子どもたちに任せてみる。麹町中ではそれを自主的にやりましたが、あえてそれをルール化してしまう。中高なら生徒会、小学校なら児童会。とてもいい経験ができると想いますよ。もちろんそれを支援する教員も成長できますからね。(p.165)

 学校改革においてのポイントについて工藤先生と苫野先生が対話していたところが、民間の立場で学校をサポートするという自分の仕事においてとても参考になりました。

工藤 でも僕は塾に対して面とむかって批判をすることはしません。なぜなら民間教育産業が日本経済を下支えしている事実があるからです。だったら、学校改革の流れに民間教育産業に参加してもらう仕組みを考えればいいんです。そもそも日本は財政難で教育に割く予算が少ないわけですよね。そこをうまく民間教育産業とタッグを組めれば、対立構造にはならないはずです。そういう新しい仕組みを行政がどんどん考えればいいと思うし、実際、首長と教育長がタッグを組んだら新しい事例はどんどんつくっていけると思うんです。
だから学校改革においては「ソフトランディング」が大きなキーワードになりますね。少なくとも僕がいつも意識していることです。
苫野 本当に、考え抜かれてきたんですね。「戦わなくていいところから変えていく」「勝ちながら変える」「ソフトランディングを意識する」。私も肝に銘じます。若い先生たちも、そんなふうになれるといいですね。
工藤 もしなれないなら、どうやったらなれるか戦略を練って、校長の信頼を勝ち取ればいいじゃないですか。大きな目標のためには面従腹背も我慢できないと。僕の教員人生なんて、ほとんどが我慢ですからね。(p.187-188)

 「戦わなくていいところから変えていく」「勝ちながら変える」「ソフトランディングを意識する」、とても参考になりました。

 一人ひとりの先生方のマインドセットが変わっていく、意識改革ももちろんとても大切で、意識改革が起こるための3つのフェーズについても、工藤先生は書かれていました。

工藤 僕のイメージでは、意識改革は3つのフェーズをたどります。
1)自己矛盾が起きるフェーズ
2)優先すべきものを自問自答するフェーズ
3)矛盾しない自分に変わっていくプロセスを考えるフェーズ
(略)
まず前提として強調しておきたいのは、基本的に意識改革は、自分の中で起こさなきゃダメだということですよね。だから、僕が教員たちとむかい合うとき「僕はこの人たちの考え方を直接変えることはできない」と思っています。教員たちに長々と説教することもないし、短期間で学校が変わるとも思っていない。
でもそんな僕でも確実にできることがあって、それが「矛盾を起こさせること」です。自分の中の矛盾に気づくことが、その人の意識改革の起爆剤になるんです。(p.194-195)

 自己矛盾に気づいて、優先すべきもの自問自答してもらうためにも、「最上位目標は何か?」と問い続けていく必要があります。学校だけでなく、あらゆる会社、チームでも同じだと思うのですが、「最上位目標は何か」を全員が共有している場を作っていくことが大切だと感じました。

 「そもそも学校とはどんな場であってほしいのか」、「子どもたちにとって、デジタルとはそのなかでどのような意味をもつものなのか」を考え続け、伝え続けていくことが自分にとっては大切だな、と思わされました。
 そうして考えたことを、お手伝いしている学校で先生方と共に話し合って、学校の「最上位目標」を明確にしていくことに役立てていきたいと思いました。
 自分がしている学校サポート、自分が担当している授業などに、とても参考になりました。

(為田)