教育ICTリサーチ ブログ

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ひとり読書会:『倫理思考トレーニング』

 伊勢田哲治 先生の『倫理思考トレーニング』を読みました。倫理思考とは何だろうと思いながら読んでいったのですが、その他にも学校で先生方に伝えたいなと思う表現などがたくさんあったので、読書メモを共有します。

クリティカル・シンキングについて

 「序章 哲学思考のその先へ」のなかで、クリティカル・シンキングについて書かれていました。文中ではCTと略称されているのですが、「クリティカル・シンキング」と書き直しました。

クリティカル・シンキングは「修理型」と「改築型」に分類することができる。修理型とは、今われわれが受け入れていることは概ね正しいということを前提として、間違いやすい部分に注意するタイプのクリティカル・シンキングを指す。これに対し、改築型とは、思考法を根本から改めることで、すでに受け入れていることの全体を見直すようなクリティカル・シンキングを指す。心理学系のクリティカル・シンキングでは陥りやすい認知バイアスに対処するという修理型が重視されるのに対し、哲学系のクリティカル・シンキングでは思考のスタイルを根本的に作り直すという改築型の考え方が強調される。
(略)哲学系のクリティカル・シンキングをさまざまな場面に応用する際には、基本線として改築型で考えつつも、「どこを残してどこを改築するか」は場合によって臨機応変に考えるということになるだろう(p.21-22))

 「修理型」と「改築型」という形で分けて考えるのは面白いと思いました。もうひとつ、「協力的クリティカル・シンキング」の考え方も紹介されていました。

もう一つ大事なのが、クリティカル・シンキングは敵対的な行為ではなく、少しでもよい答えを協力して探し出す営みだ、という「協力的クリティカル・シンキング」の考え方である。クリティカル・シンキングは相手を言い負かすための技術だという印象を持つ人も多いかもしれない。
(略)
クリティカル・シンキングというのは自分の主張であれ他人の主張であれ、等しくその根拠や推論を吟味することである。自分に都合のいい結果になれば何でもOK、とはならないはずである。むしろ、この目的のためには、対立する立場であっても、「思いやりの原理」などを使いつつ、お互いの主張の論拠の強みを最大限引き出して、一緒に情報を吟味し、ふるいわけていくための共同作業を行っていくことこそが必要だろう。これが協力的クリティカル・シンキングの考え方である。(p.22)

 これもとても大事です。クリティカル・シンキングを誰かと協力して行う、という場面を自分はあまり意識して授業に作れていないかもしれないな、と気づかされました。


登場するいろいろな「メガネ」

 この本のなかでは、いろいろな「メガネ」が出てきます。終盤にふりかえりがあったので、そこから「メガネ」について書かれているところ(p.404-405)を紹介します。

本書ではさまざまな「メガネ」が登場した。これらは社会の中で教育やしつけを受けたり、他者と相互作用する中で次第に一種の拡張現実のようにさまざまなものが「見える」ようになっていく仕組みであり、絶えず「チューニング」され「感受性」が研ぎ澄まされていくような存在である。

  • 社会メガネ
    「大統領」や「一万円札」などの社会的事実が見えるようになる。
  • 自由意志メガネ
    自分や他人が「自由意志」を持つ存在として見えるようになる。
  • 倫理メガネ
    世界の事物が「善悪」や「行為の理由」を伴ったものとして見えるようになり、自由意志メガネと組み合わせることで自分や他人が「道徳的行為者」として見えるようになる。
  • 問題設定メガネ
    扱っている問題の全体像を表すストーリーを与え、何が重要な問題かを見せてくれるようになる。

 「メガネ」をかけることで、世界の見え方が変わる(=情報の捉え方が変わる)というのは本当にそうだと思います。

ポケモンGOのような拡張現実ゲームにおいては、現実の世界に重なる形でゲーム内のキャラクター(ポケモン)が表示され、世界はポケモンであふれているように見える。また、現実の事物も、このゲーム世界において別の性質を持つ。たとえば、何の変哲もない講演が「レアポケモンの巣」という新しい性質を備え、ゲームをしない人には理解できない人気スポットになったりする(これは拡張現実ゲームだからというより位置情報ゲームとしての特徴によるものだが)。
それと同じように、ある種の「倫理メガネ」をかけて見た世界には、メガネをかけずに見た世界では見慣れないものがあふれている。その一つが「理由」である。「道端で苦しそうにうずくまっている人がいる」なら、それは「声をかけるべきだ」と考える理由になる。(略)
こういう「べき」判断の根拠になる理由は、先ほども触れたように、われわれが何をしたいかとは独立である。(p.121-122)

 あと、「倫理メガネ」は一人ひとり違う、ということと、経験によって変わっていく、と書かれていたところもすごくいいです。ここに教育の意味があると思います。

「倫理メガネ」は量産品ではなく、一人ひとり少しずつ違うものが見えていて、しかも経験を通して絶えず見えるものが変化していると考えるべき(p.161)

SNSで、なぜ意見が食い違うのか

 最後に、「第五章 なぜ意見が食い違うのか」で書かれていた、SNSでの意見の食い違いの状況についての整理がとてもいいなと思いました。エコーチェンバーやフィルターバブルも大きな問題だ、と書かれた後の部分(p.285-298)をまとめました。

これらももちろん大きな問題なのだが、ここではSNSコミュニケーションの少し異なる側面が対立を深める可能性について指摘したい。それは「多対多敵対的討論状況」とわたしが名付ける状況をSNSが作り出しがちであることと関係している。この状況を特徴づけるのは、「敵対的」であること、相手を「否定的評価」や「過小評価」すること、そして「多対多」であることの三つだが、これらのついて順次説明していこう。

  • 敵対的
    • 相手や相手の見解をおとしめることやダメージを与えることを(少なくとも副次的な)目的として行われる討論。
    • 議論を勝ち負けと捉え、ゼロサムゲームとして扱う。(協力的クリティカル・シンキングは本来的にはゼロサムゲームではないはず)
    • 自分の当初の意見を少しでも相手に譲歩して変えることは、相手の利益=自分の損失だと認識される。
    • SNSでは相手と「一緒に生活する」必要がない。
  • 否定的評価・過小評価
    • 敵対的な討論をする人は、相手の討論者としての能力を自分より下だと捉えていることが多い。すなわち、正しい結論に達しないのは相手が正しい推論ができていないからだと考える。
    • 相手の予備知識を過小評価しがち。
    • 過小評価を避けるためには、常に、相手は自分の知らない情報に基づいて判断しているかもしれないという可能性を意識する必要がある。
    • SNSではバックグラウンドのわからない相手と立ち入った問題について意見交換をすることがあるので、そのときに過小評価が発生しがち。
  • 多対多
    • 多様な立場の一群の人々が相手を特定せず一斉に情報を発信し、情報の流れの整理や論争全体の統御が行われていない状況。
    • 古典的な集団討論では、たいてい一時に一人しか発言できない形だったが、SNSでは多対多論争状況が特徴的。
    • 多対多討論、特に敵対的な討論では、やっつけるべき「敵」を特定する必要がある。そのため、敵陣営と味方陣営のイメージを持つ。

 以上の特徴をまとめて、「多対多敵対的討論状況」と呼んでいるのですが、この整理はオンラインでのコミュニケーションを考えるのにすごく有意義だと思いました。

以上の特徴をまとめた、SNSでの討論のモデルを「多対多敵対的討論状況」と呼ぶことにしたい。もう一度整理すると、SNSでの情報発信は多対多で行われ、相手についての情報の少なさや協力的行動へのインセンティブのなさから敵対的になり、そしてそれが相手(相手陣営)への否定的評価・過小評価と相互に強め合うことが予想される。これらの状況の相乗効果から、お互いの意図や背景を誤解しあったまま多元的な情報発信が続き、わら人形論法で不当に非難されたという不信感ばかりが蓄積していく。こうした特徴を備えた討論の状況を「多対多敵対的討論状況」と呼んでいる。(p.298)

 オンラインでの敵対的討論、しないように・近づかないようにと思っていますけど、うっかり近づいてしまうこともあるので。こうして言語化されることがありがたいと思いました。

まとめ(というか感想)

 直接、「教育でICTをどう使うか」ということには関わりがないようにも思えるけれど、生成AIが検索エンジンに組み込まれてしまっているので、クリティカル・シンキングはできるようになってほしいし、SNSでの「多対多敵対的討論状況」のような場面を避けられるようになってほしいし、いろいろと学校の授業に結びつけて考えられるところも多いかなと思っています。

(為田)