アメリカの生物多様性の研究者であるエドワード・オズボーン・ウィルソンのある言葉をこないだ知りました。それは、「現代の人は、旧石器時代からの感情、中世に作られた制度、そして神のような技術を併せもっている」というようなものです。すごく印象的だったのですが、うろ覚えで、実際の原文はどんなものなのだろうと思って検索してみました。
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いくつか検索ワードを考えてみましたが、いまいちたどり着かなかったので、bingのチャット検索を使ってみました。質問としては、「「現代人類は旧石器時代の感情、銀行や宗教のような中世の制度、そして神のような技術をもつ」というエドワード・オズボーン・ウィルソンのコメントの出典を知りたい」と書いてみると、bingからは、以下のような検索結果が返ってきました。
こんにちは、こちらはBingです。😊
エドワード・オズボーン・ウィルソンのコメントの出典は、彼の著書『コンシリエンス―知の統合へ』(1998年)の第1章「旧石器時代の感情」にあります。この本では、ウィルソンは自然科学と人文社会科学の間にある溝を埋めることを提唱しています。
このコメントは、人類が進化的に古い感情を持ちながら、現代の複雑な社会制度や技術に適応しようとする困難さを指摘しています。
そうなのかー、と思って『Consilience: The Unity of Knowledge』を検索して第1章を見てみると、タイトルは「Chapter 1 The Ionian enchantment」となっています。
en.wikipedia.org
DeepLで翻訳してみると、「イオニアの魅惑」と出ます。「旧石器時代の感情」、どこにあるんだ!?
続けてChatGPTでも同じように「「現代人類は旧石器時代の感情、銀行や宗教のような中世の制度、そして神のような技術をもつ」というエドワード・オズボーン・ウィルソンのコメントの出典を知りたい」と検索してみました。返ってきた結果は以下のとおりです。
エドワード・オズボーン・ウィルソンのこのコメントの出典は、彼の1998年の著書『コンシリエンス:社会性本能の新しい科学』(原題: Consilience: The Unity of Knowledge)です。この本では、ウィルソンは科学と人文科学の融合について論じており、人間が進化の過程で発展してきた感情や社会的行動の原則についても言及しています。このコメントは、彼が進化論に基づいて人間の行動や社会的構造を分析した上での見解を表しています。
同じ原題『コンシリエンス』が出てきていますが、回答に書かれている副題は違っています。ちなみに日本で出版されている訳書のタイトルは『知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合』です(これはWikipediaに書いてありました)。
これだけだとわからないけど、英語にしてみたら雰囲気はわかるかな、と思い、「出典の英文はわかりますか?」と続けて質問してみたら、きちんと翻訳してくれました。でも、これも本当にそうかがわからない…。
いまパッとPCを使って調べられるのはこのあたりまででしょうか…。ここから先に考えられるのは、図書館へ行って司書の方に助けてもらうか、実際に本を読んでみるかですかね…。
あとは、こうしてブログに書いて発信することで、「あ、その本もってますよ。こう書いてあります」と教えてくれる人が出てくることを期待する(僕は、こういうネットの使い方が好きです)。
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正確な言葉を知りたくて検索をしてみましたがすぐにはわからず残念だったのですが、我々が「現代の人は、旧石器時代からの感情、中世に作られた制度、そして神のような技術を併せもっている」という表現、とてもよくないですか?感情と制度と技術が違う時代を背景にもっていて、アンバランスなんだということだと思います。
そして、いちばん後からもつようになった、「神のような技術」をどう使うかということが大切だと思います。いまのデジタルテクノロジーなんか、本当に「神のような技術」の領域なものもたくさんあります。
でも、その「神のような技術」を使う人が乗っかっている「制度」が作られたときには、まだ「神のような技術」をもっていなかったわけだから、いろいろな齟齬が起こるのも当然だな、と思うのです。民主主義でも齟齬が起きている部分は多いし、資本主義でも齟齬が起きている部分は多いし、公教育にしてもそうかな、と思うのです。
アンバランスなものをいきなり整合性をとりましょう、と言っても難しいと思っています(いつか、整合性がとれる方がいいのはもちろんですけど)。でも、「アンバランスなんだ」ということを自覚しているかしていないかで、思考や行動が変わると思っています。
(為田)