ガザでの戦闘がようやく止みました。が、死傷者の数を見れば暗澹たる思いになります。こうした世界のことも教室で伝えられたらいい、と思い、デジタル教材を使って以前に授業をしたことがあったのを思い出しました。そのときは「紛争解決論」というお題で小学生向けに授業をしました。
「September 12th」というゲーム
その「紛争解決論」なる、およそ小学生には「?」な名前だったクラスで使った教材は、デジタルゲーム「September 12th」*1。いかに市民の中に紛れているテロリストを見つけ、テロリスト「だけ」を排除するのかが難しいか、ということをゲームを通じて理解させるようになっています。
最初のインストラクションで、こう書かれています。
これはゲームではない。
勝ちも負けもない。
これはシミュレーションである。
終わりもない。すでに始まっている。
ルールは死ぬほどシンプルだ。
撃つこともできる。撃たないことも。
これは、テロリズムとの戦争について考えるために使える、シンプルなモデルである。
ゲームを始めると、街の中にいる市民とテロリストが歩いているのが見え、そこに照準を合わせてミサイルを打ち込みます。テロリストは倒れますが、周辺の家屋も倒れます。巻き込まれた市民も倒れます。そして、家屋や犠牲となった市民の家族が、憎しみからテロリストに変わります。
テロリストは増えていきます。そもそもの解決に向かって行くことはないまま、憎しみの連鎖が、テロリストをむしろ増やしていく、というシミュレーションです。
参加していた小学生から「これ、無理じゃない?」という言葉が出たのを覚えています。
ただプレイさせるだけでは不足
「言葉で伝えるよりもずっと直感的にわかるものを伝えられる」というのはデジタル教材としては非常に効果があると思っています。このSeptember 12thというゲームは、直感的に「テロリストだけを攻撃するのって、できるの?」って思わせてくれる設計になっていると思うのです。
「戦争は国と国の戦争から、対テロリストの戦争に形を変えつつある」という一文をただ読むよりも、ずっと理解を深めることができるのではないかと思うのです。
新聞の見出し文をどのように読むかも変わってくるのではないかと思うのです。
ただ、実際に授業で使ってみると、単純に「ミサイルを撃つこと」が楽しい、という児童生徒もいました。だからこそ、先生のインストラクション、ファシリテーションが非常に大切になる、と感じさせてもくれたコンテンツです。
電子黒板やプロジェクタが教室に普及してきた今、教室で先生方が授業で使ってみたときに、どんな授業をしたいと思われるのか、社会科の先生方にぜひ伺ってみたいです。
*1:このゲームを知ったのは、「シリアスゲーム」を研究されている、藤本徹先生のブログで紹介されていたのがきっかけだったと記憶しています。 シリアスゲームと教育学研究の政治性 | Anotherway