今井むつみ 先生の『学力喪失 認知科学による回復への道筋』を読みました。今回は、「終章 生成AIの時代の子どもの学びと教育」の読書メモを共有します。興味をもっていただけたら、ぜひ原典にあたっていただきたいです。
「終章 生成AIの時代の子どもの学びと教育」は20ページほどですが、学校とはどういう場を用意すればいいのか、というヒントがたくさん書かれていたように思います。
人間にとっての記号接地
終章では、生成AIのできないことが解説されます。生成AIにはできなくて、人間の乳幼児がしている「世界を自分の身体で探索すること」は、まさしく「記号接地」であり、それは「探索し、探究し、自分を世界に接地しようとする」ことだと書かれています。この「探索し、探究し、自分を世界に接地しようとする」能力を育む場として学校が機能するのか、ということが問題だと思います。
人間は、AIのように膨大な記憶も、大量の情報をブルドーザのように一気に高速で処理する能力も、もつことはできない。しかし、世界を身体に接地させ、アブダクション推論をしながら自分で知識を拡張していくことができる。外から与えられるのではなく、自分で世界を探索し、自分の身体を通じて経験し、自分でその経験を抽象化して知識を創造することができるから――言い換えれば「記号接地」しているから――人工知能の最大の問題である「フレーム問題」(知識が使えない問題)が人間には存在しないのである。少なくとも乳幼児期には。(p.293)
乳幼児期には「知識が使えない問題」が存在しない、と今井先生は書いています。「知識が使えない問題」は、今井先生がおっしゃる「死んだ知識」なのだと思います。
学校での学びを考えさせられる
この後で、子どもたちは小学校に入学して勉強をします。この本で紹介された算数の問題での誤答をする子どもたちの学んでいる姿と、乳幼児の学んでいる姿が対比されます。
しかし、本書で紹介した就学後の子どもたちの姿は、乳幼児期のそれとはずいぶん異なっている。学校に行くようになると、子どもたちは乳幼児期のように探索をすることが少なくなる。知識は自分でつくるものではなく、教えてもらうもの、と思うようになる。効率よく知識を暗記しようとする。テストで高い得点を取ることが「成功」と思うようになり、失敗することを怖がるようになる。すると、子どもたちもコンピュータと同じように、フレーム問題に直面してしまうのである。先生に教えられて「外にある知識」を覚えても、それをいつ、どう使ったらよいのかわからなくなるのだ。(p.293-294)
「学校に行くようになると、子どもたちは乳幼児期のように探索をすることが少なくなる。知識は自分でつくるものではなく、教えてもらうもの、と思うようになる」というところ、刺さります。というか、自分だってそんなふうに感じて学校生活を送っていたと思うし、いまでももしかするとこんなふうに思っている部分もあります。
学校で学ぶ目的は何か。多くの人が、知識をもっと増やすためと言う。しかし、その知識が使える知識とはならず、使うことができない知識の断片を覚えただけの「死んだ知識」で終わってしまっていたら?先ほど述べたように、フレーム問題が存在しなかった乳幼児が、学校で学ぶようになると覚えた知識を使えなくなる。では、学校で学ぶことがいけないのか?
もちろん、そんなことはない。筆者は決して学校不要論者ではない。学校は先人たちが創り上げてきた文化的遺産としての知識をすべての人々に開放し、共有するための素晴らしい場所だ。言語も文化も生きた年代もまったく異なる時空間において発見され、創造された知識を、後世に生まれた者が受け継ぐことができる。そんなことができる存在は、地球上には人間しかいない。
しかし、呼吸をするのと同じくらい当たり前に日々世界を探索し、学び続けている子どもたちが、なぜ学校では自ら知の世界を探索することをしなくなるのだろうか。教えてもらった知識の断片を「覚えること」が学校ですることだと思っていまい、その結果、学ぶ力を喪失してしまっているのだろうか。このことは、教育にかかわる仕事をしている人たちだけではなく、社会のすべての大人が真剣に問い、考えなければならないことだと思う。(p.294-295)
最後にすごく大事なメッセージをもらった気がします。
今井むつみ先生から、文部科学省への提出資料
今井先生は、2024年3月25日に行われた、文部科学省「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第10回)」で、「生成AIの時代の言語能力、読解力とその基盤となる資質能力」という資料を説明しています。『学力喪失』と合わせて、この資料も読んでみると、子どもたちと生成AIの活用について考えることもできるのではないかと思います。
まとめ(というか、気づき)
本のタイトルの『学力喪失』の「学力」は、「学ぶ力」であるということがわかって、学校の授業で子どもたちの学ぶ力をどんなふうに育んでいけるだろうか、と考えながら読み終わりました。
学校が「探索し、探究し、自分を世界に接地しようとする」能力を育む場となれるように、子どもたちと先生方の姿を見ながら、自分にできることをやっていきたいと思います。
(為田)