DMM.comの石垣雅人さんの著書『「正しく」失敗できるチームを作る 現場のリーダーのための恐怖と不安を乗り越える技術』を読みました。この本は、「主にソフトウェア開発を行うチームの失敗について書かれた本であり、そこからの立ち直り方を記した、レジリエンスエンジニアリングの本」(p.iii)であると「はじめに」にかかれています。失敗からの立ち直り方、失敗から立ち直れる組織文化に興味があって読みました。ソフトウェア開発、マネジメントについての本ではありますが、教室で子どもたちと接するときにも参考になるところが多いと思って、読書メモを公開します。
序章 「間違った失敗」が起こる構造
この本では、失敗には「正しい失敗」と「間違った失敗」がある、ということが書かれています。最初に、間違った失敗が3つにまとめられていました。
失敗への間違った批判によって生まれる状態を3つの「間違った失敗」に区分して述べていきます。(p.4-5)
- 隠された失敗
失敗が隠されることで超大作な失敗が生まれてしまう- 繰り返される失敗
同じ失敗を繰り返し、組織が精神的にもコスト的にも疲弊してしまう- 低リスクなムダな失敗
小さい成功という大きな失敗をしてしまう
これらの「間違った失敗」を「正しい失敗」にしよう、ということが書かれています。表紙にも書かれているのですが、これがとても気に入りました。
- 「隠された失敗」から「透明性のある失敗」へ
- 「繰り返される失敗」から「学べる失敗」へ
- 「低リスクなムダな失敗」から「リスクを取った学べる失敗」へ
「失敗はたくさんしてもいい。失敗から学んでほしい」というのを、僕は子どもたちに学校で学んでほしいと思っています。失敗に「正しい失敗」と「間違った失敗」があるのだとすると、授業計画を立てるときに参考にしたいと思いました。
注意したいのは、「失敗」自体が減ることはありませんし、挑戦している限り、常に失敗は増えていくことです。大事なのは、失敗を正しく受け止め、成長マインドを持ち、目標の達成や組織としてなりたい状態になるための材料としてとらえることです。10回やって1回でも失敗してはいけないという失敗の総量をマネジメントをするのではなく、1回1回の失敗の質をマネジメントしていきます。(p.5)
「1回1回の失敗の質をマネジメントして」いく、という表現はいいなと思いました。
第2章 「間違った失敗」から「正しい失敗」へ
「間違った失敗」を「正しい失敗」に置き換えるための組織づくりについても書かれていました。プロダクトの成功のために「失敗から学ぶ体力(レジリエンス)」が必要と書かれていますが、プロダクトの成功以外の場面でも、「失敗から学ぶ体力(レジリエンス)」は役に立つと思うのです。
「間違った失敗」を「正しい失敗」に置き換えるには、失敗を受け入れ、分析し、改善する文化を醸成していきます。失敗から速やかに学ぶプロセスがある状態、ある意味“正しい失敗”を経て成長できる組織を作っていきます。
『失敗の科学』(マシュー・サイド著)には、”Only by redefining failure will we unleash progress, creativity and resilience.”という言葉があります。人は失敗を再定義することでのみ、「進歩」と「クリエイティビティ」「レジリエンス」を解き放つことができるという意味です。この3つは不確実性が高い環境下、チーム開発を武器にプロダクトを促進するのに必要なものばかりです。ここからはっきりいえるのは、プロダクトの成功は失敗から学ぶ体力(レジリエンス)を身に着け、転びながら進んでいくのが一番手っ取り早いということです。失敗を怖がり小さい成功しか作らなければ、ユーザーに価値があるプロダクトは作れません。(p.45)
失敗を怖がらずに、転びながらでも進んでいく体験を、学校で子どもたちにしてもらいたいな、と思います。そういう場面をたくさん作れるのが、探究学習だったり、プロジェクト型学習だったり、プログラミングの授業だったりだと僕は思っています。
ここで紹介されている『失敗の科学』は、こないだ読んでこのブログでも紹介していました。合わせてふりかえってみようと思います(ここで紹介されているところは、僕は紹介していなかったですけどw)。
blog.ict-in-education.jp
第4章 「間違った失敗」の背景にある「関係性の恐怖」
この章で取り上げられていた、オンラインでの働き方への危機感は、子どもたちに学校でどんな協働を体験してもらいたいのかを考えるときに参考になると思いました。
「IT産業で働くシステムエンジニアがメンタルヘルス不調をきっかけに休職に至るまでのプロセス」(下山満里、櫻井しのぶ著)という論文では、メンタルが不調になったきっかけを「つながっているが孤独な関係性」と表しています。リモート環境で常に音声ツールなどで接続していても、部屋の中では孤独であったり、フィジカルとしてチームメンバーの存在を確認できなかったりすることを指します。(p.125)
「つながっているが孤独な関係性」という言葉は、授業支援ツールで協働学習をしているときに、子どもたちがこんなふうになっていないか考えなくてはいけないなと思いました。
もう一箇所、「ツールの活用とコミュニケーションの場を設計する」ことについて言及されているところも紹介します。
ツールの活用とコミュニケーションの場を設計する中で、一番むずかしくなったのは、オンライン化によってアイコンと音声のみになった会議や1on1でしょう。発言する側からすると、どこに向けて話しているのかがわからなくなり、かつリアクションがない場合、不安に駆られ「つながっているが孤独な関係性」の状態に陥ります。
リモート環境では、黙っていることが「合意」を意味しないことが多いです。むしろ、黙っていることは提案やアイデアが支持されていない、もしくは不満を持たれていると解釈されることがあります。一方、聞いている側は特に反論がない場合、「合意」を示すために黙っていることが多いです。こうした対話の間に生じる沈黙が誤解を生む原因となりがちです。
森一貴氏の「チームで仕事をするなら、リアクションし続けよ」という記事では、議論が前に進むのは、ふと場に出されたアイデアに対して、誰かが「それいいですね」って言った瞬間であるといい、逆にいえば議論において黙って静かにしていることは、実は透明になることではない、といっています。記事の中にもありますが、ティム・インゴルド氏の『応答、しつづけよ。』では「世界が切り分けられ、実態的に取り出されたとき、モノは死んでしまう。生きるとは、世界と応答しつづける過程そのものである。」とあります。(p.127-128)
紹介されている、森一貴氏の「チームで仕事をするなら、リアクションし続けよ」を読んでいたら、パターン・ランゲージ授業づくりパートナーでお世話になっている慶應義塾大学の井庭崇 先生の名前が出てきて、「わー、繋がっているなあ…」と思いました。本当に、リアクションって大事。教室で、誰かのあげた声(書いたメッセージ)に建設的なリアクションがたくさん出てくるような(ふざけて反応しちゃう感じじゃなくて)、そんな授業をつくっていきたいな、と思いました。
ICTを活用した授業づくりをするときに参考になることがたくさん書いてあった本でした。
(為田)

