教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

先生に訊きました「パリ同時多発テロについて、教室で話しましたか?」

 パリ同時多発テロの後、「全国の学校で、学習塾で、先生方はパリでの事件についてどのようなお話をされるのだろう」と想像しました。なぜなら、ニュースで映像を見た子どもたちに対して、先生たちがどんな言葉をかけるかこそが、社会と子どもたちを繋いでいく第一歩だと考えたからです。我々は、教育こそが、将来の世代へ働きかける力を持っていていると思っています。そこで、「教室でどんな話をしますか?」と先生方にアンケートをとってみました。
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 今回のアンケートで、先生方から回答をいただいたのは、15件でした。「話をした(する予定だ)」が53%、「話をする予定はない」が40%、「その他」が7%という結果となりました。
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話をしたいのは、多面的に世界を見るため

 「話をした(する予定だ)」と答えてくださった先生方の理由と、児童生徒の反応を全件、以下に挙げます。

  • テロの概要とそれに対するフランスの報復。また、ISとイスラム教徒は違うということ。(小学校 高学年)
    • テロについては、あまりピンときていないようでした。イスラム教のイメージもあまりないようでした。
  • 定型化・構造化されていない“生”の話題について、何をどう論じるべきかという問いの立て方、そこで立てた問いに対する自分の意見の述べ方、そして他の受講生の意見に対する傾聴と議論にポイントをおきました。(学習塾 中学生 高校生対象)
    • トピックの重要性、そして上記のポイントについては理解し、応えようと努力していたように見受けました。各自が意見を述べ、相互に議論をした後で、講師のほうから「ここまでの議論で“暗黙の了解”“大前提”とされている事は何か?それを疑ってみるとしたら、何がみえてくる?」と追加の問いかけをしましたが、こちらは苦戦していました。
  • PTSDの話の時に合わせて(高校)
    • 深刻だった
  • 事実を正しく知った上で、個々がどういう意見を持つか考えさせるため。わかる範囲でどんなことが起こっているかを伝え、「私はこう思う。みんなはどう考える?」と問いかける。(中学校)
    • 全員がじっくり考えるには難しい内容であるが、その中でも自身の意見をはっきり持つ生徒もいる。
  • 多様な価値観が世の中にはあるということを伝えるために、客観的事実に加え、双方の立場からの見解を一緒に考えました。(中高一貫校
    • 合理主義だけがすべてではないことを常々触れているので、考えるきっかけとなってくれたように思います。そしてシンプルな感情として犠牲者となってしまった方へ哀悼の念を持ってくれた生徒が大半だったように思います。
  • どんな理由があろうと、暴力に訴えることは決して許されてはならないことを伝えるため。(中学校)
    • 真剣に受け止めてくれていた。
  • 多面的なものの見方をする事。なぜ自爆してまでテロを起こすのか。(高校)
    • 今回テロに至る歴史について興味・感心が高まったと思う。
  • facebookで、トリコロールにプロフィール写真を変える人の話を引用して、レインボーに変える人との違いや、なぜ、今回のパリだけトリコロールにしたり、安全を知らせるものを使えるようにしたか、ということを話した。もし、それをするなら、その前日にあった違う国でのテロでもするべきだし、そもそも、フランスは攻撃を受けたが、こちらからも相手の国をアタックしていること、悲しんでいる人がいることもいる。1つの事象を多面的に見るようにしないといけない、と私は考えた、と話しました。また、私は英語教員で、あまり政治には関係ないが、日本もアメリカに協力する国なので、同じことがこれから起こりうるので、今後は選挙権も18才になることだし、しっかり考えたいね、と話した。(高校、中高一貫校
    • しっかりと聞いてくれていました。特に感想は聞きませんでした。

 中学校、高校、中高一貫校の先生方は、話をされている先生が多かったです。目立っているのは、多様な意見を知り、自分の意見を伝えられるようになってほしい、という視点でした。
 話をされた先生の一人は「事実を正しく知った上で、個々がどういう意見を持つか考えさせるため」に話すと回答されています。「わかる範囲でどんなことが起こっているかを伝え、“私はこう思う。みんなはどう考える?”と問いかける」という回答は、子どもたちに意見を求める授業形式へと導けるものかもしれません。文部科学省が今後の教育の方向性として示している、アクティブ・ラーニングにも通じる授業形式だと思います。この先生は、「全員がじっくり考えるには難しい内容であるが、その中でも自身の意見をはっきり持つ生徒もいる」と書かれています。こうした正解がわからない問題に取り組んでいく姿勢は、これから求められるスキルだと思います。意識的に世界とつながり、考えていく子どもたちを育てたいという意識を持っている先生が多いのだと思います。

先生がすべてを知っているわけではない

 「話をする予定はない」と答えてくださった先生方の理由を全件、以下に挙げます。

  • 教科との関連性が薄いことと、フランス以外でも毎日テロが起きていること(中学校、中高一貫校
  • 難しすぎるため(小学校低学年)
  • メディアに流されているように受け取られると心外だから。(中高一貫校
  • 騒ぎ立てることこそが、テロの動機の一つと捉えるため。また、不確かな情報を伝えるべきではないと考えるため。(中学校)
  • 自分の価値判断を述べるほどの知識を持っていない。そのため、自分自身が話すより、新聞記者などの知識を持って話すことができる人物に話していただく方がよいと考える。あるいは当事者に近い人物に。(中高一貫校

 小学校低学年の先生は、全員「話をする予定はない」という回答でした。やはり「難しすぎるため」ということでした。また、中学校、中高一貫校の先生方も、「難しい」ことを、簡単に伝えることで複雑な社会情勢を単純化してしまうべきではない、と考えて慎重な姿勢をとっているように思いました。「どう伝えるか」ということに先生方が意識的に取り組まれている様子が見られます。
 テレビや新聞などのマスメディアだけでなく、さまざまな情報ソースにインターネットを通じてアクセスできるようになっています。また、専門家をクラスに招けずとも、ビデオチャットなどで語ってもらうということもできるようになっています。そうした手段は揃ってきているので、どういった授業設計のなかで、外部と繋ぐのかという先生方の授業設計力がこうしたテーマでは求められると感じました。

まとめ

 教室という空間で、先生が語る言葉には大きな影響力があると思います。その中で、偏った知識を与えるのではなく、どのようにすれば多様な考え方に触れ、学びのきっかけにできるだろうかと考える先生の姿と、先生の言葉がどう聴こえるかを冷静に見つめている先生方の姿が、今回のアンケートで見えてきたように思います。どちらが正解か、というのを出したいのではありません。回答数は少ないですが、このアンケート結果を見て、先生方がどのようなことを考えて、教室での言葉を選んでいるのか、子どもたちのことをどう考えているのかということを見ていただければと思います。

 最後に自由記述でいただいたコメントをこちらも全件アップいたします。

  • 考えを押し付けることはせず、教えるというより一緒に考える姿勢が大切なのかと思う。
  • 高校3年生の現代文の授業で触れました。ご都合主義にならぬよう気を付けながら、彼らも簡単に情報を得られるネット上でのそれぞれの立場の意見に触れ、暴力の連鎖になっていること、一報イスラムの方たちが西洋に対して、そして身内とみなされるISに対して思うであろう感情など、両論に触れながら、最終的には少なくとも不合理な暴力によって犠牲者が出てしまったことは悲しいことだ、ということを落としどころにして話しました。入試現代文では近代合理主義批判が多く出題されるので、普段からそういったことに関しては話していますので、生徒たちはしっかり受け止めてくれたように思います。次の授業の際に、教室に入ると小黒板にpray for parisと書かれていたのは少しびっくりしました。
  • 軽い気持ちで、あまり考えずに、フランスの事件にだけ反応するような視野の狭い偽善者になってほしくない。情報を集め、冷静に分析してから、事件を評価してほしい。痛ましいと心底思えたら、その気持ちを表現してくれたらいい。何の実感もないうときに、「痛ましいと思うべき」と受け取られるタイミングで、この事件を話題にするのは教育者による洗脳かと危惧する。
  • 結果、気になります。こういう機会大事ですね。ありがとうございます。
  • こういう事態が起こると、子どもたちも深く考えてくれる。それを自分たちの生活の中に生かせるようになって欲しい。
  • テロのみでなく、facebookでの人々の対応に、色々考えさせられた事件でした。
  • こちら側が何かを話すというよりも、宗教観やテロという行為にいて考えさせることが大切だと考える。また、物事を一方的に見るのではなく、そこまでに至った経緯、双方の意見を考えることにより、このような結果になったのかを結びつかせて考えさせたい。他者のことではなく、いずれ自分たちが同じことをしてしまわないように、また同じことを招かないように様々な視点から物事を考えることが大切。その為に、教師が今回の出来事についてしっかりと理解し、子ども達の思考の流れを上手くコーディネートしていくことが大事だ。どちらがいい、宗教はだめ、テロはだめ、といった簡易なまとめはなんの意味がない。教師が語るのではなく、子どもたちが今の等身大の姿でこの事実について考え、人としての在り方を見つけていくことが、同じ悲劇を生まない方法だと考える。
  • 教師が価値判断を語ること自体は、教師として正しい在り方と考える。そうでなければそもそも授業はできない。だが、その判断と判断の結果にはいかなるものであっても責任がある。そう観念することがいかなる場合でも構えとして備わっている必要がある。

(為田)