櫻木みわ さんの『コークスが燃えている』を読みました。コロナ禍の社会をがっちり舞台にした小説ははじめて読んだ気がします。ズシンと来る場面がたくさんあります。社会の制度設計、これでいいのか…?と考えさせられる。弱い立場の人たちにどんな状況が起こり得るのか、を考えることができます(つらいけど、起こり得ることだということを知っておかなくてはいけない)。
最後の方で、弱い立場のものにとっての支え合いについて書かれているところを紹介します。
聞き書集のなかにあった、貧乏人が力を合わせないと誰が頼りになるのか、という言葉のことを考えていた。私はそれを正しいと思った。これはきれいごとや義理人情の話なのではなかった。単に事実であり、知恵と合理性の話だった。弱い立場にいる者は、いつなんどき、自分も窮状に陥るかわからないことを知っている。そのときに助けてくれるのが、ひととのつながり以外にないことを知っている。本能的、経験的に、女たちは連帯しあい、助けあってきたのだ。エチオピアの村のコーヒー・セレモニーも、炭住でのにぎやかな集いも、私を助け、支えてくれた友人たちとのLINEのトークルームも、まさに同じようであったのではないか?(p.156)
LINEのトークルームも、こうして支え合いの場になるのだ、ということが書かれています。ストーリー全体でも、LINEが重要な役割を果たしています。具体的にLINEというアプリがどうこうではなく、アプリは何であっても、支え合いの場をオンラインでももっていて、そこにアクセスすることができる、ということが大事だと思います。
中学生・高校生に「これ、読んで」と直接的に薦めにくいストーリーではありますが、こうした作品に触れることで、社会のいろいろな立場の人を想像する力を得られるような気がします。
(為田)