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書籍ご紹介:『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』

 福嶋聡さんの『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』を読みました。ものすごく売れるけれども自分の信条に反する本を、自分が作っている書店の棚で売るべきか。タイトルでものすごく惹かれて読んだ本です。

 ヘイト本の定義をCopilotに訊いてみたら、以下のように答えが返ってきました。

特定の人種、民族、宗教、性別、性的指向、またはその他の特定のグループに対して憎悪や差別を煽る内容を含む書籍を指します。これらの本は、偏見やステレオタイプを助長し、社会的な分断を引き起こす可能性があります。

 こうしたヘイト本(と自分が感じる本)が書店に並んでいるのを見かけることがあります。ときどき手に取って、自分が知っている分野のテーマであれば「ああ、こういうふうに書かれているのか」と思って棚に戻します。知らない分野のテーマであれば「本当かどうかわからないな…」と思って棚に戻します。
 こうしたヘイト本は書店で誰にも手に取れる状態であるべきなのかを、著者の福嶋さんがいろいろな観点から書いてくれています。気になった部分を読書メモとして共有したいと思います。

『日本国紀』も『反日種族主義』も、日本人が中国、韓国ほかアジア地域の国やその地域に住む人、そこを出自とする人を誹謗中傷することをテーマとした本ではない。だから、「ヘイト本」とはいえないかもしれないが、「ヘイト本」が撒き散らす思想、主張を下支えする本であることに間違いはない。
その売れ数を考えても、ぼくはこうした本こそ、あからさまな「ヘイト本」より危険だと思っている。その危険な本たちを隠すのではなく、むしろ明るみに晒して、真正面から批判する。いわば、対決する。
その両方を見てもらって読者に判断してもらう。「ウェブ論座」は会費課金制だから、なかなか読者の目に触れる機会はないかもしれないが、気持ちの上では公開対決のつもりだし、ときにはプリントアウトして店頭に掲示することもある。そうした公開対決の場としての書店を、ぼくは「言論のアリーナ」と呼ぶのである。(p.153)

 社会にとって誰にでも明らかに害のある本(と、判断は誰ができるのか?という問題はあるけど)を手に取れないようにして、誰の目にも触れないようにするのがいいのか、誰にでも手に取れるようにして読者に自分で判断してもらうのがいいのか。
 ヘイト本を手に取れないように隠すだけでは解決にならない、ということが書かれていきます。この考え方には僕も賛成ですが、もしも僕が福嶋さんと同じ書店の店長だったら、この考え方に従ってちゃんと行動できるだろうか、と考えさせられます。

これまで何度も言ってきたように、「ヘイト本」の書店店頭からの放逐は、「ヘイト本」の殲滅ではない。「ヘイト本」の存在を隠すだけだ。「ヘイト本を書く、読んで共感する心性、すなわち差別感情は、隠すことではなくならないし、おそらく弱体化もしない。むしろ、目の前から見えなくなったことで、対峙・攻撃することが難しくなるだろう。ならば、「ヘイト本」が書店店頭からなくなったのを見て安心する「正義派」は、そもそも差別感情と正面から闘う決意を欠いていると言えるのではないか?(p.398)

 最後に、書店とはどういう場であればいいのだろう、ということが書かれています。「書店=言論のアリーナ」論、とてもいいと思います。

一人の人間にできることには、限りがある。まずは、そのことを自覚しよう。それゆえにこそ、バトンを誰かに渡すべく、人は言葉を発し、文章を書くのだ。言葉の力を、言葉を届ける本の力を、その本を運ぶ仕事の意義を信じよう。メッセージは必ず誰かに届く。『政治的動物』という本がぼくをここまで追い込んだことが、そのことを証している。
本は、人びとの心に種を撒く。岩波茂雄(岩波書店創業者)が出版社を興すときのシンボルマークに「種まく人」を選んだのは、まさに慧眼である。種は静かに育ち、いつか実を結ぶ。その実がまた芽をふかせる。
さまざまな本がある。多様な考え方がある。人は、そこから本を選ぶ。あるいは、本に選ばれる。「安全地帯」であるからこそ、武装していない人でも「選びの場」に入ることができる。
思想や学問の揺籃として、本のある場所は、さしあたり「安全地帯」でなくてはならないのだ。ここでいう「安全地帯」とは、「危険」なものがない場という意味ではない。「危険」なものにとっても、「安全」な居場所であるという意味である。それが、ぼくの「書店=言論のアリーナ」論である。(p.425-426)

 この本のタイトルである「ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか」という問題は中学校や高校で生徒たちと話し合ってみたいなと思いました。こうした思いを抱えて書店の棚が作られている(こともある)ことを知ってほしいと思うし、そうして自分たちが手に取る本が届けられているのだということを知ってほしいと思いました。

(為田)