為末大さんの著書『熟達論 人はいつまでも学び、成長できる』を読みました。陸上競技の選手として3度のオリンピックに出場し、2度世界大会でメダルを獲得した為末選手が、人はどうやって学んでいるのか、なぜうまくなるのか、ということについて考え抜いたことが書かれています。
熟達とは何か、5段階の探求プロセスが書かれています(p.26-29)。「熟達」までいかなくても、自分が上手にやれているものは、この5段階のどこにあるのかな、と思いながら読みました。
- 第一段階・遊
- すべては遊びから始まる
- 遊びは感覚的なもの。覚えるものではなく、ついそうしてしまうもの。
- 遊びによって不規則さと面白がる姿勢を身につけられる。
- 不規則さが身につけば、ある形に最適化されそこで探求が止まるのを避けられる。面白がる感覚があるから探求が続く。
- 第二段階・型
- 私達の思考や行為は習慣が生み出す癖に支配されている。習慣によって思考や行為は変わっていく。
- 型を持てば無意識に基本的な動きができる。
- 型を身につけることは、技能の土台をつくる。
- 第三段階・観
- 観察によって部分に切り分けていければ、関係と構造を理解することができる。
- 構造が理解できれば、見えていない部分が想像できる。
- 表面に見えている結果に惑わされることなく、何が重要なことかが判別できるようになっていく。本質を摑み応用できるようになる。
- 第四段階・心
- 中心を捉える。
- 手に入れた型の輪郭が崩れその中心部分だけが身体に残っていく。
- 無意識で中心を取れるようになると、簡単には崩れなくなり、バランスを保てる。
- この段階になると個性を自覚し表現できるようになる。自分らしさがわざとらしくなく、自然な形で表に出てくるようになる。
- 第五段階・空
- 自我がなくなり、今までの前提が大きく変わる。
- 制約から解き放たれ、技能が自然な形で表現される。
- 自分も解放され、自己とそれ以外すら曖昧になる。
それと、学校は「熟達」ということを目指しているわけではないかもしれませんが、第二段階・型はけっこうきっちりと授業などで身につけさせようとしていて、第一段階・遊も導入のところの工夫でできているところもあるかな、と感じますが、第三段階以降はなかなか学校にはないかもしれないな、と感じました。こうした視点を取り入れながら授業を設計していくのもいいかもしれないなと思いました。
(為田)