教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』

 近内悠太さんの『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』は、2020年に一度読んだ本ですが、じっくり読もうとこの週末に再読しました。
 本のタイトルに入っている「贈与」「資本主義」などの言葉から、経済的な話かと思って手に取りましたが、僕はこれを「社会のありかた」と「教育」の話として、すごく興味深く何度もページを行ったり来たりしながら読み返しています。
 読み進めていくと「贈与」だけでなく、「サンタクロース」「言語ゲーム」「SF」といろいろなキーワードが出てきます。ヤマザキマリさん『テルマエ・ロマエ』や小松左京復活の日』など、さまざまな作品に触れながら話が進んでいきます。

 人はさまざまなことを「贈与」されて生きています。家族からしてもらっていることや、家族以外の周囲の人たちからも、さまざまな贈与をしてもらっています。もっと大きな視点で、僕たちが暮らしている社会の仕組み、社会の常識なども、先人から「贈与」されているものだと思います。
 贈与されたものを、今度は別の誰かに贈与して返していく。それが、個人が社会のなかでどう生きていくのか、ということを考える、公教育の話と交わるように僕は思いながら読みました。

 本のなかでも、「勉強」について書かれている部分もあります。以下、その部分を引用します。

贈与はすべて、「受け取ること」から始まります。
「自分はたまたま先に受け取ってしまった。だからこれを届けなければならない」
メッセンジャーはこの使命を帯びます。
だから「生きる意味」「仕事のやりがい」といった、金銭的な価値に還元できない一切のものは、メッセンジャーになることで、贈与の宛先から逆向きに与えられるのです。
そして贈与は、受け取っていた過去の贈与に気づくこと、届いていた手紙の封を開けることから始まり、それは「求心的思考/逸脱的思考」という想像力から始まるのでした。

実は、これを実行する極めてシンプルな方法があります。
「勉強」です。

子供のころ、僕らが学校や保護者によってほぼ強制的に勉強させられていたのは、なぜだったのでしょう?
「まずは何はともあれ、世界と出会わなければならなかったから」です。
そうでなければ、「常識」が身につかなかった。
しかし、大人も勉強することができます。そして、それは世界ともう一度出会い直すための手段となるのです。

具体的に言えば、歴史を学ぶことです。いわゆる日本史、世界史も大切ですが、経済史、政治思想史、科学史、数学史、技術の歴史、医療の歴史なども重要です。
なぜ歴史か。そこには僕らの言語ゲームとはまったく異なる言語ゲームが描かれているからです。同じ人間であるにもかかわらず、生活上のあらゆる精度が僕らのそれとは異なっているのです。それは宗教的信念に基づいた違いでもあるし、政治的制度や経済的制度の違い、そして科学的・技術的違いから生じるものです。
それはいわば僕らにとっての異世界です。だから、そこにいる一人の生身の人間の視座から世界を眺めることができれば、それはそのまま逸脱的思考によって描かれるものと同質のものとなります。
ただし、条件があります。
歴史を学びながら、もしその世界に自分が生まれ落ちていたら、この目には何が映るのか、どう行動するか、何を考えるかを意識的に考えるようにすることです。そこに生きる一人の生身の人間としての自分を考えるのです。(p.238-239)

 学校という場が、「世界と出会う場」であるという考え方にすごく共感します。また、教育を受けることが、贈与を受け取るやり方を増やす方法なのだとも感じました。

 この本を一度読み終わったあとで、「文化系トークラジオLife」(2020年06月28日放送分)『コロナ以後の「臨場性」を考える』Part8(外伝2)で、関西学院大学鈴木謙介先生(charlieさん)と近内さんが対談をしているのを聴いたときにも、いろいろとメモを取りながら聴きました。特にすごくいいな、と思ったのが以下の部分です。

  • 誰かのおかげで成立している社会を知るために、儀式がある。社会や集団をとっぱらって、個人で気づけるか?(charlieさん)
  • だから教育をしている(近内さん)
  • 「教師になる」と「教育をやる」の違い(charlieさん)
  • 教育は分業だと思う。誰の言葉が引っかかるかはバラつきがある。そのひっかかりが、たくさんあればいい。「僕は僕でこれをやります」と言えればいい。(近内さん)
  • 総当たり戦をすればいい。自分がうまくやれないなら、他の人がやってくれてもいい。(charlieさん)

 近内さんの「だから教育をしている」という言葉は、とても胸に響くものでした(リンク先で音声を聴くこともできます)。
 自分自身が教室でやっていること、学校でやっていることが、どんな贈与になって子どもたちに届くのか。届かない可能性ももちろんたくさんあります。こちらが意図しない形で届くこともあります。だからこそ、「教育は分業」として、いろいろな人と関わることができるような学校であることが重要だと思っています。そのために、自分が何ができるのかを考えていきたいと思っています。

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(為田)