小沼理さんのエッセイ集『共感と距離感の練習』を読みました。僕は「共感」というのが苦手だと思っています。そんな僕にとってズバリなタイトルに惹かれて手に取りました。
特に好きだったのは、「はじめに―わからないけどわかるよ」です。これを言える人でありたいな、と思いました。
僕の仕事のけっこうな部分は、「変わりましょうよ!」と人に言い続けることであるように思っています。みんなが「そうですね」と言ってくれるわけではなく、「何を言っているんだ」と思っている人もいると思っています。そうした人に共感しつつ、共感してもらうように接することって大事だな、と思っているところに、ズバリな表現があったので紹介したいと思います。
「わからないけどわかるよ」。中途半端で、どっちつかずの言葉だと思う。でも、いつもそう思っている。「わかる」とは言えない。「わからない」とは言いたくない。その「あわい」を、中途半端を生きている。
いつも自分のことを中途半端だと感じている。わかるともわからないとも、イエスともノーとも言い切れない。ああでもないこうでもないと明確な結論を出せずに、ぐるぐると考え続けている。
だけどそれならせめて、ちゃんと中途半端でいたいと思う。答えを急がず、単純化せず、抱え続けていたいと思う。そのために、自分に問いかける。「考え続けている」という顔で思考を放棄していないか。たまには羽を休めてもいいけれど、そればかりになっていないか。多くの人が積み重ねてきた蓄積があり、どんな立場を取るべきか明白なものに対して「それぞれの正義」などと安易に相対化していないか。時間をかけて考えた言葉に固執して、別の重要な言葉を見過ごしていないか。揺らいでいるか。無防備でいるか。(p.10-11)
一日一日、少しずつ、中途半端でいながらも、頑張っていきたいと思いました。
(為田)