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『コンヴィヴィアル・テクノロジー』 ひとり読書会 No.4「第3章 人間とデザイン」

 緒方壽人さんの『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』をじっくり読んで、Twitterハッシュタグ #コンヴィヴィアル・テクノロジー を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめていこうと思います。

「第3章 人間とデザイン」

 第3章のテーマは、「人間とデザイン」です。かつては「物理的な力」だけだったのが、いまでは「知的な力」も含めて、人間とテクノロジーの間の力のバランスを保っていくことが重要だ、ということをここまでで読んできましたが、そうした人間とテクノロジーの関わりを考えていくうえで、「デザイン」に注目をする章になっています。

 いまは、「人間に着目し、人間を動かす」ためにさまざまなデザイン(見た目のデザインもだし、仕組みのデザイン、ルールのデザインなども含めて)が行われています。スマホをみんなが持つようになり、より「動かされやすく」なっている部分もあるように思うので、「テクノロジーをどう使うのか」ということを考えるのに「デザイン」の観点は重要だと思います。

近年、世界中でビジネスコンサルティングファームによるデザインファームの買収が続いているように、ビジネスにおいてデザインが注目されるようになった背景には、人々の価値観が多様化し、これまでのように常によりよい性能をより安く提供するといった、性能とコストの競争がいろいろな意味で行き詰まりを迎えるなかで、デザインの持つ力によって、他社より性能がいいとか他社より安いというインセンティブなしに人間を動かす(モノやサービスを買わせる)ことができるということに、ビジネスパーソンたちが気づき始めたという側面があるのだろう。(p.112-113)

 デザインの力は、サイエンスによって体系化され、「かつ再現性のあるものにしょうとする潮流」(p.113)が生まれてきています。それが行動経済学やナッジです。

ナッジが意味するところは、あくまでその人にとって「望ましい」行動をとるための「自発的」な意思決定を手助けすることであるが、こうした行動経済学やナッジのようなものを突き詰めていけば、人間の認知限界や心理バイアス、振る舞いのクセといった、人間の脳のバグのようなものをハックして、知らず知らずの間に人間を動かすものにもなりうるのである。(p.114)

 ナッジなど人を動かすデザインについても、二つの分水嶺があり、バランスを見て使わなければなりません。

「情報」の時代に、複雑なアルゴリズムやコンピュータの計算能力によって飛躍的に「知的能力」を高めるテクノロジーに、こうしたデザインの力が組み込まれていく。その中で、わたしたちが本当の意味で「自発性」や「主体性」を保っていくことを改めて意識しなければならないだろう。(p.116)

 テクノロジーの発達によって可能になったデザインもたくさんあります。写真についてはディープテックなどの技術によって、「これ?本物?」と思うような写真もたくさんできます。AI技術で動画の中の人物に好きな言葉を話させて、言葉と口の動きをシンクロさせることができます。ソーシャルゲームで使われている「射幸心を煽る」ゲームデザインも子どもが絡め取られてしまうケースもあると思います。
 デザインにも二つの分水嶺があるということはしっかり向き合わなければならない問題だと思います。デザインを生み出す側も、デザインを受け取り使う側も、どちらも、というのが理想ですが、生み出す側は意図をもって行うことが多いだろうと思うので、やはりユーザー側がしっかり二つの分水嶺を認識しておくことが必要だろうと思いました。

 No.5に続きます。
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(為田)