教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

ひとり読書会:『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』

 島沢優子さんの『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』を読みました。第一線で活躍するアスリートを育てたコーチ18人の人材育成術が紹介されている本ですが、ぜひ学校の先生に読んでもらいたいと思いました。先生方と共有したいな、と思ったところを読書メモとして共有します。

恐怖学習では、人は育たない

 まずは、福岡大大濠高校の男子バスケットボール部の片峯聡太 監督のエピソードです。この本で取り上げられるコーチの多くは、以前は叱っていたけど、そこから変わってきた、という人たちです。僕も小学校のときにやっていたサッカーも、中学校のサッカー部も、それなりに叱られてきたなあ…。高校はそんなでもないな…。

当時は指導者の多くが「殴ったほうが選手は伸びる」と考えていたはずで、その感覚は決して間違いではない。ガツンと怒る手法は「一発学習」、別名「恐怖学習」とも言われ、子どもの記憶に強く残るため、一時的にパフォーマンスが挙がる。つまり即効性が高く、学校現場やスポーツ指導で長く採用されてきた。ところが、恐怖学習がくり返された選手はそれがトラウマになりバーンアウト(燃え尽き症候群)しやすいという副作用が生じる。
これと対照的な「強化学習」は、選手のスモールステップを「少しずつだけど確実によくなってるね」と認める手法だ。ほめられれば、意欲をつかさどる大脳基底核の一部である「線条体」が活性化する。育成年代の指導者はこちらを選択すべきだろう。(p.45-46)

 いま、僕は教室で子どもたちを教えているときに、「叱る」というのはやってしまっています。言葉で、態度で、叱って、子どもたちの行動をコントロールしようとしている場面も多いと思う。いろいろ考えさせられます。
 「恐怖学習」をさせたいわけじゃないんだけど、短期的に「いま、なんとかしなきゃ」と思ってしまって、叱ってしまっている。

 福岡大大濠のバスケ部には、コーチがたくさんいるそうです。そのことの良さが語られていました。

コーチを複数置けば、選手はさまざまな大人に話を聞いてもらったり、指導してもらえる。得られるフィードバックが多ければ多いほど、自分を振り返ることができる。そうやって自分と向き合える選手は確実に伸びるはずだ。
フィードバックは選手にとって耳が痛いことも含まれるだろうが、同時に努力に対する承認、励ましや期待のシャワーを浴びることができる。つまり意欲をうながす仕掛けをするわけだ。(p.48)

ひと昔前ならば、自分の選手はほかの指導者に触れさせもせず、言葉を交わすことさえ禁じた人もいた。裏を返せば自分への信頼が薄れる恐れを抱いたのかもしれない。その点、片峯は真逆だ。
「(選手が)片峯聡太の信者にならないように気をつけています。選手が一番輝く状態になるにはどうしたらいいか。それには、さまざまなアドバイスから必要なものを取捨選択する力を身につけてもらわなくてはいけません。卒業後も多くの指導者に出会うことを加味すれば、借りる手は多いほうがいいと考えています」(p.49)

 「信者にならないように」というのは大事なことだなと思います。学校の先生にもこのあたりは通じることがありそうです。

「自分の経験則が何の役にも立たないことを知ること」

 続いて、筑波大学蹴球部の小井土正亮 監督の言葉が、指導の質を高めるために重要なこととして挙げていた言葉がよかったので紹介します。

18~22歳の強化を請け負う大学サッカーは日本独特の育成文化と言えるが、その役目を担うには指導の質をより高めることは必須だろう。
そのために重要なものは何か。この質問に、小井土はすぐさま「自分の経験則が何の役にも立たないことを(指導者が)知ること」と答えた。(p.75)

 「自分の経験則が何の役にも立たないこと」を認めるのはつらいし、それを行動の基盤に置くのってすごく大変だと思いますが、こう言い切れるのはすごいです。

子どもたちに余白を与えることの大事さ

 NPO法人大豆戸フットボールクラブという強い少年サッカーチームがあります。代表理事の末本亮太さんは積極的にSNSで情報発信をしていて、ずっと追いかけている方なのですが、この本にも登場していて、改めて大豆戸フットボールクラブが何を変えてきたのか、ということを知ることができました。

まずは年間150試合を100試合以下に削った。土日はそれぞれ丸一日サッカー漬けだったのを、午前だけ、午後だけと半日にした。試合をしないと強くならないのではないかと戸惑う保護者に対し、子どもに余白を与えることの科学的、医学的根拠を示した。
意欲を引き出すには自立させることが重要だと考え、試合の際は保護者の引率をなくして子どもたちが自分で電車を乗り継ぐ現地集合に転換した。子どもが道に迷ったり、電車を間違え試合に遅れても叱らず継続させた。親から「行くよ」と言われて連れて来られるのではなく自分からサッカーを求める環境に変えた。
すると、試合に必要なものをバッグに入れるなど自分で準備をするようになったうえ、「やる気に溢れ、プレーにも主体性が生まれた」(末本)。自分の力で試合会場まで辿り着くという達成感。時間を逆算して次に何をやるべきかを考える習慣。それらが子どもを成長させたのだ。(p.82)

 任せて自由にさせるというだけではなくて、「失敗しても叱らない」というのとセットになっていることが大事だと痛感します。こんなに僕は信じて委ねられるだろうか…。すごいです。
 コーチ側からだけでなく、保護者からどう見えるのかも知りたかったので、保護者の方のコメントもあってよかったです。

大豆戸に息子2人が所属していた飯塚貴子は「大豆戸のコーチたちは子どもに対し余計なことをしません。成長する邪魔をしないんです。子どもたちに余白というか、余裕を与えてくれる」と表現する。
(略)
毎年6年生が訪問する宮城県の石巻での遠征も現地集合。事前に自分たちで現地の情報を調べ、新幹線、在来線を乗り継いで子どもだけで行く。斬新なやり方に、保護者から「これでは任せられない」「もっと世話を焼いてほしい」といった要望も上がった。
しかし、少しずつそうした声は減っていった。
「親はもうドキドキ、ハラハラです。でも、子どもがとにかく楽しそうで。そして、成長していくのがわかるんですね。学年が上がるたびに、遠征から戻るたびにたくましくなりました」(飯塚)(p.84-85)

 ここで書かれている石巻への遠征、末本さんのSNSでよく見ていて、「すごいなー」と思っていたのでした。改めて、本当にすごい。

文科省の「アクティブラーニング」はスポーツ界にも関係してた

 次に、いまはアメリカでNBAを目指して活動している河村勇輝 選手ががミニバス(小学生)時代に所属していた、柳井バスケットボールスポーツ少年団の森本敏史 元監督について。森本 元監督は公立小学校の先生だったそうで、ミニバスの指導と公立小学校での「アクティブラーニング」の関連について語っていました。

考えあぐねているとき、本職である教師の経験からヒントをもらった。教育現場で少しずつ広がり始めた「主体的学び(アクティブラーニング)」である。大まかに言えば「目の前の課題について自ら考え、解決法を探る力をつける教育」を指す言葉だ。そのためには、教師が一方的に何かを教えたり抑圧したりせず、子どもが主体的に動かいたことを認めて、ほめることが重要だと森本は理解した。
(略)
「学校でも、子どもを認めてほめて育てようという気運が高まりました。学校が変わろうとしているのに、ミニバスで厳しくやって伸びるわけがないと気づけたのが大きかった。怒って圧力をかけるのではなく、いいところをほめて挑戦させる、頑張らせるという指導スタイルに変わっていきました」(p.142)

「子どもたちは必ず遊びに飽きる。そして、戻ってくる」

 中学生の硬式野球「ボーイズリーグ」の強豪 堺ビッグボーイズ 代表 瀬野竜之介さんは、やらされる練習ではなく、子どもたちの主体性に任せる練習に方針を転換しています。練習時間を短くして、あとは自主練習に。でも、子どもたちは自主練なんてしないで遊びに行ってしまう。ドジャースのスカウトに「半年は必ず待て。口を出すな」と言われたのを信じて待った、というエピソードが書かれていました。

コーチや親に言われてやる自主練は「ほんまの自主練ちゃうなと思った」。子どもたちの主体性に任せると約束した手前、練習しろとは口が裂けても言えなかった。
「子どもたちは必ず遊びに飽きる。そして、野球に戻ってくる」
スカウトに言われた、この言葉を信じた。
瀬野は無言で見守り続けた。(p.153)

 結果、子どもたちは自主練を始めるようになった、という話でした。

子どもたちにも、貴重な経験になったはずだ。自主練をせずに遊んでしまえば、後になって「やればよかった」という後悔が生まれる。その反省をもとに練習できれば「やってよかった」「やっぱり野球は楽しい」と達成感に包まれる。この体験は、社会人になると生きてくる。成人すれば世話を焼く大人はいなくなるのだから。
主体的に取り組む「ほんまの自主練」は子どもたちの成長し続ける力を育んだ。(p.154-155)

 これ、学校での「タブレットは自由に使わせましょう。最初は悪いこともするだろうけど、いつかきっとそれに飽きて、学びに使うようになるはず」と言い続けている自分に重なりました(実際はそう簡単じゃなく、いつも悩みながらこの言葉を言っている自分…)。

考えさせる指導の難しさ

 特定非営利活動法人「I.K.O市原アカデミー」理事長の池上正 さんの指導では、子どもたちに考えさせることを大事にしていることが紹介されていました。「主体的に」考える機会をつくることの難しさを考えさせられます。

池上の指導は子どもに自分で考えさせるため、問いかけることが基本だ。「今何考えてたの?」と質問すると「わからない」と答える小学生が多い。中学生も同様だ。そこでより具体的に「こんな状況で、こうなるとしたら、どう考えたらいいと思う?」と質問を変えるが、やはり「わからない」と言われる。
それでも池上が粘って問いかけると、今度は「じゃあ、答えを教えて」と簡単にギブアップする。池上は「答えはいっぱいあるんだけど、全部は言えない。いろんなことが起きるよ。だから、君が答えを見つけないといけないよ」と伝える。そうやって寄り添えば変わっていく子どももいるが、そのような池上の指導を「時間の無駄」と表現する子もいる。昨今言われるようになった「タイパ(タイムパフォーマンス)」である。
「同じような子に、全国各地で出会います。講習会などで足を運ぶたびに日本中の問題だと感じます」(池上)
つまり、主体的に何かを考える力を育てられていないのだ。(p.187)

 これ、似たようなことを考えることがあります。答えを教えたいのではなく、自分で考えてほしいんだけど、なかなか伝わらない。子どもに自分で考える経験をたくさんして、その過程で起こる失敗も認めて、自分で考えた結果の成功体験を積んでいく。それをするためには時間の余白も社会の余白もいるよな、と思います。

「部活と受験は同じロジック」というのはもっと言われてもいい気がする

 宇都宮文星女子高校バレーボール部監督 大倉修 先生の話もおもしろかったです。大倉先生は体育の先生ではなく、特進コースの英語講師で、まったくのバレーボール素人でありながら全国大会へ進むバレーボール部の監督を引き受けた、とのことです。大倉先生が言う、部活と受験の似たところ、というところがすごく好きでした。

もともと「(部活は)なんでこんなに練習試合が多いんだろう?」と疑問だった。教師として特進コースで長く生徒を支えてきた大倉にとって、限られた時間の中で志望校合格を目指す大学受験と、勝利を目指す部活は同じロジックだ。
模試ばかり受けてB判定だった、C判定だったと一喜一憂していても力はつかない。部活も勝った負けたをくり返すだけで、何がよくて、何が課題なのかを洗い出して向き合う振り返りがされていないように見えた。
「次に向けて強化していくべきことを具体的に分けて取り組まなくてはなりません。勉強にたとえると、英単語のように毎日反復練習をしなければいけない細かい勉強と、じっくり時間をかけて取り組む長文読解などの2つに分けられます。それをバレーに応用して、今日のテーマ、今週のテーマ、今月のテーマと、短期、中期、長期で練習の課題を明確にしました」
例えば、練習試合で「サーブをセッター(トスを上げるポジションの選手)に正確に返す」という課題が出てくる。そこを意識した練習をしたら、サーブがセッターに収まるようになったので攻撃のバリエーションを増やす。次は試合に向けて、相手に応じた攻撃を場面に応じて取捨選択できるようにする。つまり、単なる練習試合のくり返しから、計画的で目的を持った練習への改善を図った。
「私が死んだとしても、この子たちなら自分たちで相談していい試合をすると思います」
大倉の言葉には、およそ10年の指導で培った自信が垣間見えた。(p.205-206)

「主体性」とは何か?

 主体性を育む支援の難しさについて、スポーツ心理学者・筑波大学名誉教授 市村操一 先生が感じるという疑問も、教室での授業で「主体性」を育もうとするときに同じことが起きがちかもしれないと思いました。

主体性のあり方を勘違いしている監督、コーチも少なくない。コーチング研究の一環で高校の運動部活動の監督にヒアリングを続けている市村が練習に訪れると、監督らが出てこなくても、子どもたちはウォームアップ的なものからミニゲームまですべてこなしていく。これを指導者は「僕らがいなくてもやれるようになった。生徒は自主自律している」と表現する。
「すべて大人から教わったこと、決められたことをやっているだけ。それって主体性なのでしょうか。先生から教わったことを、先生がいなくてもやれるようになったら主体性があるとみなす。この感覚には少々疑問を感じます。(p.215)

 そうなんですよね…主体性って、何なのだ…と考えてしまいます。

まとめ

 18人のコーチの実践を知ることができてとてもよかったです。最初から確立されている「叱らない時代の指導術」「主体性を伸ばす指導術」なのではなくて、悩みながら、指導を受ける子どもたちや保護者や他の指導者たちとぶつかりながら少しずつ磨いてきているものだ、ということがわかったのもよかったです。

 スポーツの指導についての本ですが、学校での指導にも通じるところはたくさんあると思います。学校の先生方にも読んでもらって、「あのコーチの話、よかったですよね!教室でもやってみたいと思った!」とか話してみたいです。

(為田)