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書籍ご紹介:『「頭がいい」の正体は読解力』

 受験小論文指導の第一人者 樋口裕一 先生の『「頭がいい」の正体は読解力』を読みました。タイトルはセンセーショナルですが、読解力が大事なものだということ、読解力を高めるにはどのような方法があるのか、ということが書かれていて、「人に何かを伝える」体験を授業でしてほしいと思っている僕には、参考になる部分がたくさんありました。以下、少しだけ読書メモを共有します。

読解力はなぜ大事なのか

 「はじめに」のなかで、樋口先生は読解力がなぜ大事なのかを書いています。

読解力、すなわち、物事を読み取り、理解する力。これこそが人間社会で生き抜くために不可欠な力だと断言してよかろう。
人間は、日々、読み取って生きている。周囲の人間関係を読み取り、社会現象を読み取り、自然現象を読み取っている。そして、もちろん文章を読み取り、図表を読み取っている。これらの力があれば、現代社会を生き抜いていける。読み取ることができなければ、物事を理解することができず、あらゆることに関して、手をこまねいているほかはない。
つまりは、読解力のある人が、社会では「頭がいい人」とみなされる。読解力のない人が、愚かな人とみなされる。
普通、「読解力」という言葉は、狭義に解されて、「文章を読解する力」を意味する。それには理由がある。すべての現象を読み取る力の基本になるのが、文章を読み取る力だからだ。文章を読み取ることのできる人は、様々な現象を読み取る事ができる。文章の中の様々な要素を結び付けて、その文章の内容を把握し、筆者の主張を理解することと、様々な現象を理解して、その背景にあるものを読み取る力は通底している。(p.3-4)

 真ん中あたりの「読解力のある人が、頭のいい人とみなされる」のあたりは、そうかな?と思いながら読みましたが、その前後の文章は好きです。特に、読解力は「文章を読解する力」という狭い意味ではなくて、もっと広く捉えたほうがいい、というところが好きです。

読解力はどうすればつけることができるのか

 そのうえで、どうすれば読解力をつけることができるのか、それがこの本が書かれた理由だ、と続いていました。

どうすれば読解力をつけることができるか。どうすれば、文章や人間関係や社会現象を読み取ることができるようになるか。どうすれば、頭のいい人になれるのか。
そうした問題意識のもと、語彙力をつけ、文章を書く力をつけ、文章を読解する力をつけることを目的として編んだのが本書だ。(p.4)

 この本では、読解力をつける方法として「語彙力を養うこと」「文章を書くこと」を準備段階・基礎段階として、そのうえで読解力として「読み取りの手順」が解説されています(練習問題もたくさん収録されています)。

読解力をつける方法

  • 語彙力を養うこと
  • 文章を書くこと
  • 読み取りの手順
    • 抽象と具体を解きほぐす
    • 「確かに…。しかし…」のパターンをつかむ
    • 四部構成の「型」で読む
    • キーワードとその意味を正確にとらえる
    • 何に反対しているかを考える
    • 主張を把握し、根拠を整理する
    • 要約してみる
    • 3WHAT3W1Hを検証する
      • 3WHATは、「それは何か(定義)」「何が起こっているか(現象)」「何がその結果起こるか(結果)」
      • 3Wは、「WHY(理由、根拠)」、「WHEN(いつからそうなのか、それ以前はどうだったか=歴史的状況)」、「WHERE(どこでそうなのか、他の場所ではどうなのか=地理的状況)」
      • 1Hは、HOW(どうやればいいか=対策)

 読み取りの手順のなかの最後の「3WHAT3W1H」はおもしろいなと思いました。仕事をしていても、これらが曖昧で何を言いたいのかがわかりにくかったり、ディスカッションがしにくいことはたくさんあるからです。

 樋口先生の小論文講座を受けたことはないのですが、僕自身、大学受験のときに通信添削で小論文を学んだのはすごく意義があったな、と思い出しながら読みました。

書くことのよさについても(おまけ)

 この本は「読解力」がメインになっているのですが、読解力をつけるには「書くこと」だ、と書かれていました。書くことの良さについて書かれていた部分がとてもよかったです。

そもそも書くことは思考をまとめることにつながる。
何となく自分の意見が正しいと感じている。ところが、それを文章にして人にわかってもらおうとすると、ふと手が止まる。次々と自分の考えに穴があることに気づいて、そのままでは説得力がないことを改めて知る。そんな経験は誰にでもあるだろう。
つまり、書くとは、自分の漠然とした考えに形を与えて、他人にもわかるようにする行為なのだ。したがって、書くことによって考えに筋道が生まれる。頭の中にある連続的な思考を整理し、分析的にとらえなおし、思考の塊を言葉に改め、それを文にして論理的につなげて、一つのまとまりのある文章にしていく。それはまさに自分の思考を外からも見えるものにしていく作業なのだ。書くことによって、もやもやしていたものが明確に意識化される。時に、自分がどこに疑問を感じていたのかがわかる。
したがって、文章を書くことができないということは、自分の思考を外に示すことができないということになる。もっと言えば、実際には思考を自分のものにしていないに等しいということにもなる。
そして、それは文章を書くことによって、思考できるようにもなるということを意味する。(p.69-70)

 「文章を書くことによって、思考できるようにもなる」というのはいい言葉だと思います。適当に言葉でプレゼンテーションをするのとはまったく違う思考が、書くことで鍛えられると思っています。こういう体験ができるような授業を作りたいな、と思いながら読みました。
 これをしっかりやろうと思ったら、デジタルで何度も何度も書いては読んで推敲して…とやるほうが、「書く」「読む」機会を圧倒的に増やせるな、と思っています。

(為田)