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『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』 ひとり読書会 No.12 「第16章 ICTが拓く個別最適な学びと協働的な学びの新たな地平」(堀田龍也 先生)

 奈須正裕 先生と伏木久始 先生の編著『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』をじっくり読んで、ひとり読書会として読書メモをまとめて公開しています。今回は堀田龍也 先生が書かれた「第16章 ICTが拓く個別最適な学びと協働的な学びの新たな地平」です。

これからの日本 - 主にデジタル化の視点から

 最初に、これからの日本はどんなふうになるのか、ということが書かれていました。「VUCAの時代」「人口減少」「人生100年時代」というキーワードが解説されて(p.305-307)、それぞれにおいて、デジタルを含むテクノロジーがどのように関わるのか、ということが紹介されます。

今後は、個々の人間がICTを活用して生活や仕事を便利にして生産性を向上させていくことはもちろんのこと、現在はまだ人間が行っている業務の一部をAIやロボットなどのテクノロジーに任せていくことによって、労働人口が減少しても社会の豊かさを保ち続けることができるようにしていくことになる。(p.306)

 そう考えると、一人1台の情報端末を配備した「日本の将来を見越した学習環境としてのGIGAスクール構想」(p.307)を、授業を教える道具としてだけでなく、子どもたちが思考や表現の道具として使えるようにしなければならない、というふうに感じられるように思いました。

 さらに、ロボットやAIなどテクノロジーの進歩が予想され、いま人間がやっていることはテクノロジーで代替できるようになるからこそ、人は「探究的」にならなければならないと説明されます。

今日、「探究的な学び」が重視されている背景は、このような職業の新陳代謝と無縁ではない。「教科の指導が忙しいから『探究』なんかやっている時間はない」というのは本末転倒である。探究的な学びでこだわりを発揮して試行錯誤するような学習経験をさせずに従来型の学習指導に終始することは、ロボットでもできる機械的なことしかできない人材を育成しているといっても過言ではないだろう。(p.308)

 そのためのGIGAスクール構想なのだ、ということはときに忘れられがちですが、何度も何度も思い出さなければいけないことだと思いました。

これからの時代の社会の変化を見据え、児童生徒の将来に必要となる資質・能力を検討し、今の段階でどのような教育をしておかなければならないかということを逆算して出されたのが、現行の学習指導要領であり、「令和の日本型学校教育」である。これを実現するための学習環境として検討され、多額の税金を導入して準備されたのがGIGAスクール構想である。(p.308)

 社会がどう変わっていくのかということについては、安宅和人さんが東京学芸大学で、『個別最適な学びに関する公開シンポジウム 第二回』に登壇したときのブログの記事も合わせて読むといいと思いました。

kaz-ataka.hatenablog.com

これから求められる資質・能力

 社会がどう変わっていくのかということに続けて、「これから求められる資質・能力」について書かれていました。「学力」でなく「資質・能力」という言葉が使われている意味が書かれています。

旧来用いられていた「学力」という用語が、点数主義につながりやすく、マスメディアによってミスリードされることへの懸念があり、現行の学習指導要領では「資質・能力」という言い方を採用している。資質・能力は学力より広い意味をもった用語であり、非認知能力などについても検討されたうえで用いられている用語である。(p.309)

 現行の学習指導要領で、資質・能力は「三つの柱」で構成されています。文部科学省のサイトで見ることができます。

  1. 実際の社会や生活で生きて働く「知識及び技能」
  2. 未知の状況にも対応できる「思考力、判断力、表現力など」
  3. 学んだことを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力、人間性など

 実は「  」の前にある部分が、なんでその資質・能力が必要なのかということに繋がっているので、前の部分もしっかり読まなきゃいけなかったなと反省しました。

 学校でのデジタルの活用という面では、「情報活用能力」について先生方とよく話すのですが、情報活用能力は、「学習の基盤となる資質・能力」として学習指導要領にかかれています。

現行の学習指導要領では、小学校・中学校・高等学校のすべての総則に、言語能力、情報活用能力(情報モラルを含む)、問題発見・解決能力等が「学習の基盤となる資質・能力」として記載されている。(略)ここではこれらの3つの能力について、デジタル化の視点から検討していくことにする。(p.314)

 この3つの能力について書かれている部分をまとめてみました(p.314-315)。

  1. 言語能力
    • 人間は言葉で思考するから、言語能力が重要であるのは当然。
    • 国語の授業だけでなく、他の教科でもさまざまな言語活動は推進されてきている。
    • 児童生徒同士の対話だけでなく、教師とtの対話、地域の人など学校外人材との対話なども想定されてきた。
    • 対話とは、話をすることだけでなく、文章に表すこと、文章を読んで理解し合うようなことも想定されている。
    • GIGAスクール構想によって、クラウドでの他者参照ができることで、対話が誘発される。
    • GIGAスクール構想によって、クラウドを使って協働的に皆で作業状況を共有できるようにもなった。
  2. 情報活用能力
    • 「ICTを操作するスキル」だけでなく、インターネットを経由して得られる情報を正確に読みとり、鵜呑みにせずに判断したり、情報を整理したり、適切に表現したりするような「情報そのものを取り扱うスキル」も含めた能力。
    • 検索に時間がかかったり、情報を正確に読みとることができなかったり、適切な引用をせずに適当に張り合わせてあたかも自分がかkンが得たかのように見せてしまったり。そうしたことが起きないようわざわざ「情報モラルを含む」と書かれている。
  3. 問題発見・解決能力
    • 以前は「問題解決能力」という用語で広く用いられていた。
    • これからの時代は、問題が定まれば、その解決は自動化されたプログラムやAIが対応できる部分が多くなるので、人間は問題を発見することが重要。

 それぞれの項目をバラバラに説明をすることはありますが、こうしてまとまめて「なぜGIGAスクール構想が必要なのか、それによって何ができるようになるのか」を、学校での先生方向けの研修でもお伝えしたいな、と思いました。

「情報端末を使うことが目的ではない」という言い回しが正論として流布されるが、一定期間は情報端末を積極的に活用して慣れていくこと事態を目的にしなければ、いつになっても十分に活用できるようにはならない。そのような段階では、操作スキルが十分ではないために授業時間を大幅に消費するばかりでなく、児童生徒がこの場面で情報端末をこのように活用すればよいという意思決定を自分でできないため、学び方の習得が阻害されてしまう。(p.315)

 情報端末を使うことはもちろん目的ではないのですが、使えるようになってからはそう言っていいと思うのですが、使えるようになるためにはまず、使わないとしかたないんですよね。

「個別最適な学び」とデジタル化

 デジタルドリルを使うことで「個別最適な学びをしています」と言う発表もときどき聞きますが、そこで止まっていてはもったいないな、と思います。
 2020年7月に中教審で議論されていた頃の話からスタートします。この頃は「個別最適化」という用語が用いられていたのでした。デジタルドリルが広まり始めていた当時、たしかに「個別最適化」と言っていましたね。

当時は「個別最適化」という用語が用いられていた。(略)この用語を学校教育にもち込んだ場合、個々の学習者である児童生徒に対する最適化であることは望ましいとしても、「誰が最適にするのか」という点について疑義が生じる。AIドリル等のシステムが最適化してくれるのか、あるいはそばにいある教師がしてくれるのか、いずれにしても学習者である児童生徒の主体性はどうなるのかという点が問題となった。(p.316)

 なぜ、「個別最適化」ではなく「個別最適な学び」という用語を選んだのか、こういう背景を知ることも大事です。

このような議論を経て、中央教育審議会では「個別最適化」ではなく「個別最適な学び」という用語を用いることとなった。「学び」なので主語は児童生徒である。対応する用語が「協働的な学び」であると考えると、「個別的な学び」でいいのではないかと考える人がいるかもしれないが、学習者本人が「最適」だと思う、つまり、自分自身の興味や関心、ペース、やってみたいこと、挑戦してみたいことの自己決定を大事にするという、これからの時代の学びに向かう力を尊重して概念化されたのである。(p.316-317)

 最後に、個別最適な学びと協働的な学びが同時多発的に生起する」ということが書かれています。ここ、本当に大事なところだと思います。ちょっと長いですけどメモしておきます。

児童生徒が自らの学習を調整できるような自律的な学習者であるという前提で、他者と協働することが「協働的な学び」である。(略)
教師が留意しなければならない点は、個別最適な学びと協働的な学びは同時多発的に生起するということである。したがって「今から個別でやりましょう」とか「次は協働でやりましょう」と全員に対して指示している限り、児童生徒の学びは教師の制御下に置かれるのであり、一斉授業の一種にとどまるということである。
一人でやるのか他者とやるのかは、学習者である児童生徒が決めるということが大原則である。おそらく不慣れな教師は不安に思うだろう。その不安は、個々の児童生徒がしっかり学べているのかという不安である。だからこそクラウドツールで学習状況が可視化されていることに意味がある。
初期段階では、学び方の手順をしっかり教え、何度も繰り返すなかで少しずつ難易度を上げていくことが適切である。日々の授業のなかで同様の学び方が繰り返され習慣化し、学ぶスキルが身についていく。次第に児童生徒が自分で見通しをもって取り組むことができるようになるので、最初は5分、次は10分、15分と任せる時間を延ばしていき、学習活動の切り替えの判断を本人にさせていくことが重要である。自分のペースをメタ認知できるようになり、学び方を自覚的に更新できるようになっていく。学び手として自律している児童生徒が増えていくほどに、教師には時間と余裕が生まれ、クラウドを参照しながら個別の支援が必要な児童生徒に丁寧に接することが十分可能となる。(p.317)

 現場の先生でなかなかここまで考えて授業ができていない、という現状もあるように思うので、こうしたことも先生方に伝えていきたいなと思います。

まとめ(というか、気づき)

 最後の16章で、いちばん大きな社会の変化の話が出てきて、だからGIGAスクール構想が必要であり、そのために学校はどうすべきか、ということが書かれていたように思います。
 11月末から続けてきた、このひとり読書会は今回で終了です。僕自身は、次に繋げたいと思ういろいろな考えや実践を得ることができました。ここで得たものを、学校現場で頑張っている先生方にどんなふうに伝えていけるのか、ここからまた頑張っていきたいと思います。

(為田)