加藤陽子 先生の『戦争の日本近現代史 東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで』を読みました。加藤先生の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が本当に好きで、その加藤先生が、「東大式レッスン!」と銘打ってどんなことが書かれているのかと楽しみでした。
本としては、最初に歴史を学ぶ意味が書かれていました。
歴史には「出来事=事件」だけではなく「問題=問い」があり、そのような「問い」のかなりの部分は、時代の推移とともに人々の認識や知の型が、がらりと変わるのはなぜなのか、あるいは、人々の複雑な行動を生み出すもととなった深部の力は何なのか、この二つの問題を考える点に集中する、とまとめられそうです。(p.14-15)
歴史のなかから、「出来事」だけではなく「問い」があり、その「問い」は時代とともに変わっていく。どのように変わっているのか、を知ることが歴史を学ぶ意味となる、というのは賛成です。
歴史学というのは、社会を構成する人間の、ある時期における認識の変化をもたらす要因について、かなり総合的にとらえうる学問だといえるのではないでしょうか。歴史学の手法や考え方が、社会に生きる我々に提供するものはかなり大きいはずだと、自信をもって見通せそうです。(p.16)
出来事は検索すれば概要はいつでも知れるけれど、時代によってどんな「問い」があったのか、どう「問い」が変わっていったか、というのは調べてもなかなかわからないことだと思うので、専門家の導きがいるところだし、少なくとも学校教育で考えられたらいいところだなと思いました。
この本では、征韓論から始まって、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、日本が参戦してきた戦争がどのように検討されて行われてきたかが説明されていきます。
なかなか学校でここまで授業で取り上げるのは大変かなとは思いますが、帝国議会の本会議・委員会の速記録を閲覧できる「帝国議会会議録検索システム」を使うと、戦前期分(明治23年11月~昭和20年8月)は画像で、戦後期分(昭和20年9月~昭和22年3月)はテキストまたは画像で閲覧できるので、議員の発言をチェックすることもできます。
政治家の名前で検索をかけて、会議の行われた年次を絞り込めば、いろいろな発言を見つけることもできるような気がします。
現在の「国会会議録検索システム」で現在の国会論争の議事録チェックとかも副次的にできるようになったらいいな、とも思います。
最後に加藤先生は、戦争を分析する意味についても書かれています。この部分も、そのまま歴史を学ぶ意味に繋がると思いました。
日本の近現代史をながめてみただけでも、新しく起こされる戦争というのは、以前の戦争の地点からは、まったく予想もつかない論法で正当化され、合理化されてきたことがわかります。そして、個々の戦争を検討すると、社会を構成する人々の認識が、がらりと変わる瞬間がたしかにあり、また、その深いところでの変化が、現在からすればいかに荒唐無稽にみえようとも、やはりそれは一種の論理や観念を媒介としてなされたものであったことは争えないのです。
わたくしのやったことは、いくつかの戦争を分析することで、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったのかについて、事例を少し増やしただけなのかもしれません。歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできないのです。ただ、こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。(p.292)
「歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできない」っていうのは、怖い言葉だとは思うけれど、だからこそ、「こうした方法で過去を考え抜いておくこと」が大事だと思うし、そうした目で日々を見る見方を歴史の授業で得られたらいいな、と思いながら読みました。
(為田)