軽井沢風越学園の澤田英輔 先生の著書『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』を読みました。岩波ジュニアスタートブックスから出ている本で、想定読者は中学生です。近所の書店へ行ったら児童書の売り場に1冊だけ書棚にあって、「これをおじさんの僕が買うよりは、このお店で中学生が買うべきだ」と思って、別の日に別の場所で購入しました。中学生へのライティング入門として授業づくりの参考にしたいと思い、読んでメモをまとめてみました。
子どもたちに「書く楽しさ」を知ってほしい
本のいちばん最初には、「この本の内容」と読者向けの説明が書かれていました(p.ii)。
この本の内容
- 著者の澤田英輔さんは、長野県の、幼稚園児から中学生まで一緒にすごす学校で働いています。
- この本は、他人と比べたり、他人の評価に縛られたりするのではなく、自分のために、自分らしく文章を書くことを提案します。
- 文章を書くことがきっと楽しくなります。
中学生が「文章を書くことがきっと楽しくなる」のって、すごくいいなと思います。僕は、自分が文章を書くことでいろんな人と繋がることができた体験をもってきているので、特にそう思うのだと思います。
でも、子どもたちを学校で見ていると、意外と「文章を書くのが苦手」という子は多いです。そんな子たちに澤田先生は語りかけます。
僕がこの本で伝えたいのは、得意な人はすごいねとか、苦手な人はこの本を読むと得意になるよとか、そういうことではありません(実際に、この本を読んでも上手な文章が書けるようにはなりません)。
代わりに僕が差し出したいのは、この「書くことが得意/苦手」ってどういうことなのか、という問いです。特に「得意」と言う人には考えてほしい。あなたはなぜ、自分は書くことが得意と思い込んでしまったのかを。
おそらくそれは、先生に褒められたとか、クラスメートよりも速くたくさん書けるとか、作文コンクールで入賞したとか、そんな理由のはず。逆に苦手な人はその反対で、作文の課題で何をどう書けばいいのかわからなくていっこうに鉛筆が進まず、書いても褒められないか、どうせ本当はいいと思っていないような嘘っぽい褒め言葉をもらうばかり。すらすらと書く人をうらやましく眺め、授業で作文の読み合いがあれば、その人からあれこれ助言をされて自分の下手さを自覚する。そんな体験を積んできたのかもしれません。
でも、この「書くことが得意な人/苦手な人」には、どちらにも共通する点があります。それは、書くことを、他人との比較で、「自分は得意だ」「苦手だ」と思い込んでいることです。(p.2-3)
そういえば僕が「文章を書くのが得意だ」と思い始めた最初も、まさに小学校の頃に作文すらすら書けて、市の作文コンクールで入賞したことだったと思います。(けっこう先生に直されて、「これはもう僕の書いた作文じゃない」と思ってもいましたけど…)
本当に、最初はただの思いこみだったのかも知れません。僕はたまたま「得意だ」というハッピーな側の思い込みだっただけだな、と。
いま僕が働いている学校には、幼稚園から中学生までの子どもが通っています。そこでは「作家の時間」という、子どもが書きたい文章を書く時間があり、小学校低学年の教室では、幼い書き手たちが、白い画用紙に自由に絵を描くようにして、思い思いに原稿用紙に文章を書いています。技術的にはつたなくても、書くこと自体が楽しくて仕方ない子たちは、書く姿勢もしっかりと前のめりになって、充実した喜びが溢れています。それを見ると思うのです。もしかして誰もが、最初はこういう書き手だったのではないかと。
幼い彼らは、書く時に事前に構成を考えたり、執筆計画を練ったりすることを、ほとんどしません。その場の思いつきで書き進め、終わったら「見て見て!」と作品を見せには来るものの、実際のところは書いただけで満足のよう。助言を聞いて改善しようなんてことは、全く考えていません。
(略)
大人たちが、いわば仕事として成果を気にしながら書くのに対して、幼い書き手たちは遊びの延長として書いている。そう言えるかもしれません。(p.11-12)
「幼い書き手たちは遊びの延長として書いている」というところは、自分が教えている小学校1年生から3年生の授業の様子を思い出しながら読みました。
学校では、こういう子どもの文章の書き方を「未熟」とみなして、さまざまな書き方を教え、「遊び」から「仕事」として書くように導いてきました。
(略)
この練習は、大人になっても続きます。ある目的を達成するために、どうやって、読者から見て誤解なく伝わる文章を書けばいいのか。そのための書き方の本が、大人向けにたくさんでています。書くことを学ぶとは、他人からの評価の視線を、自分の中にとりこむ行為でもあったわけです。(p.13)
うんうん。わかります。僕も「ここさ…」ってつい子どもに言ってしまって、子どもたちの書く喜びを奪ってしまったこと、何度もあると思います(泣かれてしまったことすらありますから)。
先生が親切心からうまく書く技術を教えようとすることで、かえって子どもが書けなくなる事例は、意外に多いのかもしれません。
だから「大人の書き方」に象徴される、うまく書くための技術=他社の視線を内面化する技術を、この本ではいったん忘れましょう。他人に読まれるためではなく、自分のために書く。そこから出発して、書くことに向き合っていきたいと思います。(p.14-15)
ここまで澤田先生の書いていることを読んでいて、自分の「書くこと」についての場づくりの反省をするとともに、子どもたちにたくさん書いてもらいたいな、というモチベーションがすごく上がってきました。
書くことで発見できるのは、目に見え、耳で聞こえるものだけではありません。例えば僕がブログを書いている時、書くことで、それまで思いつかなかった考えによく出会います。文章を書くと、新しいアイディアがふっと浮かんでくる。確かにそれまでも頭の中にあったはずなのに、「なるほど、自分はこんなことを考えていたのか」と、書いて初めてわかる。いわば、発見としての書くこと。
どうしてそんなことができるのか。おそらくは、まず頭の中の生煮えのアイディアが文字にすることで可視化され、それを読んだ自分が、ついさっきの自分が書いたその文章に反応して、新しいアイディアを思いつくのでしょう。書くという営みは、今の自分と少し前の自分の、文字を通した絶えざる対話であり、その結果として新しいアイディアが創られるプロセスだ、と言えるのかもしれません。
僕が皆さんに伝えたいのは、このような「発見としての書くこと」「自己内対話としての書くこと」の魅力です。もちろん、書くことには、「あらかじめまとめていた情報や考えを、人んいわかりやすく伝える」働きもあります。「手紙の書き方」や「レポートの書き方」などの授業で教わることの多くは、そのための技術です。でも、それ以上に大切なのが、この「書くことで新しい世界を見つけ、創り出す」働きだと、僕は強く信じているのです。(p.18-19)
めちゃくちゃわかります。書くことで、書きたいことが思いついて、だんだん自分の思っていることができあがっていく感じ。文章を書くのが苦手だと思いこんでいる人に、こういう体験をしてほしいです。そうして「書くことの楽しさ」を知ったら、自分が書くだけでなくて、誰かが書いたものを読むことも楽しくなると思うし、どんどん世界を広げていけるんじゃないかと思います。
書くことで発見するためのエクササイズ
書くことを楽しむようになるためのきっかけになりそうな「書くことで発見するためのエクササイズ(練習)」が3つ紹介されていました。
- 手を使って考える 五行詩づくり(p.22)
- 図書館など本のたくさんある場所へ行って、本を3冊誰かに選んでもらい、2冊自分で選ぶ。
- 5冊のタイトルの言葉を使って、五行の詩をつくる。
- うまくやろうとしなくていい。タイトルとタイトルが組み合わさって、言葉が勝手に、思いもよらぬ世界を創っていくことを楽しむ。
- 五感でとらえる 食べものライティング(p.27)
- 食べ物を用意して、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚など五感をフル動員して書いてみる。
- チョコレートについて書いた作文が例に。おもしろい。
- 読んでつくる 穴埋め短歌(p.33)
- すでにつくられた短歌作品に「穴」をつくって、そこに何が入るか想像してみる遊び。
これ、授業でやってみたいと思いました。どれもおもしろそうです。
この章では、ここまで三つのエクササイズをやってきました。いずれも、自分の外にある材料を使って即興的に書く経験です。「うまく」できる必要なんてありません。むしろ、あれやこれやと言葉を並べたり書いたりしていたら、自分でも意図しないものができてしまった。そんな体験ができる方がずっといい。変でいい、変だからいい。というのも、その「意図しない何かが生まれる瞬間」こそ、書くことの醍醐味であり、もっとも価値のある瞬間の一つだからです。(p.39)
「変でいい、変だからいい」というのは、子どもたち好きそうです。小学校3年生くらいならおもしろいの出してくれるかな…。遊びの延長から、書くことを楽しむような授業、やってみたいと思います。
書き手の権利10か条
「書き手の権利10か条」というのが紹介されていました。こういうのも子どもたちに伝えてあげたいなと感じます。
僕たちは、他者の視線をいったんは離れ、再び、他者のいる世界に戻ってきました。他者は、あなた自身を作ってきた存在でもある。また、他者の存在は、あなたの不安の原因であると同時に、喜びの源泉でもある。この矛盾を、あなたは矛盾のままで受け止める必要があります。
そして、この矛盾に満ちた世界を、あなたはこれから書き手として生きてゆくのでしょう。そんなあなたに、ぜひ贈りたいものがあります。
それは、「書き手の権利10か条」*1。イギリスのナショナル・ライティング・プロジェクトUKという団体が唱えた、誰もが書き手として持っている権利のことです(ダニエル・ペナックの『読者の権利10か条』を真似したものだと思います)。
- 読まれない権利
- 書き直したり、消したりする権利
- 好きな場所で書く権利
- 信頼できる読み手を得る権利
- 書いている途中で道に迷う権利
- 放り出す権利
- 考える時間をとる権利
- 他の書き手から借りる権利
- 実験をしたりルールを破ったりする権利
- パソコンを使ったり、絵を描いたり、紙とペンで書いたりする権利
(p.93-95)
英語原文もあわせて書いておきたいと思います。こうしてあわせて読むと、澤田先生の日本語訳、とても素敵です。
- The right NOT to share.
- The right to change things and cross things out.
- The right to write anywhere.
- The right to a trusted audience.
- The right to get lost in your writing and not know where you're going.
- The right to throw things away.
- The right to take time to think.
- The right to borrow from other writers.
- The right to experiment and break rules.
- The right to work electronically, draw, or use a pen and paper.
「書き手の権利10か条」を読んで、いろいろ僕の評価軸に合わせて子どもたちに書かせているんじゃないだろうか、と反省させられました。
自分が教えている授業を、もっと時間をとって、書く楽しみを探せる授業にしたいと感じました。それこそ探究という活動に繋がっていきそうです。
まとめと感想
中学生向けに書かれている本ですけれど、中学生だけでなく、中学生を教える先生方(国語の先生以外にも!)、保護者の方、小学校の先生方(作文を遊びからだんだん楽しくないものにしちゃわないように)、それぞれの立場での読み方ができる本だと思いました。
僕には、自分の授業のなかでの「書くこと」のあり方を見直す機会になりました。
(為田)
*1:ポスターのイラストもかわいい。オリジナルのPDFは繋がらなかったのでネットで探しました