教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:荻上チキ ヨシタケシンスケ『みらいめがね それでは息がつまるので』

 荻上チキ ヨシタケシンスケ『みらいめがね それでは息がつまるので』を読みました。著者の一人である評論家の荻上チキさんの発信を追いかけていて、この本は知っていました。先日、ある小学校で「自分の好きなもの」を発表し合う授業をしたときに、「ヨシタケシンスケさんの本」と答えている子がいて、それがこの本を手に取るきっかけになりました。

 この本は、荻上チキさんが書いたエッセイを読んで、ヨシタケシンスケさんが書くイラストエッセイを読んで…というページ構成になっています。いま、このタイミングで読んでよかったな、と感じています。特に関心があったページをご紹介したいと思います。

 まずは、ヨシタケさんが描いている「生きづらさを取り除け」というタイトルのページがあります(p.187-188)。ここで書かれていたことは、僕が自分が関わる子どもたちに身につけてほしいな、と思っていることにかなり近いと思いました。まさに、こうしたことができるように、ICTを使って広い世界を知ってほしいと思っています。

はたして自分の判断は正しかったのだろうか。


いつか、私たちの選択が「これはこれで必要だった。価値があった」と思える日がきますように。


そのために、しなやかさとユーモアを、お互いが少しずつ身につけていけますように。


そして、ほんとうの正しさ、かっこよさ、おもしろさを探しつづける好奇心をずっともっていてほしい。


しあわせを見つけるために、みんなと同じ道を通る必要はない。


きみの見つけたものがみんなが目指すしあわせと違っていてもかまわない。


いつかきみには一人前のしあわせハンターになってもらいたいのだ。

 ちなみに、タイトルになっている「みらいめがね」については、ヨシタケさんがあとがき(p.189-191)で、「めがね」について書かれています(実際はイラストエッセイで、絵が素敵なので、ぜひ本でページを開いてみてください)。

  1. 人は誰しも何かしらの「色めがね」をかけて日々をすごしている訳ですが、
  2. 自分の「見え方」をいい方向に矯正してもらえれば、世界がより「美しく」見えるハズですよね。
  3. そんな、「自分にピッタリのめがね」を作ってくれる理想のめがね屋さんを、みんなどこかで探しているのかもしれません。
  4. でも、この広い世界には、「めがねはとりかえられる」ことを知らない人がいます。「自分がめがねをしている」ことすら、知らない人もたくさんいます。
  5. また、めがねはめがねである以上、「相性」があります。

…というふうに続いていきます。気になる方はぜひ、本を手にとってほしいと思います。このあとがきの最後にヨシタケさんは、「いろんなめがねがあるのだ」「自分のめがねはあるていど、自分で選ぶことができるのだ」というメッセージを届けられれば、ということを書いています。
 本当にそうで、自分のめがね越しに見える景色だけで物を言わないようにしよう、と最近思っています。みんないろいろなめがねをかけていて、そのなかでの共通理解というものが大事だな、と。

 別のページで、荻上チキさんがメディアについて書かれていますが、これもまた、めがねの一つです。

ソクラテスは文字の発明を、怠惰の技術だとなじった。明治の教育者は、小説は若者を犯罪に走らせると批判した。いつしか活字は共用となり、今度は漫画やアニメがバカにされた。評論家・大宅壮一は、テレビ(メディア)を「一億総白痴化」と批判した。
新しいメディアは、その都度社会から叩かれてきた。ゲームをやると脳がだめになるというゲーム叩きの時期を経て、ネット叩き、そしてスマホ叩きの時期に移行している。100年後も人類は、間違いなく新しいメディアを叩いている。
確かに新しいメデイアは、社会に新しいトラブルを持ち込む。でも、それによって救われる人もたくさんいる。片面ばかりを見てはいけない。それが一体、人に、社会に、どんな役割を果たし得るものなのかを見なくちゃなと思う。(p.168-169)

 仕事で関わっている「教育の情報化」が進められようとしているこの時期に、自分がどんなめがねをかけているのか、他のめがねをかけたらどんなふうに見えるのか、ということを考えなければいけないな、と思います。違うめがねをかけている人にも、伝える努力をしていかなくてはならないと思っています。

(為田)