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京都教育大学附属桃山地区学校園 教育研究発表会 レポート No.5(2017年2月3日)

 2017年2月3日に、京都教育大学附属桃山地区学校園の教育研究発表会に参加しました。テーマは、「幼小中連携 幼小中で育む『確かな学力』と『豊かな社会力』 ―12年間の学びをつなぐ連携プログラムの実践と開発(第2次)―」でした。

 6年2組の若松俊介先生のクラスで、国語「京都から発信しよう」を見学してきました。この単元「京都から発信しよう」は、光村図書の国語教科書の「ようこそ、私たちの町へ」の単元をベースに、社会科やメディア・コミュニケーション科の学習内容とも繋がる、教科横断的な単元だそうです。子どもたちは、京都の魅力を新聞形式で他都道府県の人たちに伝えることをしています。
 この時間では、前時までに書いた記事を見直して、お互いの新聞記事、構成を見合って、意見・感想・アドバイスを交換する授業でした。もちろん、もらった意見・感想・アドバイスをもとにして、自分たちの新聞記事、構成を修正していきます。
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 非常におもしろいと思ってみていたのは、新聞記事として、事実だけを伝えたらいいのか、それともそこには自分の意見も入れるべきなのか、というところでした。若松先生は、「どちらがいいと思いますか?」と子どもたちに問いかけます。どんどん問いかけ、子どもたちも迷います。考えが途中で変わることも、迷うことも、若松先生は肯定します。むしろ、迷わせるように発問しているのだと思います。
 先生は「迷うこと」を奨めているように思います。先生は迷わせることを言います。でも、それがあるから、子どもたちは先生が“正解を教えてくれる人”ではないと思っているのだと思います。だから、自分たちで“考える”ことにつながっています。“正解を教えられるのに、教えない”という、先生としてはとても我慢しなければならない行動を、若松先生は教室でしているなあ、と思います。
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 事実だけを報じるのか、意見をも載せるべきか、というのは、メディアとしての新聞のありかたにも繋がる、非常に大きな問題だと思います。ずっと考え続けられる大きなテーマだなと感じました。

 クラス内での意見・感想・アドバイスのやりとりの後、自分たちの新聞記事と構成の修正の時間となりました。もらった付箋を整理して、自分たちの記事をどのように修正するのかということを話し合います。
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 どのグループも、ホワイトボードで記事構成を作っているので、ホワイトボード上の記事を移動したり、追記したりしながら、記事を修正していきます。この様子が、非常におもしろかったです。
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 こうした作業を行うときに、デジタルでもできるけれども、付箋を使って紙でやる方が好きだ、という人は、仕事をしている人にも多くいます。大事なのは、好きな方を選べるようになることだと思います。デジタルでも、アナログでも、どちらでも好きに選べるようになるためには、もちろん両方ができなくてはなりません。
 こうした授業を通じて、デジタルもアナログも含めて、活動の選択肢として両方を持っていて、自分にあった形で活動を進められる子がどんどん増えていくだろうな、と思っています。

 No.6に続きます。
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(為田)