C.M.ライゲルース、B.J.ビーティ、R.D.マイヤーズ『学習者中心の教育を実現するインストラクショナルデザイン理論とモデル』をじっくり読んで、Twitterのハッシュタグ「 #学習者中心のID理論とモデル 」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。
今回は「第2章 コンピテンシー基盤型教育の原理」を読んでいきます。コンピテンシー基盤型教育(Competency-Based Education=CBE)について書かれている章です。おそらく、あまり理解度が高くないと自己評価しています。読んでいて、実例というか授業の形が自分で思い描けていない感じがするのです。
「コンピテンシー基盤型教育(CBE: competency-based education)は、すべての内容の完全習得に導くことができる」(p.32)→「コンピテンシー基盤型教育(CBE)は、受動的な座席時間から能動的で意図的な学習成果の実演に焦点を移す」(p.36)→学習に新しい見方を提供 #学習者中心のID理論とモデル
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) July 28, 2020
受動的な座席時間=授業を受けていればOK、ということではなく、学習成果をきちんと実演できる(=パフォーマンスが示せる)ことを求めるということで、学習に新しい見方を提供する、ということなのだと思います。履修主義と修得主義の考え方に近いかたちになっているのでしょうか。
「北アリゾナ大学は最近、学生に2種類の成績証明書を発行するコンピテンシー基盤型個人学習プログラムを開始した。1つ目は伝統的な学業成績証明書で、2つ目は学位取得に必要であると事前に定義されたコンピテンシーと概念の習熟度を直接説明する証明書である」(p.37-38) #学習者中心のID理論とモデル
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) July 28, 2020
パフォーマンスを示すような活動(プレゼンテーションだったりプロジェクトだったり)を授業のなかに取り入れやすそうなので、大学だとたしかにコンピテンシー基盤型の学習はやりやすそうだな、と思っていたら、「CBEモデルは、学生生活以外の他の義務に悩まされ、時間が貴重な年長の学生のライフスタイルに適合している」(p.38)とも書かれていました。ライフスタイルの問題と言うよりは、授業スタイルの問題のようにも思いました。
初等教育・中等教育でのコンピテンシー基盤型教育(CBE)について知りたいな…と読み進めていくと、小学校での大切な教育課題だと僕が思っている、「完全習得」との関連が書かれていました。
「コンピテンシーとコンピテンシーに関連した概念や語彙には、矛盾する定義が多々ある」「重複や相違点は、コンピテンシーを利用する他の教育的アプローチにも及ぶ」(p.39)→完全習得学習(小学校で一般的だが、中高ではあまり一般的でない)はCBEに包摂される?同義? #学習者中心のID理論とモデル
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コンピテンシー基盤型教育と完全習得学習は同じ意味ではない→「コンピテンシーには、単に成果だけでなく期待されるパフォーマンスのレベルも組み込まれているため、学習者は自分の完全習得を実演できる」(p.39)→違いが正直僕にはピンと来ない。先に進みます。 #学習者中心のID理論とモデル
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ここも、自分的にはあまりわからず、そのまま読み進めていくことにしています。(こんなのばかりになってきて不安…)
そもそもコンピテンシーの定義自体が定まっていない部分も…2002年米国教育省の報告書での定義は「コンピテンスとは、「特定のタスクを実行するために必要なスキルと能力、および知識の組み合わせ」(p.39)とされているそうです。 #学習者中心のID理論とモデル
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コンピテンシー基盤型教育(CBE)は、「重要な学習課題だけを特定するのではなく、学習者が望ましい成果に向かって全身するための枠組みをも特定することにより、学習経験に具体性を与える。」(p.41) #学習者中心のID理論とモデル
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「言い換えると、CBEは学習者が事前に定義された学習期待値上のどこにいるかを見つけ、成功するために必要なプロセス全体に渡って学習者を追跡していくものである。」(p.41) #学習者中心のID理論とモデル
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言葉として書かれている文章はわかるものの、こうした基礎知識がない僕には、「じゃあ実際にどんなコンピテンシー基盤型教育(CBE)が設計できるのか」「それがどんな授業になるのか」、そして「子どもたちがどんな感じに学んでいくのか」を見ないとわからないんだな、と力不足を痛感します。
と言いながら、コンピテンシー基盤型教育(CBE)設計について具体的に書かれているところへ進みます。まずは、コンピテンシー基盤型教育の根底にある価値観です。
コンピテンシー基盤型教育の根底にある価値観(p.42)
- 個人と個人の学習の成功に焦点を当てる
- 学習は明示的かつ測定可能である
- 評価への期待を確立する上で学習者は重大な要素である
- 学習者がすでに知っていることと、学習者が知る必要があることとの間の明文化されたギャップが学習経験を促進する
- 実演は学習が生じたという紛れもない証拠を提供する
- 時間は重要である。特に他にやるべきことがある個人にとって
- 時間は学習の尺度としては不完全である
- 情報提供者から学習促進者へ指導者が役割を転換することは、学習者と指導者自身にとっても健全なことである
「個人と個人の学習の成功に焦点を当てる」「学習は明示的かつ測定可能である」「学習者がすでに知っていることと、学習者が知る必要があることとの間の明文化されたギャップが学習経験を促進する」というところは、授業設計のときには気にしたいと思っているところだし、「情報提供者から学習促進者へ指導者が役割を転換することは、学習者と指導者自身にとっても健全なことである」というのも、ICTを活用している授業などでこうした姿勢の先生方を見てきていて、本当にそのとおりだと実感しているものです。
続いて、コンピテンシー基盤型教育(CBE)の設計原理が書かれています。全部で8項目、それぞれの項目メモを書いておきます。
コンピテンシー基盤型教育(CBE)の設計原理(p.42-50)
- 学習者に期待されるパフォーマンスに基づいてコンピテンシーを記述する
- コンピテンシー全体の達成を支援するために足場かけを用いる
- 学習を加速させるようにコンピテンシーを構造化する
- 学習者の進捗は、学習時間ではなく完全習得に基づくべきである。
- コンピテンシーの評価は、基準準拠型で、個人に合わせたもので、柔軟であるべきである
- 学習者を互いに比較して評定をつけるのではなく、個人に合うようにコンピテンシーが設計されるべき。
- コンピテンシーの記述文が適切な評価を決定する
- 各教育現場で開発された評価と、市販の評価ツールの利用とのバランスをとる
- CBE追跡システムを実装する
- CBEを成功させるには評価が必要である
「もしプログラムがコンピテンシーにのみ基づいている場合には、指導は従来の対面式教室とはまったく異なるものになる」(p.51)→具体的には、授業を時間割で区切り、学習する教科内容を学期に割り振らなくてもよくなり、CBEが複数の学期・年に及ぶことも可能になる。 #学習者中心のID理論とモデル
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) July 28, 2020
それは大改革すぎるだろ…と思って読んでいたら、「完全なCBEはまだ普通ではなく、依然として例外的なものである。CBEを実験的に実施している学校や大学では、1つまたは少数のプログラムのみがCBE式で提供されている可能性が高い」(p.51)→授業、見てみたい…。 #学習者中心のID理論とモデル
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) July 28, 2020
「CBEの実装は、学習者と管理者とにとっても挑戦的なものである。例えば、学習者は馴染みのある単位時間制から、より多くの労力を必要とするように見えるシステムへの移行に抵抗するかもしれない」(p.53) #学習者中心のID理論とモデル
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) July 28, 2020
「既存カリキュラムやプログラムをコンピテンシーを使用して記述して分析することは、教育機関にとって明確な利点をもたらす。組織の意図した学習コンピテンシーをマッピングすることによって、大きな見返りを期待できる」(p.55)→できればK-12のマップを見てみたい #学習者中心のID理論とモデル
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) July 28, 2020
「コンピテンシー基盤型教育(CBE)」についてじっくり読み進めてきましたが、わかるところとピンとこないところがまだらにある感じです。時間で測らないこと、習得したかどうかの評価が重要であることなどは実感が伴ってわかる部分だし、日々苦しんでいるところなので、このあたりを軸にさらに周囲を学んでいきたいと思います。
No.3に続きます。
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(為田)