教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』

 ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』を読みました。2019年に発売された、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のなかで触れられていた「エンパシー」に焦点をあてて書かれた本です。

エンパシーの良い面と悪い面と

 前著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』では、「エンパシー」という言葉が「誰かの靴を履く」という表現で紹介されていました。この、「誰かの靴を履く」ことができるかどうか、というのは非常に大事なスキルだと感じたのを覚えています。(ブログでも紹介していました
 この本では、「エンパシー」について社会のさまざまな場面でどのように現われているのかについて紹介がされていますが、そのなかで、「自分vs敵」というふうな図式を作るなかにも、「エンパシー」は使われているということが紹介されています。「エンパシーの闇落ち」としてさまざまな事例が、ブライトハウプト『The Dark Side of Empathy』から紹介されています。

 このあたり、フェイクニュースSNSアルゴリズムによって読まされる情報などに「エンパシー」を感じて、踊らされてしまわないようにするためにしなければいけない、ということにも繋がりそうだと思いました。
 そんななか、サブタイトルに入っている「アナーキック・エンパシー」とはいう言葉が出てきます。「アナーキック・エンパシー」は、「アナーキー」と「エンパシー」からできている語です。「アナーキー(あらゆる支配への拒否)という軸をしっかりと打ち込まなければ、エンパシーは知らぬ間に毒性のあるものに変わってしまうかもしれない」(p.245)と書かれています。
 アナーキーでもって「周りから言われていること」「周りから見せられていること」を拒否することもでき、エンパシーでもって「他者の靴を履く」ことができることが重要だ、というふうに書かれています。

想像力が「違う世界」(ベタな表現だが「オルタナティヴ」と言ってもいい)の存在を信じることを可能にし、それが人の「根もとにある楽天性」になるとすれば、エンパシーはやはり個人が自分のために身に着けておくべき能力であり、生き延びるためのスキルだ。ここではない世界は存在すると信じられなければ、人はいま自分が生きている狭い世界だけが全てだと思い込み、世界なんてこんなものだと諦めてしまう。そうなれば、人はあらゆる支配を拒否することなどできない。
アナーキーがなければエンパシーが闇落ちするのと同じように、エンパシーがなければアナーキーも成立しないのだ。(p.258)

 ICTを活用できるようになって、目に見える範囲の関係だけでなく、クラス外、学校外、違う世代、とどんどん繋がっていくようになると、「アナーキー」と「エンパシー」を持っていることは大事だと思います。

イギリスのオンライン授業でのおもしろそうなネタ

 もうひとつ、この本のなかで、イギリスの学校の英語(国語)の授業の課題が紹介されていたのですが、非常におもしろいと思いました。

ところで、英国がロックダウンに入ってから、息子の学校のオンライン授業で出される英語(つまり国語)の課題がめっぽう面白い。
彼らはいま、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を読んでいるのだが、その授業で出された課題が洒落ていた。主人公になりきってラブレターを書くというものなのだが、例えばこれがわたしたちの旧世代なら、女子はジュリエットになり、男子はロミオになったつもりで恋文を書いて来なさいとか言われたものだ。しかし、息子たちの世代は違う。最初の週は全員がロミオになり、できる限りライム(韻)を使って、ラップ調のラブレターを書けというのが課題だった。そして次の週には、今度は全員がジュリエットになり、自分のオリジナルのメタファーを少なくとも1か所、クリシェ(頻繁に使われる言い回しや表現)を少なくとも3か所用いてクラシックなラブレターを書きなさい、という課題が出た。
(略)
最近、英語(国語)の教員から電話がかかってきた。学校が休みになってから、各教科の教員たちが保護者たちに電話をかけ、生徒たちはオンライン授業にどのように取り組んでいるか、何か困ったことはないかと定期的に聞いてくるのだ。くだんの教員に、休校中の課題がとても興味深くて(ちなみに、『ロミオとジュリエット』の前は、「オーウェルの『動物農場』に倣って動物を主人公にしたロックダウン中の社会や人間についてアレゴリー(寓意)を書きなさい」というものだった)、息子はすこぶる熱心に課題をやっていると伝えると、教員は言った。
「オンラインだとどうしても課題中心になってしまうから、書くほうも、読むほうも、退屈しないものをと考えています」
「『ロミオとジュリエット』のラブレターなんて、読むのも本当に楽しそうですね」
「ふだんマッチョで反抗的な生徒が、ジュリエットになってすごくスウィートなラブレターを書いてきたりしてびっくりしました。逆に、目立たないおとなしい子が超クールなラップを書いたりもして。これは、いつも家でラップを聴きまくってるなって思ったり」
「いつものイメージと違う生徒の顔が見えたりするんですね」
と言った後で、思い切って聞いてみることにした。
「生徒が全員ロミオになったり、全員ジュリエットになったりして手紙を書いたのも、そういうことなんですか。ジェンダーのイメージから自由になるというか」
「そういうことに縛られないほうが、思いもよらぬ傑作が書けたりするんです。あの課題で提出された生徒たちの文章を読んでいると、そのことが本当によくわかりますよ」(p.132-134)

 『ロミオとジュリエット』ではちょっと難しいかもしれないですが、日本の国語の授業でも似た課題設定はできるかもしれないと思いました。こうして子どもたちの違う面が見られたり、「他者の靴を履く」=エンパシーを身につける訓練をすることができるのはいいと思いました。

まとめ

 テクノロジーを、「エンパシー」をもって使えるかどうか。「アナーキー」であることで「いまいる世界だけがすべてではなく、ほかのところでも生きられるのだ」と希望をもてれば、テクノロジーが大きな武器になることもあるのではないかと思いました。ICTの操作方法だけでなく、こうした「どう使うのか」に繋がる考え方も子どもたちに伝えたいな、と思いました。

(為田)