蛯原健『テクノロジー思考 技術の価値を理解するための「現代の教養」』を読みました。テクノロジーは「道具として使えるようになっておく」だけではなくて、「どうしてテクノロジーを知らなければならないのか」をきちんと説明できるためのボキャブラリーを増やしたい、というのが読んだ理由です。それは、2020年から小学校でプログラミング教育が正式にスタートします。プログラミングをなぜ学ぶのか、ということを人に伝えるネタにもなると思っています。このネタはいくつ持っていても困ることはないので、そのためのインプットです。
以下、そうだそうだ、と思ったところをメモ。
まずは、進んできているデジタルトランスフォーメーション(DX)について書かれている部分から。
企業活動においても言わずもがな、あらゆる産業がデジタルトランスフォーメーション、すなわちテクノロジーによる産業革新という激流のまっただなかにある。製造業、素材、化学、エネルギー、教育、例外なくすべての産業がテクノロジーによって再定義されるという、パラダイムシフトが全世界において進行している。
「イノベーションか、死か」「テクノロジーか、死か」
そういう時代を今、我々は否応なしに生きている。
「私はどうも技術音痴なもので…」などと言って薄笑いを浮かべて後頭部をかいていれば許された、そんな時代は残念ながらとうに終わっている。好むと好まざると、あらゆる組織の構成員、とりわけそのリーダーや次世代リーダー候補にとって、テクノロジーに対する正しい理解は「better to have」ではなく「must have」となった。(p.13)
社会の問題とテクノロジーの発達(普及)を組み合わせて、社会をアップデートしなければならない、という点です。この件については、落合陽一『日本進化論』でも同じような問題提起がされていました。地方都市では、まさにこれに当てはまるところがあるのではないかと思います。(参照:書籍ご紹介:『日本進化論』 - 教育ICTリサーチ ブログ)
素材技術とディープラーニングがそれぞれ実用レベルにまで発展し、一方で高齢化の進展でニーズが高まるところに再生医療が実用化の兆しを見せる。
モバイル通信が4Gから5Gへと移行しつつ、エッジコンピューティングや画像認識技術も発展する。その一方で世界中の道路が1トンの鉄の塊で埋め尽くされCO2をまき散らす、あるいは地方問題が進展し人手不足により高齢者の足がなくなっている。それらの社会問題を解決するソリューションとしてライドシェア、MaaS(Mobility as a Service)、電気自動車、自動運転が満を持して登場するのである。
このように、社会に解決すべき問題や、産業や社会に何らかの負の構造、あるいは圧倒的にセクシーなウォンツがなければそれに対するソリューションはそもそも不要であるし、また一方で、それが求められていても高度に実現可能な技術が実用レベルで確立されていなければ無意味なのである。
デジタルトランスフォーメーションがここにきて活況を見せ、これから数十年かけて一大革新を社会に起こそうとしている背景は、各分野のテクノロジーが実用に耐えうるレベルの進展を見せていることと、社会の構造変化に伴いあらゆる産業や社会インフラにガタが来つつあるがゆえの「メジャーアップデート要請」、この大きな2つの理由に他ならない。(p.36-37)
社会課題を解決するために、テクノロジーのスピードが圧倒的に速い、ということも書かれています。事実、アフリカなどではインフラ整備のあり方が、ネットやキャッシュレス決済などによって大きく変わってきていると思います。
アーバナイゼーションは冒頭に述べた通りこの100年の進化である。人類の歴史から見たら極めてハイスピードではあるが、それですらもテクノロジー発展の恐るべき速度にはかなわない。
人類の2割が地方から都市へシフトするのに過去60年かかり、いま人間の5割が都会に暮らしている。あと2割シフトして7割になるのに40年かかる。これが都市化の速さ。
対してテクノロジーは1.5年で2倍性能が上がる、10年で40億人にスマートフォンをばらまく。これが人類史上無敵の走者、テクノロジーの発展スピードである。
これによって何が起きるのか。
地方が都市化していくよりも早くテクノロジーが地方に行き渡る、そういうことである。スマートフォンの普及はさらに地方へと残りの40億人を目がけて進む。無論そのためにデータ通信が張り巡らされる必要があるが、それにはもはや物理的に電線を立てる必要はない。衛星を打ち上げることによって一気に終わる。
同様にわざわざATMの設置を待つ必要はなく電子ウォレットによるキャッシュレス電子決済が普及し、街にあまねくコンビニが普及する必要もなくアプリでオンデマンドデリバリーする、といった具合である。(p.68-69)
日本の地方都市でも、そういうことはできるようになると思います。静岡県立掛川西高校では、パソコン部の生徒たちが自分たちの活動資金をクラウドファンディングで集めたりしています。これも、テクノロジーで何ができるかを知っているからこそ、できることです。
生れた環境による機会の不平等を、ある程度キャンセルしてきたのが公教育制度だと思います。それでも100%その目的が達成されているわけではありません。地理的な不平等のキャンセル、属するコミュニティの不平等のキャンセルもできるようになるのを期待しています。スタディサプリやN高の成功は、こうした方向へと教育を進めている動きだと思っています。
貧しい国の貧しい地域は高等教育へのアクセスに乏しいが、テクノロジースタートアップを創業し成功させるには、当たり前だがテクノロジーや市場に精通している必要がある。そのためには、最低限の体系的な教育は必須である。
加えて何といっても環境である。起業のキの字もない環境にいる人間が、ある日突然一念発起してテクノロジーを自学したり、起業を志すなどというのは現代においては無視してよい程度の出現確率しかない例外である。対して、スタンフォードやMITに通えば、周りは猫も杓子も起業家を志すゆえ「あいつにできるなら俺にも」となる。これをピア効果という。人間という動物は海の向こうの著名人のニュースよりも日々直接に接する同僚や同級生といった、自らが属するコミュニティの構成員からの影響を最も強く受けるという統計である。
つまり、教育へのアクセスに乏しい経済力しか持たない地域、家庭からはスタートアップは生まれづらい。これが不都合な真実である。(p.154-155)
テクノロジーは、ただコンピュータを使える、というだけではなく、社会問題・ニーズをどう解決するか、という観点で考える視点も持たなければならない、ということが語られます。こういうところまで含めて、プログラミング教育を考えていくと、さまざまなアイデアが出てくるのではないかと思っています。
経済産業省がやっている「未来の教室」実証事業にもこうしたコンセプトが入っていると思っていますので、実証事業の報告と合わせて見ていくといいと思いました。
テクノロジー思考では、社会問題・ニーズと、個々のテクノロジーのレベルにおける目的を分けて考える。前者を「大目的」、後者を「使用目的」と言ってもよい。
テクノロジーと大目的(社会問題)の組み合わせのほうが高次な概念であり、テクノロジーの構成要素であるその使用目的とはより低次で基本的なそれである。そして大目的は普遍的であるほど実現した際の人間社会に対する影響は大きく、使用目的は具体的で個別性が高いほど実現可能性が高まる傾向を持つ。
両者を分けて思考することで、テクノロジーの社会へのインパクト、その実現性を高い解像度で認識することができるのである。(p.226-227)
こう考えると、学校でのテクノロジーの扱い方は、まだまだだな、と感じます。「テクノロジー思考」は、子どもたちにとっては大きな武器になると思います。
(為田)