萬屋博喜 先生の著書『SFマンガで倫理学 何が善くて何が悪いのか』を読みました。倫理学という切り口でSFマンガを読み解いている本で、手塚治虫『火の鳥』、岩明均『寄生獣』、石ノ森章太郎『人造人間キカイダー』、荒川弘『鋼の錬金術師』、諫山創『進撃の巨人』などの作品(他にもたくさん!)を題材として、倫理について考えることができる本でした。
目次を見ると、倫理学と言ってもカテゴリーが広いことがわかります。クローン技術、ロボット、人工知能など、テクノロジーが発達したからこそ、中学生や高校生にも現実味が出てきた倫理が多いように思いました。
第1章 生命と操作の倫理
第2章 環境と社会の倫理
第3章 知能と設計の倫理
第4章 管理と自由の倫理
第5章 差別と抵抗の倫理
第6章 文明と未来の倫理
第7章 人生と価値の倫理
「第4章 管理と自由の倫理」のなかで、竹宮惠子『地球(テラ)へ・・・』が取り上げられていました。あらすじはWikipediaでも読めるので、気になる方はぜひ。「人工知能が社会の統治を助ける社会」が描かれているのですが、萬屋先生は以下のように書いています。
当初、人類は社会の統治に役立てるために人工知能を管理していたつもりでした。ですが、最終的にはなし崩し的にすべての判断が人工知能へと委ねられることになっていきました。つまり人類は、支援システムのつもりで人工知能を活用していたにもかかわらず、長い年月を経て人工知能の回答を唯一の「正解」として扱うようになり、結果として人工知能に支配されることを受け入れてしまったのが『地球へ・・・』の世界なのです。
これからもし人工知能がどんどん発展し、社会に浸透して使われるようになったとして、このような未来にならないといえるでしょうか。たとえば、オンライン掲示板やSNSで、人工知能の意見を活用する人がいるようです。「人工知能に問いを投げかけ、いくつか提案された回答の中からよさそうなものを選んだ。選んでいるのは自分なので、それは私の意見」というのがそういった人の理屈ですが、そのような人どうしのやりとりを見ると、人を介して人工知能が対話しているだけのようにも見えてきて、『地球へ・・・』のような社会がすでに始まりつつあるのでは、という気もしています。(p.147-148)
『地球(テラ)へ・・・』が連載されていたのは、1977年1月号から1980年5月号だそうです。SF作品の凄さを感じます。連載開始からもうすぐ50年になる作品のエンターテイメント性に惹きつけられて、自分なりに「もやもや」を感じる。もともと倫理に興味をもっていなかった人たちも、エンターテイメントによって「もやもや」を感じさせられてしまう。こういうことはあると思います。
エピローグで萬屋先生は、SFマンガを入口に哲学や倫理学へと導かれていくルートについて書いていました。
どれほど哲学や倫理学に関する文章を読んだとしても、そこに書かれていることが自分にとっての問題にならないかぎり、哲学や倫理学をしていることにはならない――こうしたことは、多くの哲学者や倫理学者が折に触れて指摘してきたことです。
しかし、哲学や倫理学の専門的な文章や議論を追わなければ、本当に哲学や倫理学をしたことにはならないのでしょうか。私はそうは思いません。少なくともいくつかのマンガを読むことが、哲学や倫理学をすることになっており、さらには自分にとっての問題を見つけることにもつながるのではないか。そのように私は考えています。(p.276)
この本を読んで、取り上げられているSFマンガを読んで「もやもや」と感じる中学生や高校生も多いと思います。そこをきっかけにしてみんなで何に「もやもや」を感じるのかを話し合ってもおもしろそうだと思いました。先生も入って一緒にわいわい語り合えばいいと思います。そして、哲学や倫理学に興味をもって、社会に関わっていく人が増えてくればいいなと思います。
学校の授業で使いたいなと思いました。学校向けの電子書籍読み放題サービスとかでこの本に出ているSFマンガを収録してもらえたら、みんなで一斉に読めるので助かると思います。
(為田)