教育ICTリサーチ ブログ

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ひとり読書会:『考察する若者たち』

 文芸評論家の三宅香帆さんの著書『考察する若者たち』を読みました。タイトルにある「考察」という言葉について、「変わった文脈のなかで使われるようになった」(p.22)と最初に書かれています。ここから、三宅さんは「報われポイント」を人は欲するようになっていて、それがプラットフォームやアルゴリズムによって強化されている、というふうに展開していくのですが、若者というかいま学校で学んでいる児童生徒にも関係するところはたくさんあるな、と思って読みました。興味深かったところを読書メモとして共有します。

 「考察」が流行る背景として、読者が「一つの事実に結びつけたい。一つの正解を見つけたい。一つの結果を手に入れたい。」(p.30)と考えている、というのが書かれています。
 この「一つの正解を見つけたい」っていうの、どこかに正解があることを前提として考えている、というところで問題だなあ、と思っています。それは、正解がないと困っちゃう子どもたちを、学校で見ているからだと思います。例えば、正解がないプロジェクト型学習や、正解がいくつも存在するようなプログラミングの授業で、「正解がわからないから立ち止まっちゃう」子どもたちをよく見かけるのです。

 小学校から高校の間は、国語の授業でも物語や論説文などを読みつつ、「一つの正解」として読み解き方を説明されることも多いので、しかたないと思う部分もありますが、それが学校外での「考察」と合わさってしまうといやだな、と思いながら読みました。

 三宅さんは「現代を「考察の時代」だと考えている」(p.36)と言います。

私は現代を「考察の時代」だと考えている。「……なんか大きな話をしだした」と思ったでしょう。まあ聞いてくださいよ。ここまで見たとおり、考察とは「作者が作品に仕掛けたものとして謎を解こうとする行為」。
物語を読む・観ることが、ただ味わうだけではない、正解を解くゲームになりつつある。それこそが「考察」が変化させた姿勢だ。(p.36)

 この後、「考察」と「批評」の違いも書かれています(p.37, p.43, p.218)。

  • 考察
    • 作者が提示する謎を解くこと
    • 考察には「正解」がある
    • 作者の正解を予想するゲーム
  • 批評
    • 作者も把握していない謎を解くこと
    • 批評には「正解」がない
    • 自分の解釈を発言する営み

 「考察」には正解があるので、「報われるポイント」がある、と三宅さんは言います。

報われたい。――それこそが、第3章まで見てきた令和のヒットコンテンツに共通する感情だった。
商品に、消費者の「報われポイント」とでも言うべきゴールが提示されていると、ヒットしやすい。
たとえば「考察」は制作陣の提示する正解という「報われポイント」があるが、「批評」は正解がないので「報われポイント」がない。(略)
そういう意味で、「報われポイント」があると、令和のヒットコンテンツは生まれやすいと言える。
だとすると、「報われポイント」として象徴的なのはSNSだろう。私は令和のSNSと平成の掲示板をこのような対比で見ている。

SNSは「フォロワー」や「いいね」の数が見えやすい=投稿の「報われポイント」がある
掲示板は「フォロワー」や「いいね」の数が見えない=投稿の「報われポイント」がない
(p.88-89)

 わかるような感じがしつつ、これだと「報われないもの」=「正解がないもの」を読んだり観たりする人はどんどん減っていくんじゃないか、と思うし、「報われる」感じがするものにどんどん飛びつく人が増えていくではないか、と怖くなる。そして、「報われる」感じを強く与えてくれるプラットフォームにどんどん人は集まっていってしまって、そもそも「自分らしさ」がなくなっていってしまう。

TikTokには流行のエフェクトや音楽に乗せることで、アルゴリズムが優先的に拡散してくれる仕組みがある。しかしそれは、発信の個別性を失わせることになる。アルゴリズムに乗ろうとすると、発信者の個別性なんて言っていられず、最大公約数に合わせるしかない。人間の感情ではなくアルゴリズムに選ばれるとは、そういうことである。
するとどうなるか。受信者の個別性も失われていくのではないか。
自分が好きか嫌いかもわからないまま、短期間の報酬刺激を与えられ続けていると、自分だけの感情がわからなくなっていく。それは、自らの個別性が失われていくことにほかならないのではないか。
私たちはプラットフォームのなかで、どんどん自分らしさを消して「正解に近い最適解」を出すことを求められている。それが数値で結果を出すための最短距離だ。自分らしさは消していく。個別性が、意味のないものとされる。報われないからいらないものだとされている。
すると、個人の感想なんて、意味のないもの、正解でないなら出さなくていいものとされるのは当然である。「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が流行するはずである。この言葉は、そもそも感想や感情なんて意味がない、という前提が置かれていないと流行しない。
間違っているかも知れない個人的な感想よりも、作者のもっている正解を当てるゲームのほうが意味のあるものだと思えてしまう。考察が流行する理由がここにある。その思考こそが、じつは、プラットフォーム社会に最適化した発想なのである。(p.140-141)

 ちゃんとアルゴリズムやプラットフォームとつきあえるようにしなくては、と思うのです。学校で子どもたちを教えていても、「いいね」をもらったりすることへの欲求はすごく強いなと思うことは多いです。「それではいけないよ」と伝えるだけではなくて、どうすればアルゴリズムに絡め取られずに、「自分らしさ」を大事にできるように、そこに繋がる授業をつくりたいな、と思いながら読みました。

◆ ◆ ◆

 これまで三宅さんの本を読んで、このブログで紹介してきたのは、「自分の言葉で、自分の好きを語ろう」ということが大事だと思ったからです。この本でもやはり同じように感じました。

blog.ict-in-education.jp

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 そのうえで、積読になっている『自分の「声」で書く技術』をはやく読みたいな、と思いました。この方向性は、僕は自分で授業を設計するときに忘れちゃいけないと思うのです。自分の好きを、どんどん前に出せる子を育てたいと思います。


(為田)