トレイシー・E・ホール、アン・マイヤー、デイビッド・H・ローズ 編『UDL 学びのユニバーサルデザイン クラス全員の学びを変える授業アプローチ』を読みました。ずっとお世話になっている校長先生からお薦めいただいて読んだのですが、デジタルを活用して子どもたちの学びを変えるヒントが多く書かれていました。
この本では、「第5章 理科におけるUDL」「第6章 算数・数学でのUDL」「第7章 UDLで「歴史する」」「第8章 UDLと芸術教育におけるオプション」と、教科学習のなかでのUDLについて書かれています。そのなかから、いちばん印象に残った「第7章 UDLで「歴史する」」の読書メモを公開します。
第7章 UDLで「歴史する」
自分が受けた高校の歴史の授業は、プリントに空欄がたくさん用意されていて、先生が解説しながら、空欄にキーワードを書き込んでいく、という授業でした。僕が高校でこんな授業を受けていたのは30年前ですが、実はいまもそんなに変わらない授業も多かったりします。この本で紹介さあれるのは、「歴史する」という授業アプローチです。英語だと「doing history」と言うらしいです(以前、このブログでも紹介したことがあるような気がするのですが、探し出せず…)。
「歴史する」授業では、生徒は歴史家のように考え作業することを促される。
とくに、この問題を基にした探究アプローチによって、生徒は歴史に関する方略を、複数の、ときには相反した史料(たとえば手紙、新聞記事、画像、美術品、個人の話)に応用して、歴史的出来事や流れについての洞察を拾い集めることを学ぶ。起こったことについて生徒が自分自身の理解を展開できるように、これらの方略には、一次資料を制限する、確証する、文脈をつける、統合するなどがある。(p.146)
おもしろそうです。でも、「歴史する」授業には課題もある、ということが続けて書かれています。
「歴史する授業」は、生徒の取り組みを促し効果的であるものの、生徒にも教師にも課題をもたらすものでもある。その理由の1つは、伝統的な「教師の講義と教科書」型授業が、教員養成においても学校現場においてもいまだに主流であるということだ。また、今ではどの教室でも見られる学習者の多様性(習熟度、言語、文化的背景、能力、興味などの違い)もさらなる困難となる。「歴史する」授業では、教師は細かなところまで関わっていくだけでなく、多様な生徒たちへのサポートも提供する必要がある。(p.146-147)
この課題を乗り越えるためのカギとなるのが、「学びのユニバーサルデザイン(UDL)」である、と書かれています。
社会科や歴史を教える際に主流となっている教科書中心のアプローチは、すべての生徒に学習上のバリアをもたらしている。自分の生活に無関係で、また日常に応用可能な知識やスキルがつくわけでもない出来事や地名を丸暗記するといった学習では、生徒も教師もやる気をそがれてしまっても不思議はないだろう。印刷物の持つ平面的で固定的という性質は、そもそも歴史という分野が積み上げられてきた基礎にある、アクティブに取り組む探究とは正反対のものである。
従来の印刷物ベースのカリキュラムそのものにあるバリアは、そのような取り組みの悪さに留まらない。社会科や歴史の教科書の著者は、生徒はみな同じ背景知識を持っていると勝手に想定しているため、出来事に関しての説明が不完全だったり不十分になってしまったりしている。また、教科書の多くは生徒に学習ゴールを明示しておらず、特定の人物や出来事、時代を学ぶ理由がはっきりしないままになってしまっている。(p.148)
「歴史する(doing history)」で探究するためには、幅広いたくさんの学習材が必要になる。紙の教科書だけでは、これが圧倒的に足りないのです。
教科書によっては、思考を促す質問や説明付きの画像、現在の時事問題との関連も載せているものもあるが、印刷メディアの限界からは逃れようがない。印刷物は固定的なメディアであり、調節したり、意味ある変更を加えることはできない。その性質からして、柔軟性に欠け、個々の違いに呼応できないのだ。(p.148-149)
インプットだけでなく、アウトプットの方も同様です。柔軟に方法を選べるように、選択肢を準備することがされていない、と書かれています。
コンテンツへのアクセスにたった1つの方法(文章を読む)、また、わかっていることを表すのにたった1つの方法(小論文を書く)しか提供していない。文字言語の解読や書くことに困難のある生徒であっても、他の方法を使えば問題なく内容を理解し、自分の知識を表せる可能性はある。にもかかわらず、ここでは課題の出し方自体が、そのような生徒たちが持てる能力を最大限に発揮することや、課題に完全に参加できることを妨げている。
(略)
指示が達成手段から切り離されて明確なゴールから始まっていれば、課題は書くのでもいいし、ほかのインクルーシブな方法で行ってもいい。そうなれば、知識を得るのにも、わかっていることを表現するのにも多様な選択肢が生徒に与えられることになる。(p.152-153)
UDLのアプローチとフレームワークを意識して授業を設計することで、学習者のための柔軟な経路を提供できるようになります。
UDLのアプローチでは、同じ結果に到達するのにいろいろな経路がありうる。(p.153)
UDLフレームワークにおいては、ゴールは達成手段によって狭められることはなく、成功するために複数の経路が提供される。UDLゴールは、生徒に対して学習ゴールを明確にし、成功の規準を明示し、成功に至るための柔軟な経路を複数提供している。(p.153)
評価(アセスメント)についても、UDLに基づいて行われる必要があります。
UDLに基づいた歴史の指導においては、生徒はゴールと成功するための規準を明確に示され、トピックや教材を選択でき、うまくいっている状態がわかる具体的な手本を示され、理解したことを表す方法を選べる。アセスメントもこのような実践に沿ったものである必要がある。学習のゴール、そしてゴールを達成するための規準は、単元の最初から明確になっていて、アセスメントはゴールに基づいたものでなければならない。(p.167)
歴史の探究プロジェクトは、最終的には作文、エッセイ、論文などの形式か、プレゼンテーションの形式で評価することが多いように思いますが、それだけでなくても、これからは動画を撮影・編集して提出したりするのもありえるのかな、と思います。文字で書くのとは全然違う表現ができる子もいると思います。
「先生、動画で提出してもいいですか?」と言われたときに、「いいね!」と答えられるような授業をしたいなと思いました。
「歴史を作る」授業では、自分の探求プロジェクトを始めるにあたって、歴史的探究プロセスのアウトラインを提示される。このアウトラインによって、生徒が責任を持って習得しなければならないプロセスが明確になり、また、探求プロジェクトの各段階を行う過程で支援が得られることもわかる。生徒は作業を進めながらアウトラインと照合したり、教師とちょっと面談することで、自分の進捗状態を振り返ることができる。このような面談を通じて教師と生徒は、どのように行われているか、特にうまくいっているところはどこか、支援がいつ必要なのか等を把握できる。プロジェクト中ずっと自分の進捗の評価に関わっているので、結果として最終的につけられた成績にも意外性はないのである。(p.167-168)
こういう、ずっと見守り、ずっと見守られている感じを作れるかどうかが大事だな、と思いながら読みました。
p.168
「重要なのは、学習ゴールを思い出し、そのゴールに評価の手段も揃えることである。評価の規準に支障のないサポート(つまり評価の対象となっているスキルや知識に直接下駄を履かせるようなものではないサポート)を提供することは、むしろ実際にその生徒が課題をマスターしたかどうかをより正確に測定することになる。
(略)
UDLに基づいた総括的評価(単元テスト)では、評価内容やスキルに支障のない限り、指導中に提供されたオプションやサポートは提供されるべきである。(略)特定の限られた時間内に知識を想起する力が測定されるべきスキルの一部になっていない限り、総括的評価は正式な教室の場面以外でも行うオプションが与えられるべきである。」
探究する内容と、評価の手段を揃えることが大事、というのには賛成です。ただ、いまの学校だと、ここがいちばん難しそうだなあ、とも思います。評価は先生方もいちばん大事にしているところなので。
「歴史する(doing history)」の授業、日本国内でどこかでやっている先生、いないかなあ。ここを読んでいて、2023年9月に参観させていただいた、愛光中学・高等学校の授業を思い出しました。こんな感じなのかな…。
まとめ(というか、感想)
UDLそっちのけで、「歴史する(doing history)」とはどういう感じにやっているのかな、ということが気になってしまいました。勉強してみたいです。どなたか、「歴史する(doing history)」の授業に詳しい方、教えて下さい。
No.4に続きます。
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(為田)
