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ひとり読書会:『UDL 学びのユニバーサルデザイン クラス全員の学びを変える授業アプローチ』 No.4 「第9章 電子機器を使わないUDL:ローテク環境での応用」「第10章 UDLを運用できる教員の養成」「訳者解説」

 トレイシー・E・ホール、アン・マイヤー、デイビッド・H・ローズ 編『UDL 学びのユニバーサルデザイン クラス全員の学びを変える授業アプローチ』を読みました。ずっとお世話になっている校長先生からお薦めいただいて読んだのですが、デジタルを活用して子どもたちの学びを変えるヒントが多く書かれていました。

 今回は、「第9章 電子機器を使わないUDL:ローテク環境での応用」「第10章 UDLを運用できる教員の養成」「訳者解説」の読書メモを公開します。

第9章 電子機器を使わないUDL:ローテク環境での応用

 第9章の冒頭では、UDLについては、「テクノロジーなしでもUDLをうまくできるか?」という質問が、もっともくりかえし訊かれている、と書かれていました。先生方にとって、テクノロジーに詳しくなくてもUDLを実践できるのか、また「UDLとはテクノロジーのことなのか、それとも教授法のことなのか?」(p.191)という2つの問いへと繋がっていきます。
 この本での回答は、「テクノロジーがなくてもすべての子どもたちへの指導にうまく運用できる」というものです。

本章では、UDLガイドラインが構造的なフレームワークであるとして、これらの質問に直接的に答えていく。つまりここでは、テクノロジーがUDLの導入や継続に重要であるものの、UDL原則とガイドラインはテクノロジーがなくてもすべての子どもたちへの指導にうまく運用できるということを明らかにしていく。(p.191)

 UDLはテクノロジーなしで行うのがいい、というのではない。むしろ反対で、テクノロジーを取り入れることで、UDLの目指していることを実現できる、と書かれています。

p.192
「UDLは初めから十分な根拠をもとに現代のテクノロジーを取り入れてきた。それは、現代のテクノロジーの力と柔軟性があれば、学習体験を個に対応しカスタマイズする力が増大するからである。印刷のような古い固定したテクノロジーは、指導と学習への標準化したアプローチを要求したが、それに代わる新しいテクノロジーは、柔軟性と多様性を許すどころかむしろ後押しする。」

 第9章の最後に、「UDLとはテクノロジーのことなのか、それとも教授法のことなのか?」という問いへの答えが書いてありました。

UDLの主眼は、テクノロジーではなく教授法である。UDLの最も革新的な点は、テクノロジーに対する期待度を上げることではなく、教育に対しての期待度を上げることである。従来の教育では、たくさんの子どもたちに対して期待を低く持ち、その学年に必要な伸びを示すには、彼らの障害が重過ぎる、環境が悪すぎる、彼らが多様過ぎるとしてきたが、UDLでは革新的に異なる期待度を持つ。ゴールを達成するには、障害があり過ぎ、環境に不利過ぎ、均一過ぎるのはカリキュラム自体であり、それが実は問題なのだということである。(p.214-215)

 ここに書かれていることは、「UDL」でなく「ICT教育」に読み換えてもいいのではないかと思いました。「テクノロジーに対する期待度を上げる」のではなく、「教育に対しての期待度を上げる」ということ。これは学校で先生方がICTを活用するのをサポートするときに、頭に入れておきたいなと思った言葉でした。

第10章 UDLを運用できる教員の養成

 第10章の最初には、UDLがカリキュラムの4つの要素(ゴール、手法、評価、教材)に存在するバリアに対応するために、テクノロジーがどう機能するかが書かれていました。

UDLフレームワークでは、テクノロジーは次の3つのことを効率よく正確に提供することができる。(p.217)

  1. 情報(概念等)を提示する代替手段
    • 従来的な提示方法や最初の提示方法ではアクセシブルでなかったり役に立たなかったりしたときの新しいアクセスの手段
    • 例:文字テキストに替わる話し言葉、ビデオ、思考ツールなど
  2. 表出に関しての代替手段
    • 子どもが活動に取り組み、自分の知っていることを表すための代替手段
    • 例:音声入力、イラスト、代替メディアによる作文
  3. 取り組みに関しての代替手段
    • 努力を維持し、子どもにやる気を起こさせるための複数の方法
    • 例:目新しさやチャレンジのレベルを変えること

 情報へのアクセスは、児童生徒同士でも繋がれるようになっているいま、先生方にとってテクノロジーの特性を知っておくことは本当に大事だと思います。

情報へのアクセスはほとんどどこでもできるので、今までの世代とは著しく異なることが今日の児童生徒には要求される。今日の児童生徒の大多数は、大抵の情報に関していつでもアクセスできる。さらに、共有の情報拠点にほぼ即アクセスできるだけではなく、もっと重要なことは、児童生徒同士がただちに互いにつながることができるということだ。教師の役割は、生徒に情報や意見を授けることから、学び方の指南をすることへと焦点がより移ってきている。(p.221-222)

訳者解説

 最後に「訳者解説」で訳者のバーンズ亀山静子さんが書かれていた、「同一・一斉指導でなくても大丈夫?」という不安に対しての3つの答えを紹介したいと思います。これ、「個別最適な学び」を実現しようと先生方が頑張るときに、力になってくれる言葉であるような気がします。

 まず1つめの不安は、「それぞれバラバラに学習させたら教室が混乱してしまうのではないか」という不安です。

「それぞれバラバラに学習させたら教室が混乱してしまうのではないかという不安から、どうしても思い切れない」という声を聞くことがあります。でも、現在行われている、1つの方法に絞って行わせている学習方法が、本当に「統一されて秩序がある」のでしょうか。あるいは統一されていることの必要性はどこにあるのでしょうか。
見た目の「秩序」の陰にできているバリアによって学べない子がいる――これはこのような不安を語る先生も十分にわかっていて心を痛めていることです。自分の学びに主体性を持ち、目標を定めて学習をすれば、「これではやりにくい」「このようにやりたい」という判断もできるようになるでしょう。「受け身な学習」が習慣化していたり、今まで選択の自由がなかったりしていれば、選択することにも、自分で舵取りして学習していくことにも慣れていないために、初めは上手にできないかもしれません。そういう学習の仕方にも足場的支援を提供して徐々に主体的に学習できるように環境を整えればいいわけです。(p.249-250)

 この不安への答えは、そもそも「統一されていることの必要性はどこにあるのでしょうか」というものでした。揃っていればいいかというと、そんなことはないのですよね。一見、揃っていて統一されているようでも、完全に受け身になっていれば、その学びがいいものだとはやはり思えません。主体的に学べるためには、どう足場的支援を提供するか、どんな環境を整えるか、が大事になります。

 2つめの不安は、「子どもたちの行動が無茶苦茶にならないか」という心配です。この心配は、僕も教室で授業をすることがあるので、よくわかります。実際、「こんなに子どもたちみんなが違う方向を向いていて大丈夫だろうか…?」と思う瞬間が僕にもあります。

実は本当に心配なのは、子どもたちの行動が無茶苦茶にならないか、ということなのかもしれません。もちろん、子どもが効果的な学習をするには自己調整が必要です。「なぜ」学ぶのかがわかると取り組みは良くなります。また、行動のコントロールを促す学校環境作りもその支援となるわけです。(p.250)

 3つめは、評価についての不安でした。評価については、たくさんの授業を見ながら自分自身で評価をするならばどうするのか?ということをシミュレーションしていきたいなと思います。

「理解や表出にバラバラの方法をとると評価ができない」という声もあります。これも授業(単元)の達成目標がはっきりしていれば難しくありません。どんな方法をとっていても、その目標が達成できるかどうかで評価はできるわけです(ここで「目標自体にバリアはないか?」と問い直すことも重要になります)。成績の基準を示すルーブリックを作っておくと成績をつける(総括的評価)ときの助けになります。ルーブリックは、それだけではなく形成的評価にも使えますし、子どもとも共有しておけば、本人が自らの調整をする時も教師がフィードバックを与える時にも役立ちます。(p.250)

 No.1でも少し書きましたが、意味のある評価をしたいんですよね。次に繋がる評価。「あー、今回、評価、悪かったー」で終わるのではなくて、次に向かって前向きになりそうな評価をしてあげたいです。

まとめ(というか、感想)

 ひさしぶりにたっぷり時間をかけて読み、読書メモを作った本でした。僕は、学びに選択肢が多い方がいいと思っていますし、評価ももっと柔軟にして「ある領域ではイマイチだけど、これをやらせたらめっちゃすごいな…!」というような評価が行われる場面が増えたらいいなと思っています。そのために、UDLの考え方はおもしろいと思いましたし、テクノロジーが柔軟性と多様性を与えてくれる、という考え方もとてもいいな、と思いました。

(為田)