献本していただいた、飯間浩明『ことばハンター 国語辞典はこうつくる』を読み終わりました。自らを、「ことばハンター」と名乗る、『三省堂国語辞典』(略して『三国』)の編纂者である、飯間浩明先生の本です。小学生でも読めます。
まだ辞書に載っていない言葉を日々集め、それを辞書に載せるための説明を書くという仕事です。「ハンパない」「うぽつ」など新しい言葉や、いろいろな意味で使われている「やばい」という言葉について書かれています。
言葉を集める=ワードハンティングについての文章が非常におもしろかったです。こうした目線で、言葉と向き合っている飯間先生の文章を読むのは、子どもたちにとって、いいことだと思います。
ワードハンティングでは、「まちがいではないか」「辞書にのせる価値がないのでは」と思われそうなことばも、たくさん見つかります。でも、ぼくは、ことばを「まちがい」「価値がない」とは決めつけません。どのことばも、理由があって生まれてくるからです。
(略)
まちがいかどうかは、ひとびとが決めます。たくさんの人が使っていることばは、もはや「まちがい」とは言えなくなるのです。(p.148-150)
うちの息子(小5)が、「ふつうにいい」とよく言うのですが*1、これについても触れられていました。
「ふつうにいい」は、ちょっと聞くと混乱することばかもしれません。でも、いろんな例を観察すると、この言い方にも理由があることがわかります。
(略)
ワードハンティングを通じて、「ふつうに○○」という言い方は、若い人だけでなく、中年以上の大人もよく使っていることがわかりました。広く使われている以上、国語辞典にものせる必要があります。「ふつう」のこの用法は、『三国』の第7版にのりました。(p.159-160)
以前、大村はま先生の評伝を読んでいたときに、ことばをみんなで集めていくという活動が紹介されていたのを思い出しました。
「第十三章 それから 1980-2005」へ。「大村教室では、よく一人が一つのことばを受け持ち、そのことばの使われ方に気をつけて暮らすということをしていた。単元というほど大きなことではなかったが、ことばの神経を細かくするための試みとして、それを考えた。(続)」(p.503-504) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「誰が何ということばを収集しているかは公表されていて、面白い用例に出会うと、メモや切り抜きをそのことばを集めている人にプレゼントする。それはいかにも大村教室の勉強家らしい、すばらしいやりとりだと、はまは生徒を励ましていた。」(p.504) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「集めてどうする、というわけではないけれども、そんなふうにして暮らすことが、ことばを愛することだとはまは感じる。はま自身が集めていたことばは、「洗う」だ。」(p.504)→先生も一緒になってやるのがいい。いまなら、スマホで撮影したり、SlackやWikiで共有したらおもしろそう。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
ICTが普及して、国語辞典の役割は大きく変わってきています。インターネットでいろいろな言葉の意味を検索できます。個人的にも、本当に国語辞典を開かなくなってしまったと思います。この本のなかでも、『大辞林』と『大辞泉』がインターネットで利用できる、と書いてあります。国語辞典の役割が変わりつつあることを、飯間先生は次のように書いています(p.166-167)。
昔の国語辞典にとって一番大きな役割は、「そのことばをどういう漢字で書いたらいいか」を示すことでした。(略)でも、今では、パソコンやスマートフォンの漢字かな変換キーを押せば、「背景」という漢字は簡単に出てきます。辞書はいりません。
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国語辞典の次の役割は、ことばの意味を説明することでした。(略)それぞれの辞書に、くふうをこらした説明が書いてあります。それぞれに個性のある説明をしているということは、国語辞典の大きな魅力になっています。でも、説明をくふうしているというだけでは、ひとびとのことばに関するなやみに十分応えているとは言えません。
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これからの国語辞典は、ちょうど近所のお医者さんのように、困ったひとびとのなやみを解消するようなものにできればいいな、と思っています。
国語辞典を答え合わせのために使うのではなく、コミュニケーションを豊かにするためのツールとして使う、ということが重要なのだと思います。
国語辞典の役割は、正しい日本語を決めることではありません。では、本当の役割は、いったいどんなことでしょうか。それは――人と人とがことばをやりとりするための、手助けをすることです。(p.162)
これまで、国語辞典は、ことばが正しいか、まちがいかを決める裁判官のように思われていました。そういう国語辞典も、ないとは言いません。でも、ぼくの考えでは、国語辞典は、やっぱり裁判官ではありません。
国語辞典は、ことばの使い方について、アドバイスをするものです。ことばの意味だけでなく、どんなときに使えばいいかということも示します。
(略)
言うなれば、「ことばについての信頼できる相談相手」です。(p.169)
ことばの豊かさや、コミュニケーションのおもしろさ、表現のおもしろさ、ということを考えるひとつの素材として、国語辞典を使うということもできるのかな、と感じました。
ひさしぶりに、書店に行って、新しい国語辞典を開いて、新しい言葉を見つけて読んでみたいと思いました。
(為田)
*1:最近は、「地味にいい」とかもよく言うw