武蔵野大学附属千代田高等学院および武蔵野大学中学校・高等学校 中高学園長、千代田国際中学校 校長の日野田直彦 先生の著書『東大よりも世界に近い学校』をお送りいただきました。買おうと思っていた矢先にオフィスに届きまして、危うくダブるところでした(笑) ありがとうございました。
日野田先生が勤める学校には、2019年9月に武蔵野大学中学校で授業を参観させていただき、このブログでもレポートを書いています。
blog.ict-in-education.jp
この本では、日野田先生がどのような人を学校で育てたいと思っているのかということを知ることができます。タイトルの「世界に近い学校」から留学を志す内容が多めかな、と思って読み始めましたが、留学もあくまで手段であって、そもそも「どんな人を育てるのか」を考えることが必要であり、そのためのヒントがたくさん書かれていたように思います。先生方にとっても、授業を改善するヒントがたくさん書かれていると思いますので、読書メモを共有します。
まずは、どんな人を育てるのか、ということについて書かれている部分です。
社会が求めるのは、GAFAとよばれる企業やITベンチャー企業が雨後のたけのこのように現れるシリコンバレーのようなところで活躍できるような、新しいモノやサービスをつくり出すクリエイティビティにあふれた付加価値の高い人材、固定的な価値観から自由で、新しい発想で常識の薬を解き放ちパラダイムシフトができるような人材です。つまり、変化に対応するのではなく、自ら変化をつくり出す人、社会全体をデザインできる人です。
といっても、革命を起こせといっているのではありません。歴史に名を残すような人材が求められているという意味でもありません。「新しいモノやサービスをつくり出すクリエイティビティにあふれた付加価値の高い人材」とか、「固定的な価値観から自由で、新しい発想で常識の鎖を解き放ちパラダイムシフトができるような人材」というと、とてつもなくえらい人のように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、求められているのは、身のまわりの小さな問題を具体的に解決できる人材」です。できないと頭から決めつけず、できる方法を追求し問題を解決する人材です。それならできそうと思いませんか。(p.43-44)
僕はここで書かれている、「できないと頭から決めつけず、できる方法を追求し問題を解決する人材」というところにすごく共感を覚えます。このマインドを子どもたちにもってもらいたいと思っています。
「自分には無理。できない」と決めつけるマインドのことを、「フィックスト・マインドセット」と言います。この逆で、「ひたすら学びたい」「貪欲に挑戦したい」「失敗を学びや変化の機会と捉える」「フィードバックから真摯に学ぶ」というマインド(=「グロース・マインドセット」)を子どもたちに身につけてほしい、と日野田先生は書いています。
グロース・マインドセットについての参考図書もリンクしておきます(読んだことないので、チェックしてみよう)。
もうひとつ、「オーナーシップ」という言葉について書かれてたのも、とても印象に残りました。
グロース・マインドセットと同じくらい、ぼくが生徒に口うるさく求めているのは、オーナーシップです。どんなことでも、他人事にはしないで、自分のこととして考え、行動し、それに責任をもつことです。(略)
勉強が最もわかりやすいでしょう。わけもわからず、いやいややっても、意味はありません。成績も向上しません。成績は結果です。身につかなければ向上しないし、いやいややっていては身につきません。(p.160)
これは、「自分ごとにしないと、いつでも責任を外に求めるようになる。成績が悪ければ、先生の教え方が悪い、というふうに、責任を転嫁するようになる」と横浜創英中学・高等学校の工藤勇一 校長先生がおっしゃっていた言葉と重なって読めます。
勉強にも、部活にも、日々のすべてにも、自分のこととして考え行動する、オーナーシップを求めたいなと思います。そうすると、授業中に子どもたちにする声掛けも変わっていくと思っています。
最後に、海外の大学入試に必要なエッセイの例で、自分は何者かに答えられるようになることの必要も書かれていました。
たとえば、前掲のハーバード大学の「あなたはクラスメイトのためにどんな貢献ができますか」という問題でも、書かれてくるのは「○○○すればいいと思います」「○○○であるべきだと思います」ということばかりです。「あなたは何をしますか」ときかれているのに、そこに「私」がいないのです。「じゃあ、君はどうするんだ」と質問すると、泣き出してしまいます。
そもそも日本語は主語がなくても通じる言語です。だから「○○○であるべきだと思います」と書くことができるのです。本来は「私は○○○だと思います」と書くべきなのに、主語をはっきりしないことで、「こういうことを書いたら正解だから○〇〇だと思うことにします」と隠れ蓑にしてしまう。インターネット上ではしばしば「それってあなたの感想ですよね」と嘲笑的に振る舞うひとがいますが、むしろ「あなたの感じたこと」こそが大切なのです。だから、ぼくはボストンのプログラムやワークショップのように、ことあるごとに本気で意見が対立する機会や、それを乗り越えることで本当の多様性を理解できるような機会をつくっています。
自分は何者か。もちろん、それは簡単に答えられることではないし、唯一の正解があるわけでも、一生変わらない答えがあるわけでもありません。変わっていって当然です。ですが、そのとき、その時点で、自分は何者かがさっぱりわからないようでは、自分が何をしたいか、何に向いているかといった問いにも答えは見つかりません。逆に、自分が何をしたいか、何に向いているかを自問することで、自分は何者かがわかってきたりします。つまり、「自分は何者か」と「自分は何をしたいか」はコインの裏表のようなものです。
ですから、まず、Who are you?の自分なりの答えを探す旅に出てください。(p.174-175)
この部分もとても好きな部分です。子どもだけでなく、大人も一緒です。自分自身、「あなたは誰ですか?」と問われたら、名前や所属以外に、どんなことを語るだろうか、と考えながら読みました。
「グロース・マインドセット」や「オーナーシップ」の概念を子どもたちにもってもらうためのワークショップの例なども紹介されています。そうしたものを自分でも授業の中に取り入れてやってみようと思います。
(為田)