教育ICTリサーチ ブログ

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王子の街を歩いて明治以降の産業の発展を探究したくなりました

 こないだ東京都北区教育委員会へ伺う機会がありました。北区教育委員会はJR王子駅から歩ける滝野川分庁舎というところにあります(元・中学校の校舎をリノベーションして使っていていい感じです)。
 王子の駅から飛鳥山公園を抜ける感じで歩いて行ったのですが、ちょうど読んでいた『定点写真で見る東京今昔』で、このあたりの写真が紹介されていたので、「あー、ここだー」と思いながら歩きました。飛鳥山と言えば、渋沢栄一の邸宅があったところです(王子には仕事で来ることが多いので、春にはふらりと立ち寄って桜を見たりもします)。

 『定点写真で見る東京今昔』は、幕末・明治以降に撮影された東京の各地の古い写真と現代の「同じ場所」「同じ構図」の写真を並べてあって、見比べるのがおもしろい本です。
 なかには、僕がいまでもときどき通る場所や行ったことがある場所の古い写真もあって、「ここ、こんなだったのか…」と思えて楽しめました。

 古い写真は各地域にあると思うので、その写真と同じ場所へ行って同じ構図で写真を撮影して並べて比較する、という活動を通して地域の歴史を学ぶのも楽しそうだと思いました。

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 飛鳥山公園を抜けて滝野川分庁舎の方へ歩いていくと、お酒の醸造試験所跡が公園として整備されていました。明治時代に創設された煉瓦づくりの旧醸造試験所第一工場だそうです。

 明治時代の産業発展を支えた工場が王子にはたくさんあったのだということを感じます。王子といえば王子製紙だし、いまでも国立印刷局の王子工場もあります。
 これもまたちょうど読んでいた吉見俊哉先生の『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』で王子での産業の発展と渋沢栄一の話を読んでいて、とてもタイムリーだと思っていました(この本、めちゃくちゃおもしろかったです!)。

その生涯で約500もの企業の設立に携わった渋沢は、まさに起業のスーパースターですが、その彼が最初に取り組んだのが銀行と製紙でした。同じ頃、日本各地で洋紙製造を行う会社が設立されていますが、製紙と資本主義の関係を渋沢ほど深く理解していた人はいません。資本のフローは紙幣のフローであり、さらには証券や証書など、すべては紙を媒体とします。渋沢は、単に和紙に代わるものとして洋紙の製造に取り組んだのではなく、紙幣の大量生産がいかなる資本主義を出現させていくかを見通していたのです。
それから140年以上の時が流れ、紙は資本主義の基盤としての地位を失いつつあります。今や貨幣もメディアもデジタルが主流の時代です。経済においてはブロックチェーンやビットコインといった言葉が飛び交い、人々はスマホに流れてくる情報に没入しています。しかし、ここ王子駅前でもうすっかり姿の消えた明治の製紙工場に思いを馳せ、飛鳥山に登って旧渋沢邸の痕跡のなかで資本主義発達史に触れることは、明治の紡績工場や製鉄所の産業遺産を訪れるのとは別の近代についての発見をもたらしてくれます。(p.66-67)

 渋沢栄一、天才過ぎませんか?こうした知識を知って王子を歩くと、街の見え方がまた変わってきます。

 たまたま『定点写真で見る東京今昔』と『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』を読んでいたおかげで、王子を歩くのがとても楽しくなりました。そして、もっと知りたい、と思うことがたくさんできました。
 探究って、こんな感じで始まるのだなあ、と思いました。この楽しさは読書が運んできてくれたものだと思っています。

(為田)