教育ICTリサーチ ブログ

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『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち 子どもが社会から孤立しないために』ひとり読書会

 吉川徹 先生の『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち 子どもが社会から孤立しないために』を読みました。GIGAスクール構想で配備された一人1台の情報端末をどう活用するかの話をするときに、「コンピュータ(ゲームやネット)ばっかりするようになってしまわないだろうか」という心配は、先生方や保護者の方々からよく聞きます。そのことについて考えるべきポイントを与えてもらえる本でした。自分なりに関心があった部分を読書メモとして共有します。

 最初に、「ICTのある世界への移行」というのが不可逆であるということが書かれていました。ICTのもたらす変化はネガティブなものばかりでなく、ポジティブなものもあるのだということが書かれていました。前提として、これは非常に大事だと思います。

このICTのある世界への移行が、歓迎すべきものなのか、忌避すべきものなのか、確信を持って答えられる人はおそらくいないでしょう。ICTが子どもたちの生活や私たちの社会にもたらした変化は、正の方向にも負の方向にもとても大きく、その進化の先がまだ見通せる段階ではありません。
EUで行われた調査では、ゲームで遊ぶことが学校でのより高い能力の発揮や良好なメンタルヘルスと関係しているという結果も報告されています。一方で、ゲームに依存して日常の生活が崩壊したり、ゲームにお金を使い過ぎて、生活が破綻してしまったという問題が生じていることも事実です。
ただ、一つだけ確かなことは、私たちはもはや「ICTのある世界」から「ICTのない世界」へは、後戻りすることはできず、この状況を前向きに突破するしかないのだということです。(p.62-63)

 ここで書かれている「EUで行われた調査」は、註で書かれていたので論文を検索することができました。
pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

 この本の“第4章「発達障害」の子どもにとって、ネットやゲームはどんな存在なのか”では、自閉症スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症ADHD)の子とネットやゲームの関係が書かれています。
 自閉症スペクトラム症の子たちの、「コミュニケーション」の特性と「他の子どもたちがあまり興味を持たない分野に強い興味を持つ」という特性に関して、ICTがどのような役割を果たすのかも書かれていました。
 まずは、コミュニケーションの特性についてです。

自閉スペクトラム症のある子どもの人付き合いのトラブルは、リアルの世界でも起こりますが、ネット上の人付き合いでも、起こりやすいと言われます。
ネット上では現在も、文字を使った言語的なコミュニケーションが多く使われています。非言語的コミュニケーションが使いやすくなっていることは確かですが、そうは言っても言語的コミュニケーションがまだまだ主役です。
自閉スペクトラム症の診断基準には、「非言語的コミュニケーションの苦手さがある」と書かれていますが、実は、言語的なコミュニケーションの能力については明確に触れられていません。実際、自閉スペクトラム症の子どもの中には文字を使ったコミュニケーションが比較的得意な子どもが多く、その場ですぐに返事をしなければいけない音声言語での会話より、自分のペースで読んで、自分のペースで返信を書き込むことができる文字を介したコミュニケーションの方が有利なのかもしれません。
さらには、スタンプやイラストなどのマンガ的表現による非言語的コミュニケーションは、リアルの非言語的メッセージに比べると、情報量が少ない分より明確で、自閉スペクトラム症の子どもにもいくらか理解しやすいものになっています。
このようにネットの世界は、自閉スペクトラム症のある子どもにとって、コミュニケーションのハンディキャップをいくらか埋めやすい場所である可能性があります。(p.79-80)

 続いて、「他の子どもたちがあまり興味を持たない分野に強い興味を持つ」という特性について。

また、彼らは他の子どもたちがあまり興味を持たない分野に強い興味を持つことがあります。たとえば、換気扇の型番と性能に強く惹かれたり、マンホールの蓋のデザインに強い興味を持ったりします。学校の図書室では換気扇について書いた本を見つけることは難しいでしょうし、マンホールの蓋の話に長時間付き合ってくれる友達が運よく見つかる可能性は低いでしょう。
しかし、ネットの世界には、マニアックな換気扇に関する情報がまとめられたサイトや、マンホールの蓋のデザインについて情報が集められた掲示板があります。彼らの興味や関心をより深め、人付き合いにも繋げていける可能性がネットにはあるのです。自閉スペクトラム症のある青年ではSNSを使っていることが友人関係の質が高いことと関係があるという研究などもあり、社交のためのツールとして期待が持てます。
しかし、興味があることに没頭し過ぎるという彼らの特性は、行動の切り替えの苦手さにも繋がります。(略)
このような子どもはやっぱり、ネットやゲームを「おしまい」にすることも苦手です。このために使う時間が長くなってしまったり、約束を守れなかったりすることが起こりやすいのです。(p.80-81)

 ここでも註に書かれていた研究を検索で見つけることができました。pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

 発達障害のある子だけの問題ではないということも書かれています。

発達障害とネット、ゲームの問題というのは見えやすい関係なのですが、そうではない子どもたちの場合でも、生まれ持ったその子どもの特性、それまでの生い立ちの中で身につけてきた好みや行動のパターンが、ネットやゲームとの付き合い方に反映されます。ネットやゲームの問題を考える時、一人一人の子どもの特性から見ていくという考え方は、多数派の子どもの場合でも必要な視点です。(p.88)

 ゲームやネットの世界から離れられなくなってしまっていることについて、「ゲーム」や「ネット」にばかり注目してはいけない、ということも書かれていました。

現代の子どもたちにとって、欠かせない生活の一部となっているゲームやネットは、子どもに関わる多くの問題に登場してきます。しかしそれは必ずしも主役ではなく、目立つ脇役であることも多いのです。ゲームやネットへの嗜癖を意識し過ぎることで、問題の本質から目をそらしてしまうことのないようにしたいものです。(p.114)

 「主役ではなく、目立つ脇役」という表現は非常におもしろいと感じました。学校でのICTの活用によって起こる問題については、「それは別にiPadのせいではなくて、そもそもコミュニケーションの問題ですよね?」ということも多いのですが、そこにぴったりな表現だと感じました。

 また、デジタルに依存しすぎてしまうのではないか、という問題についても書かれていました。

ゲーム嗜癖については、ゲーム時間の長さはその原因ではなく、嗜癖の結果として、生活の中でゲームが長時間を占めるようになると考えた方がよいのかもしれません。
目標はゲームの時間を短くすることではなく、時間を自律的にコントロールできるようになること、つまりゲームをおしまいにする力を身につけることではないでしょうか。条例や規則などの形で一律に決める形の約束にどの程度の効果があるのか、今後検証していく必要がありそうです。(p.118)

 ICTを活用するときに大事にしないといけないことも書かれています。これも、学校でのICT環境を考えるときに参考になる考え方だと思いました。

子どもたちのICTの使い過ぎについて考える時、何よりも大事にしないといけないことが一つあります。それはネットやゲームの他に「も」楽しいこと、やりがいがあることが、この世の中にはたくさんあるという実感です。大人になった時に、ネットやゲーム以外の活動を積極的に選ぶ機会を確保していくことが目標になります。これをレジャースキルと呼んだりもしますが、実は仕事や育児で忙殺されている大人にもとっても心の支えになる大事なスキルです。
このために必要なのは、リアルの世界の中で、好きなものを増やしていくことを大人が支援し続けることです。(p.169-170)

 悪い使い方をしたときに、「取り上げる」ということはしてしまいがちですが、それもあまり意味がないということも多く言われているそうです。本のなかで取り上げられていた、竹内和雄 先生の本も読んでみたいと思いました。

「取り上げるのはたいてい無意味」。これは中学校の教員から大学で研究者になった兵庫県立大学の竹内和雄氏の著書にあった名言です。この領域で継続して発言したり本を書いたりしている専門家のほとんどが、ゲームを取り上げることの無意味さ、危険さを強調しています。
健康な繋がりを取り戻すことが、ネットやゲームの使い過ぎへの対応であるとすれば、対立を深めることになる「取り上げる」という対応がうまくいかないのは理解しやすいと思います。(p.206-207)

 ICTを子どもたちに日々自由に使えるようにすることが、どんな状況を生むのかについては、注意深く見ていかなくてはならないことだと思いますが、そのときの参考になることが多く書かれている本でした。

(為田)